2020年1月28日

句集『鶏頭』岸本マチ子



自選12句

かなぶんに好かれて女盛り越す

六月の地軸はことに軋みおり

かやつり草何故かここから出られない

日焼して父より母より生きている

晩夏光まだ変身の途中です

鶏頭のとさかの様に猛り立つ

自萩ゆれ夢の中までどどと兵

さみしさの前後左右を存という

路地裘におぼろの墓ある那覇の街

春惜しむわたしの中にも駅がある

晩夏いま去りゆくものの影をふむ

大寒がどっかと座る壺の中

2020年1月8日

句集『敵は女房』並木邑人



略歴
1948年 千葉県市原市生れ
1986年「海程」入会、金子兜太に師事
1992年 現代俳句協会会員、[海程]同人
1994年 父並木凡生句集『帰燕』編集発行、句集『遊陣』発行、合同句集『海程新鋭集第4集』発行
1999年「遊牧」同人
2012年 共著『|現代俳句を歩く』発行
2016年 共著『現代俳句を探るj発行
2018年 師金子兜太逝去、「海程」終刊。後継誌「海原」創刊同人、「遊牧」同人
現 在
現代俳句協会理事 千葉県現代俳句協会会長、市原市俳句協会副会長

帯            檜垣梧樓

宿敵は  ずっと女房   秋ざくら

 宿敵とは実力が伯仲する競争相手のこと。好敵手ともいい、
相手に対する敬意のようなものが含まれる。邑大と奥様は
文学のみならず人問学の競い合いをして来たのでは。それ
も邑人の学生時代から。照れくさそうな邑人の顔が見える
が、掲句、邑大が気合いを込めて表明する奥様への愛であ
る。句集名『敵は女房』の拠って来たる所以である。
                      
自選十句

一角獣座より伝声管の冬ざくら
満員電巾擬態の青柚子をさがす
洗濯機に入れておしまい邑人句集
星読みによき鯨骨の椅子二脚
MRI画像のあっ風花
熱帯夜この寝室も野辺のひとつ
春昼のフンコロガシになってやる
街も春川もことごとく薙ぎTSUNΛMI来る
憲法は死にますか今朝蕗を煮る
シナモンをさっと振りかけ秋霖デモ

2019年10月30日

文化功労賞受賞、宇多喜代子さんにお祝いを申し上げます




文化功労賞受賞、宇多喜代子さん。精神性も社会性も悲喜も織り込む独自の俳句の方法を見いだし、著作では歴史の隙間に埋もれた無名の俳人も取り上げた。84歳。

宇多さんが文化功労賞を貰い嬉しかった。飾り気の無い人柄と豊富な知識に圧倒されました。
秩父の俳句道場に何回かお迎えして戦争体験など話して頂きました。
このビデオは竹丸が撮りアップしました。

アメリカの従姉妹の家に遊びに行き、そこで元歌手のアメリカ人から一束の手紙を渡された。歌手のメリーアンさんは硫黄島訪問の折、洞窟で手紙を発見、無視するのは忍び難くいつか家族に返したいと持ち帰り保管していたそうです。

メリーアンさんの手紙を託された宇多さんは、椎葉村と住所から伝手をたどり探したがなかなか見つからず、諦めかけた頃、俳人の津沢マサ子さんの母上が椎葉出身で思い出してくれ、手紙の主の娘さんさんと連絡が取れ椎葉まで届にけに行った。親戚、村人に迎えられ法要を営み手紙は故人の家族に返ったそうです。
ひとたばの手紙から」にもその経緯が書かれています。

2019年10月5日

DVD 『天地悠々』兜太・俳句の一本道

 金子兜太のDVD 『天地悠々』兜太・俳句の一本道が発売になった。ただ、懐かしく夕べは泣いた。
このインタビューを終えて数時間後、意識不明となりそのまま亡くなった。
そして竹丸は先生の著「他界」を読み信じるようになった。
天上には亡くなった人たちが寄り添い私たちの来るのを待っていると言う。金子先生がまず逢いたいのは両親と妻の皆子さんだそうです。

 きっと天上で大句会が開かれ、海程先輩たちが集い侃々諤々だろうなと思うと可笑しくなる。金子先生の裁く句会に出てみたい。死は怖くないのです。


このインタビューを終えて数時間後、兜太さんは体調を崩し緊急入院されました。そのまま意識が戻ることがありませんでした。
■2018年2月20日 98歳の生涯を閉じる

 東西南北若々しき平和あれよかし   兜太

金子 それじゃ、若々しき平和とはどんなもんか、要するに、茹でたての馬鈴薯みたいなものでね、湯気が立ってて、果肉は非常にこう柔らかく、食べやすくてね、誰でも飛びつけると、いう風なそういう内容のものであればよいと。そういう風に思ってるってことです。そのことを言ったつもりだったんですがね、これ、ええ。

河邑 この俳句の言葉どおり取りますと、若々しき平和って書いてありますよ。この平和っていうのを、兜太さんがまさに若い世代に伝えていきたい言葉じゃないんでしょうか。今の平和を。

金子
平和ってのがいちばん基礎、基礎。基礎だと思いますね。だから、図々しい平和という風なものが基礎に無いと、本当の平和の時代なんていうのは無いんじゃないでしょうかね、ええ。図々しいっていう言い方が必要だと思いますね。

河邑 図々しいってどういう意味ですか?

