2018年2月28日

「金子さん死去」誤報記者を出勤停止に

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2月28日東京新聞に、金子先生死去の誤報について掲載されています。
時事通信社では報じた記者を出勤停止の懲戒処分とし上司もけん責とか・・・・
同社によると、記者は十九日午前、
金子さんと関係の近い人物からの情を基に死去の速報と記事を配信したと・・・・。
近しい〇〇さんは金子先生の見舞いに行ってつぶさに病状を確認した。
いくら記者魂があっても公と私事は別物、早とちりはまずい。朝から変なニュースを読まされました。

朝日新聞
https://www.asahi.com/articles/ASL2W56HLL2WUTIL02W.html

2018年2月27日

「望郷」金子兜太



特別作品 金子兜太

昼月に黒点被曝の福島何処へ

草鳴りの語ありや草莽の人ありき

夕星に母らしき声の韻くよ

父母ありき老いて且つ生き父母ありき

秩父谷桜並木に猪遊ぶや

夏潮のみちのくの民孤化あるまじ

窓より覗く洒落たホテルの秋去る顔

熊谷や秩父の星影冬深く

奥秩父両神武甲冬の深さよ

片頰に冬日次第にしぼむ老い

2018年2月号 現代俳句協会 
https://www.gendaihaiku.gr.jp/journal/


2018年2月25日

「海程句集」金子 兜太


「海程句集3」平成24年 金 子  兜 太

左義長や武器という武器焼いてしまえ

差羽帰り来て伊良湖よ夏満ちたり

夏の猫ごぼろごぼろと鳴き歩く

老母指せば蛇の体の笑うなり

長寿の母うんこのようにわれを産みぬ

定住漂泊冬の陽熱き握り飯

熊飢えたり飢え知らぬ子ら野をゆけり

病いに耐えて妻の眼澄みて蔓うめもどき

合歓の花君と別れてうろつくよ

言霊の脊梁山脈のさくら

今日までジュゴン明日は虎ふぐのわれか

マスクのわれに青年疲れ果てている

わが修羅へ若き歌人が醉うてくる

津波のあとに老女生きてあり死なぬ

今も余震の原曝の国夏がらす

被曝の牛たち水田に立ちて死を待てり

被曝福島米一粒林檎一顆を労わり

泣く赤児に冬の陽しみて困民史

東京暁紅ひたすらに知的に医師たち

樹相確かな林間を得て冬を生く

海程同人10句掲載リンク
海程同人50周年アンソロジー 名前 あ~か
海程同人50周年アンソロジー 名前 さ~た

2018年2月22日

いとうせいこう氏「金子兜太」追悼文


2018.2.22東京新聞紙上からアップさせて頂きました

 俳人の金子兜太さんとともに、本紙「平和の俳句」で選者を務めた作家いとうせいこうさんが、追悼文を寄せた。

 いつかこの日が来ると思い、会う度に苦しかった。大好きな人だった。訃報は休暇で出かけたハワイーマウイ島に着いたあと、電子メールを開くと届いていた。
機内では何も知らずに真珠湾の記事を読み、空港で日系移民の展示を見て第二次大戦のことを考えていた。

 その時間にはもう、あの巨人は旅立たれていただ。私が時差を飛び越えているうちに、海の向こうに隠れてしまった。数日前に死亡記事が通信社の誤報で流れたことも、我々のショックをやわらげるための兜 太さんの優しい冗談だった気がしてくる。

 自分にとって大きな山のような、どこまでもひたすら懐かしい親戚のような人であった。兜太さん自身も、今年初め埼玉県熊谷市のご自宅へ会いに出かけた折だったか、「いくら言いあいをしようが殴りあおうが、大切な友人であることは変わらない。それがあん
ただ」と言ってくれた。私ににそれが遺言だ。

 幸いにも二十数年前「伊藤園お~いお茶新俳句大賞」の選者として知りあって以来、対談集(『他流試合』講談社十a文庫)まで出していただき、晩年には「平和の俳句」選者として二年八ヵ月、毎月、東京新聞で会って話した。選句を生で見ることが、自分には
何にも勝る勉強であった。

よく出来た句には「つまらん」と言った。破天荒な句には「素直だ」と言った。どれほど体調がすぐれなくても、選句だけは早かった。

 現代俳句における偉大な業績はもちろんのこと、社会に関わる筋の通った活動にも目覚ましいものがあった。文学者として、また戦争体験者としての世界、そして人間への深い洞察はいつまでも私たちを導くだろう。

『他界』金子兜太


もう一度読んでみたい本です
なにも怖がることはない。
あの世には懐かしい人たちが待っている

竹丸は死ねば終わりだと思っていたがこの言葉を見た時勇気を貰った。宗教心の薄い日本人は来世なんてバカなーというのが大方だが来世では、懐かしい人たちと会ってつもる話や共に楽しむことが出来るのだ。
誰に会いたいか??
それは両親だ。
この言葉を思う度、心の支えとなります。

2018年2月21日

金子兜太訃報

2017年、海程全国大会が終わりほっとした先生
悲しいお知らせが・・・・・
夕べ、金子先生が亡くなりました。
二週間前から誤嚥性肺炎で入院中でした。
最後は苦しまず亡くなったそうです。
葬儀、告別式は近親者で行うそうです。
お別れ会については未定です。


2/21東京新聞夕刊)今の社会風潮「憂えていた」長男の真土さん

 熊谷市内の金子さんの自宅には訃報を聞いた俳人仲間らが弔問に訪れた。長男の真土さんによると、金子さんは今月六日に自宅で昼食を取っていた際、食べ物が気管に入り、同市内の病院に緊急入院。高熱を出し、肺機能が低下す深刻な症状が続いていた。真土さんと妻知佳子さんが見守る中、最期は大きく息を吸うようにして亡くなった。

 「俳人としての活動で不在が多く、あまり父という印象はない」と真土さん。近ごろは「今の社会は戦争へのアレルギーをなくしてしまっている。勇ましさを支持する人々が増えている、と憂えていた」という。六日の入院直前、「息苦しいのでは」と心配して尋ねた真土さんに「いやあ、こんな(呼吸の)音がするのは俺の癖なんだよ」と返した金子さん。最後の言葉となった。

奇しくも二十日は亡き妻皆子さんの十三回忌が予定されていました。

猪が来て空気を食べる春の峠    兜太
早春の清冽な空気のなかで私もイノシシも大きく息を吸って精気を養っているという句です。


釜伏峠の傍に金子先生は山小屋を構えていました。
朝早く沸き立つ霧の下には皆野町がありました。
皆子さんと春の峠で山脈を見ながら懐かしい秩父の
生家を見下ろしているでしょう。
その場所で春と秋に金子兜太の俳句道場が開催され、
厳しい指導のもと海程の仲間たちと俳句を作りました。
夕焼けの両神山を見ながら、

春落日しかし日暮れを急がない   兜太
この句は、春の暮れない陽(ひ)と自分が年取っても"老いないぞ "という二つの意味重ねられています。


とても好きな句です。
金子先生、本当にありがとうござました。


東京新聞
朝日digital
NHk
Yahoo!
産経新聞から
戦後の俳句改革運動を率いた俳人で、平和運動にも尽力した現代俳句協会
名誉会長の金子兜太(かねこ・とうた)が20日午後11時47分、急性
呼吸促迫症候群のため埼玉県熊谷市の病院で死去した。
98歳。埼玉県出身。自宅は熊谷市。葬儀・告別式は近親者で行う。
喪主は長男真土(まつち)さん。

 10代から俳句を作り、加藤楸邨に師事した。東京大(当時は東京帝大)
経済学部を繰り上げ卒業後、日本銀行に入行したが、海軍主計中尉として
南洋のトラック島に赴任。復員してからは「社会性俳句」「造形俳句」を
提唱。俳誌「海程」を創刊して主宰となるなど、前衛俳句運動をリードし、
理論的支柱となった。

1956年現代俳句協会賞。83年から同会長を務め、2000年に同
名誉会長に。02年「東国抄」で蛇笏賞。08年文化功労者。
日本芸術院会員。

2018年2月20日

金子兜太句集『日常』 


第14句集 『日常』 金子兜太 
ふらんす堂 2009年6月刊 2800円

帯 15句

秋高し仏頂面も誹諧なり

安堵は眠りへ夢に重なる蟬の頭


濁流に泥土の温み冬籠


左義長や武器という武器焼いてしまえ


みちのくに鬼房ありきその死もあり


長寿の母うんこのようにわれを産みぬ


民主主義を輸出するとや目借時


炎暑の白骨重石のごとし盛り上る


母逝きて風雲枯木なべて美し


いのちと言えば若き雄鹿のふぐり楽し


枯谷ゆく生死一如には未だし


無妻いまこの木に在りや楷芽吹く


ぼしやぼしやと溲瓶を洗う地上かな


生きるなり草薙ぎ走る山棟蛇


今日まではじゅごん明日は虎ふぐのわれか


現代俳句の場  金子兜太


2007年刊 この本から抽出しました

 平成3年の冬季号か平成7年秋季号までの5年間、俳句欄の選を担当した。担当していて端的におもっだことは、俳句に関しては、この本(『抒情文藝』)は、ユニークな場所を提供している、ということだった。

 「俳壇」とは何ぞや、となると、かくかくのものといいきること昔と違って難しくなっ
た。結社、同人、総合俳句誌、それに新聞雑誌の俳句欄を加えなければなるまい。さらに、ここ十数年、自治体、企業の企画する俳句関係のイベントが増加し、少年少女の俳句への関心を剌激している。「新俳句」といわれるものがその企画のなかで多産されている。これらを「俳壇」内の動向と見るか、外の動向と見るか、難しいのである。