金子 腹を据えて、びくともしないという、そういう集団、そういう人間たちの集まり。それが図々しい。腹を据えてびくともしない。


   人生は生きている期間流れている しかしどこか求めてることがある
 求めてることで強く自分を支えている 俺はただ流れているだけじゃないと


金子 あのー、自分の人生ってものは、生きている期間だけ流れてるんだ。しかしどっかで求めてることがあって、そうなってるんだと。逆に、求めてるってことを剌激して、さらに強く求めてると思って自分を支えてるんだと。俺はただ流れてるだけじゃないと。そういう弁証法を一種、自分の中で用意して、悠々と考えてるんだ。

『天地悠々』の欲しい方は、堀之内氏に申し込んで下さい。
4千円です。
メール  horitaku@ka2.so-net.ne.jp






2019年9月21日

9/23(月・祝)「金子兜太百年祭 in皆野町」を開催


日 時  2019年9月23日(月・祝)
12時30分開場 13時30分開会
会 場  皆野町文化会館ホール
埼玉県秩父郡皆野町大字皆野1423番地

主 催  「兜太TOTA」編集委員会
皆野町、皆野町教育員会、皆野町商工会、皆野町観光協会
問合せ  皆野町観光協会 TEL:0494-62-1462

第一部 映画上映「天地悠々―兜太・俳句の一本道」 13時30分~

第二部 「金子兜太百年祭」リレートーク 15時~

第三部 秩父音頭奉納・フィナーレ 16時~(終了予定16時30分)

http://www.minano.gr.jp/2019/09/05/9400/

2019年9月10日

金子兜太さんの訃報 24歳が体験した戦争


金子兜太さんの訃報 24歳が体験した戦争。
金子さんの訃報に、改めて、あの戦争について語ってくれた言葉たちを反芻している。

 第439回:24歳が体験した戦争。の巻(雨宮処凛)リンクしています
 https://maga9.jp/180228/








2019年7月6日

志布志市有明町の西光こども園に句碑


園児らは五月の光よく笑うよ  兜太

 戦後日本の俳壇をけん引した俳人で、昨年2月に98歳で亡くなった金子兜太さんの句碑が、鹿児島県志布志市有明町の西光こども園の庭に建っている。生前、園を3度訪れ園児らに「命と平和の大切さ」を説いて聞かせた金子さん。句碑は園が子供たちとの心のふれあいの証しとして今年3月に建てたもので、そこに宿る金子さんの魂は今も子供たちの成長を優しく見守っている。【新開良一】

 句碑の正面には金子さんが揮毫(きごう)した句「園児らは 五月の小鳥 よく笑うよ」が刻まれている。たくさんの園児たちに囲まれた金子さんが、小鳥がさえずるようにしゃべる子供たちの天真らんまんさを詠んだ一句だという。

 金子さんは園を営む西光寺の前住職で園長でもある藤井龍道さん(87)と長年親交があり、その縁でたびたび訪問。2016年5月、西光寺で園児たちと触れ合った半年後には句碑の句とともに「五月の海光 ここまで届く 園児かな」と自書した2枚の色紙を園に贈った。

 園児たちはお返しに園の畑で育てたサツマイモなどを送った。金子さんは「おいしい、おいしい」と喜んで食べたという。

 昨年2月、金子さんが入院したことを知った園児らは「げんきになってまたあそびにきて」と言葉を添えた似顔絵を送って回復を祈った。しかし願いは届かず、金子さんは似顔絵を見ることなく旅立ってしまった。子供たちの絵は棺の中に収められたという。

 今年6月3日、園児たちは例年通り金子さんが好きだったサツマイモの苗を植えつけた。畑に勢ぞろいした30人の園児に藤井さんが「お浄土の金子先生にまたおいしく食べていただけるよう祈って植えてください」と話しかけると、子供らは「またおいしいお芋さんができますように」と願いを込めながら一本一本苗を植えていった。

 金子さんは20代後半の一時期、西太平洋のトラック島(現チューク諸島)に海軍主計中尉として出征。西光寺の講演では悲惨な戦争体験をもとに「私の生涯は戦死した人のためにある、という思いで生きてきた」と語り、生涯、平和への思いと反戦への決意を貫いた。

 藤井さんは「絶対戦争をしてはいけないと最期まで言っておられた。地位、名誉、財といったものを一切考えない人だった」としのび「この句碑を通じて金子先生と園児たちとの心の交流を伝え続けたい」と話した。

管理人から・・・・金子先生は、サツマイモが好物でカルチャーセンターの講義の合間に
生徒が持参した薩摩芋をよくおやつに召し上がっていました。園児たちのおいもも美味しかったのでしょうね、