 それにしても、結社誌の過半と俳句総合誌は、内容の上でも雰囲気でも、よく似、季定型」を、程度の差はあっても信奉している。高浜虚子が、大正初期に、河東碧梧桐の「新傾向」俳句と、そこから生まれてきた「自由律」俳句に対決して、「有季定型」のスローガンを掲げた。

そのときからこの四文字が俳句界に広く信奉されるようになったのだが、それ故に、大正期以降伝承されてきた俳句観であって、伝統とはいえない。世の中には俳句史を知らないで、「有季定型」に基づく俳句を伝統俳句などと呼ぶが、これは正確ではない。正確には「伝承俳句」というべきものなのである。

金子兜太YouTube動画 14/10/20 秩父俳句道場

 2014.10.20 秩父俳句道場の動画です。


道場で兜太先生と、宇多先生がそれぞれ戦争体験を語りました。
聞き応えがありますよー。もう一度聞いてみたい方のために・・・・。 






句集「出雲驛站」董 振華(とう しんか)



著者紹介

中国山西省生まれ。北京人。北京第二外国語大学アジア、アフリカ語学部 日本語科卒業後、中日友好協会に就職。
平成八年から、金子兜太について俳句を学び始める。現在中日詩歌比較研究会会員。北京良寛研究会会員。「海程」同人。句集に「揺籃」「年軽的足跡」<青春の歩み>がある。

序に代えて    金子 兜太 

董振華の句集はこれで三冊目で、第一句集は日本の大学に留学中、第二句句集は留学が終わって帰国後、間もない時期のものだった。

今度の第三句句集は、そうした日本での学生生活の日常を土台としたものと違って、国際交流員として島根県に在住し、県や県内の自治体、商工団体企業が中国との経済交流をすすめてゆくための、さまざまな支援活動を一年間つづけた。その生活から産まれたもの。いわば多忙な実務活動を土台とした所産なのである。


 したがつて県庁所在地の松江に居住し県内各地、さらに故郷の中国各地に出向いている。作品はその土地土地の風物を題材として取れ入れ、そこで感応し思惟したことを書き込んでゆく。若い感性は活気とともに多感。旅愁にとらわれることも多く、それらを逆らわず表現している。

 董振華との付き合いは長いが、この青年が驚くほど早い時期に、日本語で俳句を書ようになり、その語感が美しく、内容の豊かなことに感心してきた。天性の詩才に恵まれてる証拠とも思うが、日本人のかなりの人に見受けられる修辞を必要以上に凝らして書く俳句よりはるかに平明で、魅力を覚える。中国人でなければ書けない俳句の新鮮さがある、
といってもよい。私の好きな句のいくつかを記しておく。

  春津和野近づけば鯉遠ざかり

  春耕や郷思細細と来れり

  春宍道湖観音の顔を真似ており

  風の谷夏きわまりて日の暮るる

  夏の旅重ねて黙りがちのわれ

  睡眠薬の彼方に居たり蛍たち

  秋灯一つ二つ消えゆく月照寺

  地平線より立冬の光澄みきる

  冬月のぼり血圧のぼる孤独かな

  嘘をつく弱さと雪と融けにけり

2018年2月19日

兜太句を味わう「おおかみが蚕飼の村を歩いていた 」

 

金子兜太と言えば一連の「オオカミ」の句がある

故郷の秩父三峯神社は狼が守護神、狛犬の代わりに神社各所に狼の像が鎮座
している。
江戸時代には、秩父の山中に棲息する狼を、猪などから農作物を守る眷族・
神使とし「お犬さま」として崇めるようになったそうです。
小倉美惠子著「オオカミの護符」にも書かれています。金子先生は「生きもの
同士の共感、」相手の生きものに「原郷」というものを感じていた。その原郷は
アニミズムの世界であると述べています。

 狼をりゆう神と呼びしわが祖
 
 暁闇を猪(しし)やおおかみが通る

 おおかみが蚕飼(こがい)の村を歩いていた

 おおかみに目合(まぐわい)の家の人声ひとごえ

 おおかみに蛍が一つ付いていた

 狼生く無時間を生きて咆哮

 山鳴りに唸りを合わせ狼生く

 山鳴りときに狼そのものであった

 狼や緑泥片岩に亡骸 (なきがら)

 山陰に狼の群れ明くある 
 (やまかげに おおかみのむれ あかくある)

 狼の往き来檀の木のあたり

 狼墜つ落下速度は測り知れず

 狼に転がり墜ちた岩の音

 狼を龍神と呼ぶ山河かな 





金子兜太アルバム 

戦争体験が基となり反戦意識を深め復員後、日銀労働組合の専従となるがレッドパージで退かされ、その後俳句に専念。1962年、同人誌「海程」創刊、後主宰となる。現在98歳になり、戦争体験を伝えることを念頭に活動中の金子兜太です。

句集『天田や屋文ェ門』中村ヨシオ

東京四季出版 2600+税

 序に代えて   金子兜太
 
 寝室は十燭石蕗はいま五燭

 「寝室は十燭」と明るさが数字で示されることへの珍しさが新鮮に通じている。一面、くどいという思いもあるが……。「石蕗は……五燭」という感じ方は新鮮さの方が強い。こんなところにこの句は、単なる景色というよりも感じ方の独特さがあり、独特さのもつ新鮮さがある。

 最初この句を読んだときは、「十燭」を十個の燭と感じた。いまふと十燭光ではと思ったのだが、これが曖昧のよろしさで、十個の燭のある感じ、十燭光の明るさの感じの両方で読んで置いて、「寝室は十燭」、「石蕗は……」はその半分という感じの面白み、新鮮さがある。曖昧ではあるがなんとも言えない魅力。その魅力の焦点は、寝室には十個の灯の光があり、石蕗は五つの花が咲いている感じでもいいが……。その対照の面白さに新鮮味を覚え、そういう風景の受け取り方に感銘を覚えるのだ。

 この句には、物の見方の面白さもあるが、書き方の面白さもある。そして書き方の面白さによって結構いろんなことが喚起され、その風景から離れた情景が出てきたり、感銘が出てきたりということがある。そんな例としてもこの句はある。例えば、この句から洋風の建物が浮かぶ、その洋風の建物と石蕗との対照の気の利かせ方がある、そしてそこに住む標準の人の生活が見えてくる……。現代生活の書き取り方の巧みさみたいなものがこの句にはある。その意味での新しさかおる。

2018年2月18日

句集『情の帆 こころのほ』篠田悦子(しのだ えつこ)


著者略歴 
篠田悦子 しのだえつこ
昭和五年十月、山梨県生まれ。昭和六十三年、カトレア俳句会を経て「海程」入会。平成四年、「海程」同人。第二回海程会賞、第四十九回海程賞、第四十回海隆賞受賞。現代俳句協会会員。埼玉文芸家集団会員。

序に代えて     金子兜太
  栖み古りて武州のみどり情(こころ)の帆
  夏の森一番星のため暮れる
 しっかりと自分の生活を身に付け、潔癖にからっと乾いていて、誠実に真面目にやっている篠田悦子の姿が此処にある。
 長いこと野草に親しんでいる篠田は武州の木々の緑の暖かさ、奥行きの深さを感受して生きていると思う。
 人間から植物、植物から人間へと大きく往き来する「こころ」即ち情(こころ)の動きを見る思いが普通にあり、そんな篠田の情(こころ)が、九十七歳の自分にいま、 柔らかく扶けになることが多い。


  ラムネ飲む常識お化け躱しながら

  紅花百貫ほどの夕日が裏口に

  濁流や逝く夏の木の間がくれ

  鮎のぼる土着のしずけさ妹たち

  会釈して御馬草(みまくさ)が匂う信濃人

  平凡とは丸いおにぎり森林浴

  葱焼ける野の匂いかな懐(ふところ)

  霾や地球に人が居なくても

  草木瓜の花胸熱く八十路なり

  人として棒立ちの汗爆心地

 ざっと取り上げて見て、改めて感心している。今更ながら嬉しく思う次第である。

句集『短編集』日高 玲(ひだか・れい)


著者略歴    日高玲(ひだか・れい)
1951年12月 東京生まれ
1973年ごろ「東京義仲寺連句会」にて連句に親しむ
1996年   束明雅主宰「猫蓑連句会」入会
2003年   退会
2003年9月 「海程」入会
2007年   「海程」新人賞受賞
現在     「海程」同人

――手法の自由さ   金子兜太

蛍火や野生の相(そう) となりて死す  日高 玲 

 夫君他界のときの策とおもうが、俳句の会でお目にかかって間もなく、連句の会の常連であった夫君が亡くなった。夫婦仲良く連句と俳句に親しんで亡くなった。そして、付合の手法を一句の句作りにも活用しして独特な俳句の世界を築いていったのだ。眼が大きくて明るい。
 たとえば俳句の一泊吟行会に参加したときも遊牧のように鼻梁の並ぶ春の眠り  日高玲と。枕を並べて眠る句友を句材として親しむ新鮮に消化してしまうのである。
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自選十句
春の夜の水音よみ人しらずかな
囀りや緑の眼眠る柩
白牡丹うつらうつらとうまい嘘
寝物語に犀の生き死に無月なり
紅葉かつ散る大航海時代かな
馬肥ゆる大津絵の鬼どんぐり眼
熊撃たる日曜の僕のベッド
ふぐ刺しの震えのように君寄り来
お降りや短編集に恋の小屋
なまはげの三人でゆく一列