西光寺にある句碑です
正面に白さるすべり曲がれば人  金子兜太
平成21年4月17日建立
鹿児島県志布志市有明町蓬原1884
西光寺門徒建立

毎日新聞から転載させてもらいました

2019年6月26日

サラメシに金子先生が


NHK・サラメシ
俳人・金子兜太の愛した味は??
朝日新聞社での俳句欄の選句に出された昼の弁当は
季節の魚や野菜の松花堂弁当でした。
吸い物もついて美味しそうでした。
とにかく、ゆっくりと食べる。
人の二倍はかかりました。
健康には特に気を遣い、晩年はワインを少々でしね。


ライフワークの一つが新聞の俳壇の仕事。
90を過ぎても電車に乗って選句会へ。
寄せられた俳句を読み込み、選ぶ作業に没頭した。
心待ちにしたのはお昼でした。
中でもなじみの小料理屋の松花堂弁当が大のお気に入りだった。
蓋を開ければ目にも鮮やかな旬の景色。
句を選ぶ間選者たちは皆言葉を交わさず黙々と。
その分昼のひとときは料理をネタに季節の移ろいや表現の在り方など
さまざまな話に花が咲いた。
98でこの世を去るまで毎回5時間。


2019年6月25日

兜太の「愛句百句から」透きとほる熟柿や墓は奈良全土


兜太の「愛句百句から」

透きとほる熟柿や墓は奈良全土   澁谷  道 

澁谷 道
昭和21年平畑静塔に、同42年橋かん石師事。文学的虚実を
表裏として独自な幻想的俳句世界を志向。前衛的な「夜盗派」
「縄」を経て「海程」所属。俳句と連句誌「紫薇」創刊。現代
俳句の女流第一人者、死去


 澁谷道の「全土」は、「国のまほろば」の大和。「柿くへば鐘が
鳴るなり法隆寺」と、柿好きの正岡子規がいささかの愁いをこめて
詠いあげた、柿熟るる「奈良全土」である。
 作者は奈良にきている、いや、いまはきていないのかもしれない。
目のまえに熟柿を見ているJ木についたまま熟れたもので、空のひ
かりに朱の果肉が透く感じなのだ。あるいは、すでに卓上におかれ
てあるものかもしれない。

 それを見ていると、「奈良全土」への想念がひろがるのだ。いま
奈良にいるとすれば、自分を軸にして四方にひろがる。遠く離れて
おもっているとすれば、自分を光点として放射状にひろがる。そし
て、その全域にさまざまな墓が見えてくる。古墳あり、石の墓あり、
かの祖神の霊異と女身のあわれがしみる箸墓(はしのみはか)も
見えていよう。

それらの墓たちは全土を被うがごとくだが、作者澁谷道の想念のな
かでは、死の暗さにつらならず、古く人間的なものへの親しみにつ
らなるのである。
そこに作者のやさしさがある。

 澁谷道は大阪在住の小児科女医。この句は第二句集『藤』所収
のものだが、私は鑑賞しながら、彼女が蜘蛛が風にのって移動する
話をしていたのをおもいだしていた。クモたちは風が吹いてくるの
を待っていて、吹きはじめると、それにのって別のところに移るの
だそうだ。「いく日でも待っているんでしょうね、きっと。吹きは
じめると、一つづつ、肢をひろげるようにして、うまく風にのって
スーイスーイととんでゆくんですって。一つづつ、ね」
――澁谷道にとっては、奈良全土の墓たちも、クモたちも、同じよ
うに、生きて息づいているのではないか、と私はおもう。


山頭火120句 「放浪行乞」  金子兜太



 分け入っても分け入っても青い山    山頭火

 大正15年(1926、45歳)の『層雲』発表句。「山頭火一代一冊の自選句集」(大山澄太といわれる『草木塔』は事実上この句からはじまるといってもよいほどである。句の前書に「大正15年4月、解くすべもない惑ひを脊負うて、行乞流転の旅に出た」とある。この年の4月7日に小豆島で尾崎放哉が亡くなっており、2日後の4月10日に山頭火は味取観音堂を出て行乞流転の旅に入っている。
この三日の間に放哉の死についての便りが届いたのではないか。

 日頃、この人のことに関心をもち、放浪の句や文をわが身に引きつけて遊んでいただけに、山頭火には(ツとする思いがあったのだろう。衝動的に堂を出る。
足は南にむかって歩いていた。そういうことだったのかもしれない。そのせいか、前書から見ても、この句から見ても、山頭火の心情にはそれほど突きつめたものは見受けられないのである。むしろかなりに気分的なものすら感じられる。

 私は以前、この句について、「句も若く、ヴァガボンドの感傷と憧れとでもいいたいような、角笛(ホルン)の哀調がある。心奥の難に疲れはてている人間の放浪句というよりは、多感な戸惑いがちな旅感の句として読める」と書いたが、確かに「多感な戸惑いがちな旅感」といえるものがこの句にはあり、次第にそれが深まり、心奥の難あるいは疲れの色を帯びてくるわけなのだ。ともあれ放浪第一発目のこの句は、かなりにロマンチックな、センチメンタルな句と言った方がいい。

 そのためか、何といってもこの句のよさ、懐かしは、歩いている人問の姿が見えてくることで、その姿が熊本から宮崎にかけてのいままさに青を深めはしめた晩春初夏の山々に溶け込んでゆくのである。