句集「恋のぶきぶき」 川崎千鶴子(かわさき ちづこ)

                 文學の森  2667E


自 選 十 句
もういちど蝶になりたい白い紙
春眠をむさぼる力浮き麩かな
恋猫や声のぶぎぶぎ僕もぶぎ
田水張るぶるっと記憶もどるかな
夏星を挑発露天風呂のわたし
蟻じぐざぐ人間じぐざぐ眠るまで
七十年ぽっちの平和原爆忌
分校さびし本校さびし水母かな
鬼百合やひとり欠伸は手を添えず
まんげつの終着駅の海鼠かな

句集『秋の蜂』 川崎益太郎(かわさき ますたろう)



序に代えて    金子兜太
                    
 漂泊の表面張力すすき原  益太郎

 川崎益太郎のこの句、「漂泊の表面張力」という捉え方が魅力的で、「漂泊」の語義を詮索し始めると詰まらなくなりそうだ。一般的な感覚で受取りたい。
漂泊感でよい。そうすると、風に揺れているような揺れていないような、芒原の広い(この広いが大事)広がりが見えてくる。その頼りげな広がりの感触を「漂泊の表面張力」と言う。陽光まで感じる。人っ子一人いない。
   「海程」二〇〇七年五月号(新・秀作鑑言

 九条が耐える狂風原爆忌  益太郎

自主防衛の原則(九条)から、集団自衛へと色眼を使い出した政治の危うそ若者の命の危うさ。第25回ヒロシマ平和祈念俳句大会(金子兜太特選句・選評)

句集『黄鶺鴒』鈴木修一(すずき・しゅういち)


著者略歴  鈴木修一

昭和35年11月 秋田県秋田市に生まれる。
昭和60年 歌誌「香蘭」入会(平成4年まで)俳誌「礁」(鈴木勁草代表)「みづうみ」に参加
昭和61年  鷹(藤田湘子主宰)に投句開始(昭和63年まで)
昭和62年  海程に入会
平成3年  詩の創作を始める。「詩民族」(佐藤博信代表)に参加。
平成4年  第27回海程新人賞受賞
平成8年  県高文連文芸部会俳句部門の講師、選者を務める。(平成15年まで)
平成9年  合同句集『海程新鋭集 第2集』に自選100句を発表
平成20年  第6回同人年間賞受賞
平成21年  第9回海程会賞受賞
現 在[海程]同人、現代俳句協会会員

序に代えて     金子兜太
人の背は瀬音に黙し黄せきれい  

 川っぺりにこういう風景はよく見受けるよね。多分男の人でしょう、すーつと川原に立っていて、瀬音だけが妙に聞こえてくる。その人は黙っている。
その傍近く黄せきれいがチョンチョンと飛んでいる。黄せきれいで、なんとなく明るい気分。
 意味を探る必要のない句ですね。なんとなく懐かしさのある風景だけを静かにとらえればいい。その風景をとらえている人の気持ちのやわらかさ懐かしさというのがいい。妙に知的な感じの男の人の背中を感じるね。
    (「海程」192号所収「秀作鑑賞」より)


句集『風あり』内野 修(うちの おさむ)


著者略歴 内野 修
1943年5月30日 埼玉県大里郡妻沼町(現熊谷市)生まれ
句集「単発機」『直登』
現在、「海程」同人、現代俳句協会会員、NHK学園俳句講座講師、
埼玉新聞「埼玉俳壇」選者

あとがき
一九九三年から二〇一二年までの二〇年間の作品の中から、各一年間の作品を二〇句ずつ選んで、四〇〇句をまとめて第三句集とした。
『風あり』という句集名は、自然とともにあるという人生観を表している。これからも自然とともにあり、人間(じんかん)にあって、俳句を作ってゆきたいと思っている。

  二〇一五年 晩秋           内野 修


日本人余分に笑ふみぞれかな     

寂しさの大きさ鹿の大きさに      (大台ヶ原)

蝶の目のらんらんと我の汗を吸ふ   (大杉谷)

藁塚と愛犬匂ふ日暮れかな     

母亡くて春の日ざしのありにけり    (母みまかる)

草刈ってきけいに刈って一休み

秋の夜のテレビを少し乱しけり     (NHK俳壇に出演)

句集『羽後残照』武藤鉦二(むとう しょうじ)