45歳、すでに中年だが、気持としては青年のような多感な男の姿があり、ただひたすらさまよい歩くという「放浪者」というものの原型がある。この句が人に好かれる理由はそこにあるのだ。

 ちなみに、尾崎放哉は山頭火より三つ歳下の俳人で、山頭火と同じく荻原井泉水の主宰する俳誌『層雲』に所属していた。この雑誌は明治44年の創刊で、その前年に出た理想主義的な文芸雑誌『白樺』の俳句版ともいえる内容だった。

したがって、俳句のつくり方が自由で、季題制度などというものは認めないという徹底した考え方を持っていた。季語はなくてもいいなどという曖昧なものではなく、徹底して自由で、一行詩を書くという考え方。それが放哉や山頭火のような放浪者の資質に合っていたのだろう。

集英社 1987年

2019年6月24日

兜太の「愛句百句から」 



 この「愛句百句」は昭和53年、講談社から発刊された。その頃
金子先生は昭和49年(55歳)日銀を退職後、上武大学教授となり、
長男眞土さんが結婚昭和52年には父の伊昔紅氏が88歳で死去、
昭和53年には朝日カルチャーセンターで俳句講義が始まった。
心身共に力のみなぎった年齢でした。

 あとがきなよると、一般にはあまり知られていないが、自分では
好きでたまらないいわば秘蔵のよろこびを味わせてくれる句がある。
それらの句をまとめて鑑賞したら、どんなに楽しかろうと日頃おも
っていたので、この本の実現はまったくうれしいと・・・・。
 句は近世から身の回りの人たちまで選ばれていますが、海程に絞
りアップします。    管理人・竹丸

透きとほる熟柿よ墓は奈良全土    澁谷 道
大き背の冬の象動く淋しければ    芦田きよし


2019年6月22日

金子真土氏の「家族から見た金子兜太」



2018.6.22(金)金子兜太お別れの会の挨拶の抜粋

 本日は平日の昼頃ということで、皆様、いろいろな御用をお持ちだと思うのですが、父のためにここにお集まりいただきましたこと、まず、このことを最初に御礼を申し上げます。ありがとうございます。
  
 [家族から見た父]ということについて、少しだけお時間を戴きたいと思っております。先ほど、宮坂さんのほうから「存在者」という言葉が何度も父に与えられました。父がみずから、「存在者で、ありのままに生きるんだ」と明言しましたのが2016年1月、朝日賞の授賞式の会場でございました。会場の皆さんは拍手をして歓迎をしてくださいました。ただ、家族としてはちょっと複雑な思いでその宣言を聞いたことを覚えております。

 ご案内のように父は体が丈夫で、父の母親は百四歳まで生きたということもありまして、「自分はあと十年は生きるんだ」ということも申しておりました。その父が「ありのままに生きるんだ」という宣言を皆さんの前でしたときに、これから先、どんな付き合い
方を父とするのかなというのが、世話をする立場の人間として考えざるを得なかった場面でございました。
 私なりに、父の言う[存在者]とはどんなものだろうか、ということを折りに触れて考えてみたのですが、キ-になることは二つかなと思っております。
 
 一つは、先ほど宮坂さんがあっしゃったような戦争体験です。父は工員さんを束ねておりましたが、その人たちは日常においては気に入らない相手はすぐに刺す、あるいは男色の若い青年を奪い合ってヶンカをする、あるいは人殺しが起こる。そういうことを平気でやる人たちだった。ただ、その人たちが手榴弾の実験で即死をした仲間をみんなで担いで病院まで連れて行く。父は一緒に走っていたわけですが、その姿を大変美しいと感じたと言っておりました。

2019年6月3日

金子兜太戦後俳句日記

 
白水社 定価9000+税
解説「兜太の戦争体験」 長谷川 櫂

 金子兜太は61年間、ほぼ毎日、日記をつけていた。逝去後、18冊の3年日記と8冊の単年日記、計26冊の日記帳が遺された。
この『金子兜太戦後俳句日記』全三巻は日記原本を俳句関係の記述を中心に約三分の一にまとめたものである。

一人の俳人の壮年時代から老年期をへて殼晩年にまで及ぶ壮大な記録である。兜太の『日記』は日本の日記文学の血脈に連なるものだが、注目すべきは61年という長きにわたっていることである。

 日記の書かれた時代は戦後の昭和と平成、二つの時代にまたがる。そして昭和を生きた兜太と平成を生きた兜太は明らかに印象が異なる。単に年齢を重ねただけのものではない。

2019年6月2日

句集『全景』塩野谷 仁(しおのや じん)


著者略歴 塩野谷 仁 
昭和14年(1939)栃木県生まれ。
昭和37年「海程」創刊とともに、金子兜太に師事。第18回「海程賞」受賞。
平成11年「遊牧」創刊代表。
平成19年 第62回現代俳句協会賞受賞。
句集 『円環』『塩野谷仁句集』『独唱楽譜』『東炎』『荒髪』
評論集
兜太往還』
共著 『現代の俳人一〇一』など
現在 「遊牧」代表、「海程」同人。現代俳句協会幹事・研修部長。