略  歴 武藤鉦二(むとう・しょうじ)
昭和10年  12月 秋田県生れ
昭和30年  西東三鬼により俳句入門 34年F断崖」同人
昭和37年  金子兜太に師事「海程丿入会 39年「海程」同人
昭和48年  秋田県俳句懇話会「作家賞」受賞
昭和52年~ 現代俳句協会員
昭和58年  昭和57年「合歓」賞受賞
平成2年  秋田県国語教育研究賞受賞
平成11年  しらかみ句会設立 「しらかみ」創刊
平成13年~ 海程秋田支部長
平成13年~ 14年 秋田県現代俳句「作家賞」2年連続受賞
平成15年  第4回「海程会賞」受賞
平成15年  句集「羽後地韻抄」(うごちいんしょう)上梓
平成16年  第29同・平成15年度 秋田県芸術選奨受賞
平成16年~ 北羽新報新春文芸俳句選者
平成18年~ 秋田魁新報「さきがけ俳壇丿選者
平成19年  第41回「海程賞」受賞
平成21年  秋田県俳句懇話会「作家賞」受賞
平成23年  第43回秋田県芸術文化章受章
現  在  「しらかみ」主宰「のしろ俳句の会」指導、
                   「海程」「合歓」同 人
      秋田県現代俳句協会会長  海程秋田支部長

      秋田魁新報「さきがけ俳壇」選者 

帯  金子兜太

  岩と土:の重層する暗部の粘り強さとともに善意でユーモアに富む明るい資質が十分に諧謔を賞味させてくねることが貴重と思う。双方の特徴が融け合って溢れ出す感性の豊かさ。諧謔含みの乾いた具象感が「奥羽山脈のどてっ腹に過ごした」時代をも韻かせている。

 自選十句より
  尺蠖の輻に写経の母います
 雲跟野や沼守の名が沼の名に
 鬼太鼓の不意のの打止め夜の蝉
 掻いて雪掘ってまた雪絵ろうそく
 はらからやひよこひしめく箱運ぶ
 父の掌に雪の径あり山河あり
 だまし絵のなかのふくしま夕桜
 収縮も弛緩も飽きてなまこかな
 氷柱にも念力津軽あいや節
 鬼になれる器でもなし夕ざくら

句集「谷と村の行程」 白井重之(しらい しげゆき)

平成俳人叢書 定価2667+税

著者略歴 白井重之(しらい・しげゆき)
昭和12年 富山県立山町生まれ
昭和44年 俳人家木松郎先生を知る
昭和47年  「海程」福井勉強会で金子兜太師に初めて会う、「海程」5月号から投句
昭和49年 海程新人賞受賞
平成8年  句集『わが村史』刊行
平成9年  海程賞受賞
平成25年 富山県現代俳句協会会長
現  在   俳誌「海程」同人・「海程富山」支部長。
         みのり俳句会代表・現代俳句協会会員

帯より
田の中でぐらり青嶺の乱反射

いぐつもの谷を背後にした村での暮らしが長くなった
まことに狭い範囲に生きてきた人間が表現する
俳句どいう詩型は、私にとってもっとも
相応しいものだったと思っている   
「あとがきより」

句集『風媒』柳生正名(やぎゅう まさな)


著者略歴 柳生 正名
1959年 5月に大阪市で生まれる。その後は主に首都圏で過ごす。
1992~3年勤務先の社内句会に参加。大木あまりの指導を受ける。
1995年 「海程」への投句を始め、金子兜太に師事。海程新人賞。海程賞など受賞。
2006年 現代俳句協会評論賞受賞
現在  「海程」同人 現代俳句協会会員 同評論賞選考委員

    自選12句
  牡丹に金閣燃ゆる闇のあり
  麦秋のどこまで眠りどこより死
  螢火を映して少し水でゐる
  玉虫の碧に人が沈みけり
  ロザリオや二百十日の頚細く
  水満ちてきてばつたんこすぐに空
  冬菫人間魚雷に窓なけれ
  鬼房ゐて海猫来て束北鉈の冷え
  臘梅と卑弥呼刺青冷たけれ
  雛流す甚平鮫へつづく水
  古雛を仕舞ひ土星の輪の薄き
  地に殉教宙に毛深き蝶の貌 

句集『かもめ』山中 葛子(やまなか かつこ)


略 歴 山中 葛子
昭和12年(1937)千葉県市原市生まれ。
昭和31年より同人誌「炎星」「黒」「俳句評論」を経て、
昭和37年「海程」創刊同人。「海程賞」受賞。
句集『魚の流れ』『縄の叙景』『山中葛子句集』
   『青葉天井』『球』『水時計』
現在「海程」同人 現代俳句協会会員 千葉日報俳壇選者

帯より 金子兜太

かもめは小生のなかの山中葛子の映像で
もある。房総の海と空を屈託なく飛び、
発想独特、且つさわやか。かもめより自
由とおもうこともあるくらいだ。

句集『そんな青』宮崎斗士(みやざき とし)