  
自選十二句

  太古より雨は降りいて昼蛍


  夏あざみ鳥あつまるを河口という


  昼星の落つ音あらん大枯野


  水のつづきに水のある御慶かな


  あるだけの灯の点されて四月馬鹿


  地続きに落日もあり韮雑炊


  地球から水はこぼれず桜騒


  確実に階段は果つ天の川


  紅茸を蹴り夭折に遅れおり


  一月の全景として鴎二羽


  眠りには泥も炎(ほ)もある小豆粥


  風景のどまん中よりさくら散る

2019年6月1日

海程創刊50周年記念アンソロジー【同人の章・あ行~か行】

さ行~た行
https://kanekotota.blogspot.com/2017/11/blog-post_19.html
な行~た行
https://kanekotota.blogspot.com/2017/12/blog-post_10.html
ま行~わ行
https://kanekotota.blogspot.com/2017/12/blog-post_23.html
物故同人
https://kanekotota.blogspot.com/2017/09/blog-post_27.html

「海程句集3」平成24年 金 子  兜 太

左義長や武器という武器焼いてしまえ
差羽帰り来て伊良湖よ夏満ちたり
夏の猫ごぼろごぼろと鳴き歩く
老母指せば蛇の体の笑うなり
長寿の母うんこのようにわれを産みぬ
定住漂泊冬の陽熱き握り飯
熊飢えたり飢え知らぬ子ら野をゆけり
病いに耐えて妻の眼澄みて蔓うめもどき
合歓の花君と別れてうろつくよ
言霊の脊梁山脈のさくら
今日までジュゴン明日は虎ふぐのわれか
マスクのわれに青年疲れ果てている
わが修羅へ若き歌人が醉うてくる
津波のあとに老女生きてあり死なぬ
今も余震の原曝の国夏がらす
被曝の牛たち水田に立ちて死を待てり
被曝福島米一粒林檎一顆を労わり
泣く赤児に冬の陽しみて困民史
東京暁紅ひたすらに知的に医師たち
樹相確かな林間を得て冬を生く

「海程第2句集」平成14年 金子兜太
梅雨の家老女を赤松が照らす
少年二人と榠樝六個は偶然なり
小鳥来る全力疾走の小鳥も
酒止めようかどの本能と遊ぼうか
二階に漱石一階に子規秋の蜂     愚陀仏庵
長生きの朧の中の眼玉かな
夏落葉有髪(うはつ))も禿頭もゆくよ
青春が晩年の子規芥子坊主
春落日しかし日暮れを急がない
よく眠る夢の枯野が青むまで
鳥渡り月渡る谷人老いたり
妻病めり腹立たしむなし春寒し
雪中に飛光飛雪の今(いま)がある
暁暗を猪やおおかみが通る
おおかみが蚕飼の村を歩いていた
おおかみに螢が一つ付いていた
おおかみを龍神(りゅうがみ)と呼ぶ山の民
龍神の障(さえ)の神訪う初景色
山鳴りときに狼そのものであった
月光に赤裸裸な狼と出会う

2019年5月31日

English translation of Kanetotota haiku

金子兜太の俳句英訳




Twisted and seared
the marathon at the center 
of the atomic explosion

彎曲し火傷し爆心地のマラソン  
wankyokushi kashoushi bakushinchi no marason 

Twisted and seared
the marathon at the center 
of the atomic explosion

2019年5月29日

句集「月の呟き」 茂里美絵



著者略歴
1936年7月2日(昭和H年)東京都杉並区生まれ
1985年「風涛」(原子公平主宰)参加のち同人
1993年「海程」(金子兜太主宰)参加のち同人
1996年 海程新人賞受賞
1999年「遊牧」(塩野谷仁代表)創刊・2号より参加
2002年「風濤」退会
2010年 海程会賞受賞
2014年「拓」(前川弘明代表)参加
2015年 海程賞受賞
2016年「拓」終刊により退会
句集「海程新鋭集lV」
共著「現代俳句を歩く」「現代俳句を探る」

自選句

夜の新樹葉っぱそれぞれが個室
子馬らの群れて羽音のすこしある
自鳥帰るまひるの傷のように水
夢想とは自木蓮のゆっくり散る
低く来る蝶よひんやりと未來
草いきれ皮膚は牢のようでもあり
耳鳴りのたとえば秋の灯の波紋
一字一字夕ひぐらしの声かな
火口湖に降る銀漢の水こだま
セーター脱ぐ岸辺に鳥放つごと
人恋うる一瞬昏き昼の火事
蓮ひらくまひるの寝室のようなり

2019年5月25日

句集 「星狩」 清水 伶 (しみず れい)


著者略歴
1948年、岡山県生まれ。「朝」「海程」同人を経て、1999年、同人誌「遊牧」(代表・塩野谷仁)に参加、現在に至るっ現代俳句協会会員1千葉県現代俳句協会幹事。千葉県俳句作家協会会員。千葉日報・日報俳壇選者。
   
  「遊牧」同人の清水伶さんが第二句集『星狩』を上木された(平成29年3月31日、本阿弥書店)。序文は塩野谷仁「遊牧」代表で、多くの佳句を挙げながら、清水さんを「硬質の叙情」の俳人だと賞賛している。
 彼女自身の目指すところは「私の興味は書かれている句意が鮮明で、現実的な細部が感覚という、全体の多義性を深めた俳句を書きたいと願っている」とある。

第73回現代俳句協会賞受賞「星狩」50句   清水 


膕(ひかがみ)の昏きところを夏の緤
父の日の大笑面に逢いにゆく
幾万の蝶を翔たせて夏の空
昼銀河歩きはじめに羅生門
冬の鵙そっと点りて人体図
抽斗のなか紅梅の坂がある
初蝶は真夜にはぐれた花骨牌(はなかるた)
椿闇まぶたあるもの横切れる
胎生の無数の濁り白もくれん
深層の水買いにゆく夕さくら

2019年5月24日

句集「現在」我妻 民雄(わがつま たみお)


我妻民雄(わがつま たみお)略歴
昭和十七年 東京都台東区根岸生まれ
同 四十年 早稲田大学卒業
 大正製薬㈱に入社。在職二十年、広報・宣伝制作に携わる。JARO・    CL10の広告審査委員
現在小熊座同人、現代俳句協会年鑑部
第七回佐藤鬼房奨励賞 第九回小熊座賞
神田川連句会・連句集『午餐』(岡部桂一郎・松井青堂らと共著)
第一句集『余雪』

高野ムツオ十五句選

遥かとは雪来るまへの嶽の色
白雲に秉るべく蕪土を出る
西は被爆東は被曝赤とんぼ
茅花流し人類だけが嘘をつく
墨堤やいまも昔の都鳥
空爆の空につながり冬茜
その上は犇く星座鳥雲に
海からは上がれぬ形して海月
地上から照らされてゐる鰯雲
風花を待つ出稼の裔として
花片の間(あひ)あひに闇石蕗の花
住まふ屋根住まはぬ屋根や春の月
学校に生まれては死ぬ蝉の声
苦瓜に百の涙状突起あり
終着のつぎは始発や雪催
    

2019年5月23日

金子兜太 自選百句

 


  
『語る兜太』より95歳自選百句
  
 白梅や老子無心の旅に住む       『生長』
 裏囗に線路が見える蚕飼かな

 山脈のひと隅あかし蚕のねむり     『少年』
 曼珠沙華どれも腹出し秩父の子
 霧の夜の吾が身に近く馬歩む
 蛾のまなこ赤光なれば海を恋う
 木曽のなあ木曽の炭馬並び糞(ま)る
   トラック島三句
 被弾のパンの樹島民の赤児泣くあたり
 魚雷の丸胴蜥蜴這い廻りて去りぬ
 水脈の果て炎天の墓碑を置きて去る
 死にし骨は海に捨つべし沢庵噛む
 朝日煙る手中の蚕妻に示す
 独楽廻る青葉の地上妻は産みに
 墓地も焼跡蝉肉片のごと樹々に
    会津飯森山
 罌粟よりあらわ少年を死に強いた時期
 きよお!と喚いてこの汽車はゆく新緑の夜中
 雪山の向うの夜火事母なき妻
 暗闇の下山くちびるをぶ厚くし
 白い人影はるばる田をゆく消えぬために
 霧の車窓を広島走(は)せ過ぐ女声を挙げ
 原爆許すまじ蟹かつかつと瓦礫歩む

2019年5月21日

句集『聊楽』董 振華(とう しんか)


帯より  金子兜太

春暁の火車洛陽を響かせり        董 振華

 董振華の作品は土地土地の風物を題材として取り入れ、そこで感応し思惟したことを書き込んでゆく、若い感性は、活気とともに多感旅愁にとらわれることも多く、それに逆らわず表現している。
 
著者略歴
中国北京出身、別名櫻井尚史。北京第二外国語学院アジアアフリカ学部日本語学科卒業後、中国日本友好協会に就職。中国日本友好協会理事、中国漢俳学会副秘書長等を歴任。早稲田大学大学院アジア太平洋研究科国際関係修士、東京農業大学大学院農業経済学博士。平成八年慶應義塾大学留学中、金子兜太先生に師事して俳句を学び始める。平成十年「海程」同人。[海程]終刊後、後継誌「海原」同人。日本中国文化交流協会会員、現代俳句協会会員、中日詩歌比較研究会会員。俳句集『揺籃』『年軽的足跡』『出雲駅站』等
随筆『弦歌月舞』。訳書『中国的地震予報』(合訳)、『金子兜太俳句選訳』『墨魚的蛍光灯』、映画脚本、漫画等多数。

平成28年 金子先生宅にて

序  金子 兜太 私の好きな句のいくつかを記しておく。

春暁の火車洛陽を響かせり
微夢半醒の華北平原火車通過
春耕や郷思の影に月の光(かげ)
葉桜となりなお急ぎ足となり
皆既日蝕から日常へ黙契とは
万里の長城でんでん虫振り向いた
仮設住宅の放送聞こゆカナカナカナ
盆の月峠越えれば寝るとする
明月を独り占めして対飲す
朝日燻り夕日燻らせ秋分日誌
初冬の独り居という一行詩
如月の月影少年の猫背来る
 