句集 そんな青 宮崎斗士   六花書林  2300E

帯より    金子兜太
 
詩が溜まっているから
峠をどんどん歩いてゆく
鹿や狐や猪に
よく出会う
どっちも笑う    
  
著者略歴    宮崎斗士(みやざき とし)  
1962年東京都生まれ。
「海程」所属。「青山俳句工場05」編集発行人。
現代俳句協会会員。
第5回海程会賞、第45回海程賞、
第27回現代俳句新人賞受賞。
第1句集『翌朝回路』(六花書林)。
 
言語の跳躍力へ      安西 篤 

 宮崎斗士の第二句集『そんな青』が上梓された。第一句集の『翌朝回路』の発刊から八年半ぶりの上木という。私には、八年半という時間がまだ信じられないほど、『翌朝回路』の衝撃は今も生々しい。例えば次のような一連。

 一人暮らしはまず陽炎に慣れてから 
 前世は岡っ引きです日曜大工  
 木耳やアインシュタイン的ぼんやり
 蓑虫の上下にうごく若旦那  

 感性を全開にして、片端から俳句にしてしまう『翌朝回路』の作品群を前にして「俳句ってこんなに面白いものだったのか」思わずにはいられなかった。だが同時に、これだけの新鮮さを維持するのは容易なことではあるまいとも。『そんな青』はそんな懸念を吹き飛ぱすものだった。
 
 東京暮らしはどこか棒読み蜆汁 
 鮎かがやく運命的って具体的
 終戦記念日輪投げのぼんやりと成功
 蓑虫にも僕にもぴったりくる雨音

句集『私雨』塩野谷 仁(しおのや じん)



『私雨』 塩野谷 仁

 角川学芸出版  2700E
 本書は『全景』につぐ第七句集である。平成二十一 (二〇〇九)年
 から平 成二十五(二〇一三)年までの作品を収めた。配列はほぼ
 制作順である。
 麦飯は日暮れの匂い私雨) (わたくしあめ) から採った。
  
  塩野谷仁 自選十二句

  きのうにも昨日ありけリ薺粥
  行き先はきさらぎのあの水鏡
  野遊びの終りはいっも大きな木
  落日をたしかめにゆく蝸牛
  麦飯は日暮れの匂い私雨(わたくしあめ)
  こころにも左側あリ落雲雀
  盆過ぎの象の高さを愛(かな)しめる
  胡桃割る丸ごとの淋しさを割る
  さかしらを悔みつ鬼の子と揺れつ
  むこうからささやいてくる鳥瓜
  にわとりを真っ白にして十一月
  いつか来るつぶてさざ波白集

句集『箪笥』若者京子 (わかもり きょうこ)


帯より     金子 兜太   

「紬の京子」と俳句仲間から言われている。
着物好き、そして箪笥好き。 
畳のさっぱりした箪笥の部屋に坐って、     
この人の感性は更に豊潤。
 
雛流し耳殻にはるかなる怒濤
透明ないのちの分母かたつわり
一汁一菜みのむしの愛吹かれて
ふくしまや虹を観念的に画く
授乳の汀しずかに被曝の波寄せる
耳鳴りや古野に巣作りの気配
浮島現象アンニュイな日向ぼこ
霾や阿弥陀のてのひらは荒野
七十路絽にも紗にも添い遂げよう
寒鯉や箪笥の底に澱むもの

句集『蒼の騏麟騎士団』 中内 亮玄(なかうち りょうげん)


海程11月「小野裕三・抄出」から転載させていただきました。

 『蒼の騏麟騎士団』抄 中内 亮玄

線路というにわかに冷えた父子かな

少年まだ遅刻の途中冬の空

万歳のどこから伸びる影だろう

地下鉄は春飲み込んで潜りおり

そら豆ご飯風がたくさん入る家

手袋のなかの明かりを聖夜という

家族という綺麗な糸よ冬の朝

句集 『産土』 小林 まさる

小林 まさる略歴
昭和6年   群馬県生まれ
昭和41年  赤城俳句会「風苑」入会
昭和42年  「ぬかるみ」俳句会入会
昭和43年  「海程」入会
昭和54年  現代俳句協会会員
平成元年  ぬかるみ巨峰賞受賞
平成7年   ぬかるみ賞受賞
現在    「海程」「ぬかるみ」「風苑」各同人
       群馬県現代俳句協会幹事
 
金子 兜太序文 (抜粋) 「人間が伝わる」 

上毛三山の一つ、赤城の山麓に大胡町がある。小林まさるは、この町で蕎麦の老舗大村屋を営む土着の人。「紅葉原野やって来ました大村屋」がある。・・・・・・・小林 まさるに次の句あり。

母に内緒の脛の古傷蛇いちご

 この人の青年期もなかなか強かったときいているが、私がはじめて会ったときは中年だった。しかしその面影は残っていた。いまは淡々として、俳句仲間の世話役を楽しんでいる。どこかに英五郎に似た土着者の雰囲気を私は感じているのである。