2019年5月20日

「高木一惠句集」



帯・宇多喜代子
金子兜太から高木一恵に渡されたく日の夕べ天空を去る一狐かな>は、
定住の意志と千里万里を飛ぶ漂泊の自在、加えて「日常で書く」と
いう師弟に通う思想をよく伝えており、この句集を支える強い根太と
なっている。高木一恵の誠実で勤勉な俳句人生への至上の褒美であり
鼓舞であろう。

[自選十二句] 『榧の舟』より

啓蟄や川から畑へ水運ぶ

国生みの矛にもぐらの春の土

みちのくの沈みきれない紙の雛

余震なほ倒木が抱く蝌蚪の水

さよならの無くて薔薇より濃き別れ

夜の噴水菩薩と見しは気の迷ひ

鰹一本ノーネクタイの背広で来

特攻花ゴルフボールを隠しけり

古りしわが五体百態ねむの花

柞紅葉まとひ鬼の子秩父の子

美しい卵が二つ冬の家

定住漂泊おぼろ狐の尾の千切れ

2019年5月19日

句集『秋の道(タオ)』安西 篤

平成29年度現代俳句大賞に、安西篤さんが受賞しました


現代俳句賞の目的
本賞は、現代俳句の視野と展望のもとに広く俳壇を見渡し、現代俳句の発展に寄与され、優れた功績を残された方を顕彰するものです。平成13年度に現代俳句協会大賞を受け継いで設けられました。
◇本名 安齋篤史。
・昭和 7年(1932年)4月14日三重県生まれ(82歳)。
・昭和32年(1957年)職場の先輩、見学玄・船戸竹雄
 両氏の知遇を得て梅田桑孤氏編集の「胴」 同人となる。
・昭和37年(1962年)「海程」入会、金子兜太に師事。
・昭和59年(1984年)より昭和62年(1987年)まで
 「海程」編集長。
・平成 3年(1991年)海程賞。
・句集に『多摩蘭坂』『秋情(あきごころ)』『秋の道(タオ)』
 著書に『秀句の条件』『金子兜太』共著に『現代の俳人101』
・現在、現代俳句協会副会長、海程会会長。


安西 篤 『秋の道(タオ)』 自選五十句

  春霞猫がひきずる寝巻紐
  沈黙の直球が来る桜闇
  火蛾舞うや醜の御楯という言葉
  蟇轢かれやがていつもの土となる
  打ち水やちょっとそこまで逝きし人
  憲法九条座敷に椿象(かめむし)いる気配
  女郎花もう死ぬといいまだ死なぬ
  秋の道(タオ)百をかぞえる間に暮れる
  色即是空紅葉の景をはみ出して
  かもめ来よ餌づけはキスの素早さで
  人日のあたまの下に在るからだ
  犬猫(ポチタマ)の芸めでたしや寿(いのちなが)
  創(はじめ)にことばそしてはじまる初景色

金子兜太一周忌会見


ゲスト / Guest

  • 嵐山光三郎

    作家
  • 河邑厚徳

    映画監督
  • 黒田杏子

    俳人
  • 下重暁子

    作家

2019年5月18日

句集『赤眼の腕』中内亮玄(なかうち・りょうげん)


中内亮玄(なかうち・りょうげん)略歴
金子兜太に師事 主宰誌「海程」同人
俳句結社「狼」同人 現代俳句協会会員
句文集「眠れぬ夜にひとりで読んでみろよ」
句集「青の麒麟騎士団」
随筆「兜太の遺伝子」


剥き出しの心臓である冬の汽車
車掌来て枯野を連れて行くように
黒縁の眼鏡に明朗なる大寒
別れ霜余震のテロップは無音
すれ違う人の傾き冬に入る
雪の夜は彼方の森が近くなる
桜散る僕らはまどろみの魚影
愛といいさくらしくしくと散らん
満開の空混み合うや花篝
桜とは無窮誰もが置いてきほり

2019年5月14日

『土がたわれは』金子兜太(昭和45年8月号 俳句)

『土がたわれは』金子兜太(昭和45年8月号 俳句)

 俳句は人間不在である」あるいは、「現代俳句にいたって、
ようやく人間が所在するようになった」――という言葉を
よくきくが、この奇妙な断定が、私には最大の関心事なので
ある。私は、この「人間」にとりつかれて俳句を作るように
なり、戦後は、ムキになって、とりっいてきた。そして、今
後も、この「人間」から離れることは絶対にできない。

 それにしても、人間不在とか人間所在とかいう言いかたは、
まことに奇妙である。軽い受けとりかたで考えても、バカバ
カしいことなのである。たとえば、有季を約束とする伝承に
従って作られた俳句が、有季に吸いよせられて人間が不在化
した、などと言ったら、それは噴飯ものであろう。たしかに、
有季の約束が、有季を金科玉条とし、季題描写に全精力をか
たむけてしまう結果、精力を傾けている御本人の影も形も、
まことに薄曇りの日のようにかすかにしか見当たらなくなる
ことはある。

2019年5月12日

「小林一茶」やけ土のほかりくや蚤さはぐ

文政句帖以後 ・文政9-10年(1826-1827)  64歳-65歳

やけ土のほかりくや蚤さはぐ

火事あとの焼け土はまだほかほかとあたたかいです。蚤もいい気持でさわいでますわい。まだ元気です。

 文政10年、信濃紫にいる門人の久保田春耕にあてだ書簡に書きとめられている。前書に
「土蔵住居して」とある。
 この年の閠6月1日、柏原に大火があって、一茶の家も類焼した。焼け残った土蔵に仮住いしていたのである。妻のやをとは前の年に結婚している。

 この句は、そういう目常のなかでできたものだが、飄逸の風がある。被災をあまり苦にいない感じがある。しかし、湯田中で盂蘭盆を行ったときの句は、「御仏は淋しき盆とおぼすらん」とあって、淋しいということば以上に、しみいるような淋しさがあった。
「焼後田中に盆して」の前書じたいもひどく淋しい。

2019年5月11日

「小林一茶」 旅人や野ニさして行流れ苗

文政句帖・文政5年-8年 (1822-1825) 60歳-63歳

旅人や野二さして行流れ苗

 流れた苗を拾って、田に挿してゆく。その人の影が水田に映りながら
遠ざかった。旅人でる。流れ苗にもこころが寄るのだろう。

 文政5年、一茶60歳の作。『文政句帖』は、句日記としては最後の
もので、[荒凡夫のごとき、59年が問、闇きよりくらきに迷ひて、云
云]と冒頭に書きつけてはいるかそれなりの成熟もある。『享和句帖』
(41歳)を中心に展開した一茶の感性的資質が、七番日記、八番日記
あたりで揉みに揉まれて、やっとここにきて、なんとない熟成をあらわ
すのだが、熟成即ち衰弱ともなる。この句帖の後段はかなりの老衰を感
じさせる。しかし「荒凡夫」の生と表現は、そういうものであって、円
熟などというものとは縁遠いところに魅力があるのだ。

 ところで、この句だが、同時期、「夏山やどこを目当に呼子鳥」という句が別にあって前書がある。それによると、隣国越後に選明という人がいて、自分を訪ねるといって出掛
けたのだが、行衛がわからなくなってしまった。そのため、その子が探しに出て、自分のところに尋ねてきたというもの。夏山の重なりを分け、越えて、父を探ナ子、また、その
重畳の山なみのどこをうろついているのかわからないその父の流浪-それが一茶のなかにずっと残ったのではないだろうかい北国街道をゆく旅人は多い。一茶は、あの人が、その父ではないか、と普段以上に気を使っていたのだろう。

2019年5月10日

「小林一茶」雀の子そこのけく御馬が通る

八番日記 文政2年-4年(1819-1821)  57歳-59歳

雀の子そこのけく御馬が通る

そこをどきなよ 雀の子 ひんひんお馬が通るじやあないか うっかり
してると踏まれるぞ

 ――文政二年の作。「雀の子」は『歳時記』では晩春の季題で、巣立
ちのとき、地におちて、子供や猫に捕えられたりする。嘴が黄色いとき
なので「黄雀」ともいうが、燕の子は、巣のなかで大きな囗をあいて餌
を待っているところを題材にされやすいが、雀のほうは、この巣立ちの
時期がねらわれるんだね。一茶には別にも、有名な、「我と来て遊べや
親のない雀」があるが、この「親のない雀」が「雀の子」ということに
なって、無季の句ではなくなるんだよ。ちょっと、くるしいところだ。

2019年5月9日

「小林一茶」 痩蛙まけるな一茶是ニ有

七番日記・文化7-文政元年(1810-1818) 48-56歳

痩蛙まけるな一茶是ニ有

お前の味方はこの一茶だぞ。さあ、負けるなよ痩蛙。

 ――文化13年の作で、有名な句だが、内容は、軽い呼びかけ、いさ
さか戯れ気味の呼びかけととるべきものだ。この年には「時鳥なけなけ
一茶是に有り」もある。「一茶是ニ有」は軍記物にでてくる名乗りの調
子で、これがおもしろくて作っている節もある。

 ――この句は真面目すぎる受けとられかたをしていますね。前書にも
あるように「蛙たたかひ」を見にいって作ったもので、別の前書ではも
っとくわしく「武蔵国竹の塚で蛙のたたかいがあるというので見にい
った」と書いてあります。竹の塚は、奥州街道を千住から草加のほうへ
少しばかり入ったところで、現在は東武線の駅があります。蛙のたたか
いには二説あるんですが、一つは、蛙合戦ともいわれて、蛙がたくさん
集って生殖行為を行うことなんですね。雌は一匹で、雄が大勢だから、
どうしても雄どうしのたたかいになる。痩せたやっは分がわるい、と
いうわけです。いま一つは、一匹の雌に数匹の雄を向かわせる遊びで、
金銭を賭けることもあるそうです。どうも最初の説のほうが、この句
にはふさわしいようにおもいます。高調子で、戯れて呼びかけるには
蛙合戦のほうがいいですよ。