 俳句仲間といったが大胡から宮城村とつづく赤城山麓の集落、さらに前橋市におよんで「樹の会」という名称の俳句グループがある。軸は、長老の上野丑之助だったが他界した。上野と同じ宮城村村長をつとめた阿久沢嘉十も他界し、息子の長道が花栽培の傍ら俳句を作っている。小堀葵が会のマスコット的存在といってよい。そして井上湖子、山崎子甲、足利屋篤、木田柊三郎、六本木伸一あり。浜芳女、澤悦子が控えている。すこし離れたところにいる芹沢愛子や室田洋子といった若い人たちも句会に出没すると聞く。「樹の会」の人たちと私との付き合いは長い。赤城山の温泉宿でいくども句会をやった。自動車に乗せてもらってあちこち出掛け、これは今でも続いている。・・・・・・・・

句集『水時計』 山中 葛子 (やまなか かつこ)


著者略歴 山中 葛子
昭和12年千葉県市原市生まれ
昭和31年より同人誌「炎星」「黒」「俳句評論」を経て
昭和37年「海程」創刊同人。昭和47年「花」入会。
現在「海程」同人・現代俳句協会会員。
海程賞受賞・花賞受賞・
句集「魚の流れ」(昭和41年刊)  
  「縄の叙景」(昭和54年刊)  
  「山中葛子句集」(昭和58年刊)   
  「青葉天井」(昭和61年刊)  
  「球」(平成6年刊)

金子兜太序文より(抜粋) 

 山中葛子という人は面白い人である。私の付き合っていめ連衆には面白い人が
多いのだが葛子君は三役級である。したがって当然この人の俳句も面白い。
俳句は人を現すと、と私は確信している。
 数年前、私は隠岐島に旅した、そのときの葛子作に、たとえば次がある。

     神島やしずかにお月さま飛ばす
     隠岐時雨たちまち青色症候群

 なんとなく自由で愉快である。一風変わった趣向がこらされているが嫌味はない。
むしろ独特の興趣として賞味できる。その次の年、葛子君は、出羽の国最上川に
赴き松尾芭蕉が曽良とともに川下りの舟に乗った乗船の地本合海を訪ね、同じ
ように舟下りを体験した。
そのときの作品より二句を。

     最上舟歌のぼるしだれるしぐれるや
     こがねなる酒田さ行ぐこがねなる

 好い気なものである。「のぼるしだれる」とは何だ。「しぐれるや」を呼び
おこすための韻合わせぐらいのことかとおもうが、それでもなんだか、ほんのり
艶めいた韻律が伝わってくる。「こがね」の繰り返しも「行ぐさ」の方言も、
やりすぎともいえ、この趣向嬉しともいえる。
 
 母が平成九年に他界し、義母をその翌年に亡くした。そのときの葛子俳句が
六句ずつこの句集に入っているがこの人らしい作品なので抄記してみた。

句集『翌朝回路』 宮崎斗士(みやざき とし)


著者略歴  宮崎 斗士 
昭和37年東京都生まれ
海程・所属。「青山俳句工房05編集発行人
宮崎斗士句集『翌朝回路』栞
気分回復「翌朝回路」      谷  佳紀
ストラダムスの翌朝回路     白井 健介
誰にも似ない人        守谷 茂泰
壊れない玩具         芹沢 愛子
気分回復 「翌朝回路」    谷 佳紀 

 ご本人は短気で喧嘩っ早いというが、私が知っている宮崎さんは穏やかで世話好きである。句会の運営はお手の物。もう青年という年齢ではないようだが、Tシャツに野球帽が似合っているので二十代から三十代そこそこと長い間誤解していた。一緒にいると気持ちが開放される。

そのような宮崎さんの句集である。活気に満ちた作品が一杯詰まっているだろうと思っていた。実際にその通りの句集になっている。いかにも宮崎さんらしいと思ったのは、春と夏で句数の三分の二を占め、秋と冬の作品が少ないことだ。いつも明るく元気で、寂しさや暗さに閉じこもれない性格にぴったりである。
  本日のきっぱりとあり蕗の薹
で句集がはじまっている。句集の性格を宣言しているような作品だ。早春の明るい光と、蕗の薹の初々しさとみずみずしさをとらえつつ、「きっぱり」の一言を持って表現を引き締めている。この潔さはすがすがしい。そして「夏」は、丸裸どんどん空を持ってこい だ。威勢がよい。真夏の太陽の目眩む明るさと照りつける暑さは生命力そのものだ。
「きっぱり」も「どんどん」も衒いがない。真っ直ぐ真っ正直だ。ただこのような単刀直入の毒だけでは単純の面白さはあれ表現の幅が狭くなる。一見青年風、しかし中年初期らしい宮崎さんである。
この境地だけでは不満足なのだろう。