2015年6月15日

「日本行脚俳句旅」金子兜太・正津勉


アーツアンドクラフツ1300+税
2014年8月刊 アーツアンドクラフツ 1300E
『日本行脚 俳句旅』金子兜太・正津勉 
アーツアンドクラフツ 定価1300E 2014年8月10日刊
詩人の正津勉が編んだ「金子兜太の日本行脚俳句旅」はひと味ちがう句集です。作者なら思い入れのある句は強調するし、句集の味つけとして入れた軽快な句もある。作者は見せたい句が引き立つように句集を編むが、この句集は、作者の主張は引っ込められて、詩人が旅をした気分で編まれている。
兜太の初期のごつごつした句と後半のふくよかな句が混合され、味わいが深くなっている。句に自解の単文が挟まれているので読み物としても楽しい。

帯より・日常すべてが旅
「定住漂泊」の俳人が、北はオホーツク海から南は沖縄までを行脚。道々、吐いた句を、時空を超えて、遊山の詩人が跡づける。* 北海道篇* 東北篇* 関東篇* 秩父・熊谷篇* 中部・北陸篇* 関西篇* 四国・中国篇* 九州編

2015年6月8日

兜太の語る俳人たち 『高柳重信』


金子先生が今月の「俳句」に高柳重信のことを書いていました。

語る兜太」によると、60年安保の年、高柳重心宅に訪れ、
まなこ荒れ/たちまち/朝の/終りかな
が多行書きの高柳。小生は「朝はじまる海へ突込む鴎の死」。
ともに相手の所望による。


 高柳は詩人、歌人からも人気があって、初期の佐佐木幸綱、大岡信、岡井隆などは、高柳・中村の家にしばしば遊びにいっていた。俳人では加藤郁乎がいたし、いまでもけっこう面白い連中がいて、「戦後俳句」の温床と言ってもよかろう。

しかも高柳は戦略家でもあって、いわゆる俳壇政治にも長けていたから、新勢力つまり「戦後俳句」を俳壇における確かなものにしていったのである。この男が小生を多として
くれたことも有難った。

 その高柳を、私は講演での失言で怒らせてしまったのである。以後、彼の、とくに「ことば」の面からの攻撃を受けることになる。彼が多行形式ばかりでなく、一行書きの句も別に書くようになったのも、その頃だったろう。

 六十歳で他界。夭折と言いたい。不摂生のためか。贅肉が目立っていた由。あと二十年生きていて貰いたかった。

高柳重信関連サイト
http://leonocusto.blog66.fc2.com/blog-entry-520.html





2015年5月31日

金子兜太自選百句   (金子兜太95歳)

「語る兜太」2014年6月刊 岩波書店2200+E    
「語る兜太」自選百句  金子兜太
                                               
白梅や老子無心の旅に住む        『生長』     
裏口に線路が見える蚕飼かな       『生長』     
山脈のひと隅あかし蚕(こ)のねむり  『少年』 
曼珠沙華どれも腹出し秩父の子    
霧の夜の吾が身に近く馬歩む      
娥のまなこ赤光なれば海を恋う     
木曽のなあ木曽の炭馬並び糞る  
 トラック島(三句)
被弾のパンの樹島民の赤児泣くあたり 
魚雷の丸胴蜥蜴這い廻りて去りぬ   
水脈の果て炎天の墓碑を置きて去る 
死にし骨は海に捨っべし沢庵喘む   
朝日煙る手中の蚕妻に示す      
独楽廻る青葉の地上妻は産みに         
墓地も焼跡蝉肉片のごと樹々に          
  会津飯盛山
罌粟よりあらわ少年を死に強いた時期       
きよお!と喚いてこの汽車はゆく新緑の夜中  
雪山の向うの夜火事母なき妻           
暗闇の下山くちびるをぶ厚くし           
白い人影はるばる田をゆく消えぬために    
霧の車窓を広島走せ過ぐ女声を挙げ      
原爆許すまじ蟹かっかっと瓦礫歩む       


青年鹿を愛せり嵐の斜面にて       『金子兜太句集』                                           
人生冴えて幼稚園より深夜の曲    
朝はじまる海へ突込む畸の死     
銀行員ら朝より螢光す烏賊のごとく  
豹が好きな子霧中の白い船具    
殉教の島薄明に錆びゆく斧      
湾曲し火傷し爆心地のマラソン   
華麗な墓原女陰あらわに村眠り   
黒い桜島折れた銃床海を走り     
果樹園がシャツ一枚の俺の孤島   
わが湖あり日蔭真っ暗な虎があり                                                           

どれも口美し晩夏のジャズ一団    『蜿蜿』 
男鹿の荒波黒きは耕す男の眼           
無神の旅あかっき岬をマッチで燃し        
最果ての赤鼻の赤魔羅の岩群          
霧の村石を投らば父母散らん         
三日月がめそめそといる米の飯         
人体冷えて東北白い花盛り

                                                        
林間を大ごうごうと過ぎゆけり    『暗緑地誌』    
涙なし蝶かんかんと触れ合いて          
夕狩の野の水たまりこそ黒瞳            
谷に鯉もみ合う夜の歓喜かな            
二十のテレビにスタートダッシュの黒人ばかり   
暗黒や関東平野に火事一つ 

         
馬遠し藻で陰(ほと)洗う幼な妻    『早春展墓』       
海とどまりわれら流れてゆきしかな        
山峡沢の華(はな)微かかこり         
ぎらぎらの朝日子照らす自然かな      『狡童』
日の夕べ天空を去る一狐かな        『狡童』


霧に白鳥白鳥に霧というべきか      『旅次抄録』    
大頭の黒蟻西行の野糞               
人刺して足長蜂(あしなが)帰る荒涼へ       
 
梅咲いて庭中に青鮫が來ている     『遊牧抄』        
山国や空にただよう花火殼          
谷間谷間に満作が咲く荒凡夫           
猪が来て空気を食べる春の峠          
山国の橡の木大なり人影だよ           

 
麒麟の脚のごとき恵みよ夏の人      『詩経國風』       
抱けば熟れいて夭夭の桃肩に昴(すばる)      
    中国旅吟
花柘榴の花の点鐘恵山寺          『遊牧』
朝寝して白波の夢ひとり旅          『詩経國風』
若狭乙女美(は)し美(は)しと鳴く冬の鳥      
麦秋の夜は黒焦げ黒焦げあるな          
どどどどと螢袋に蟻騒ぐぞ           

桐の花遺偈(ゆいげ)に粥の染みすこし   『皆之』    
牛蛙ぐわぐわ鳴くよぐわぐわ           
唯今ニー五〇羽の白鳥と妻居り           
(中国旅吟)
滴江どこまでも春の緇路を連れて         
夏の山国母いてわれを与太と言う          
冬眠の鰒のほかは寝息なし 
 

雪の日を黄人われのほほえみおり     『黄』    
 

酒止めようかどの本能と遊ぼうか   『両神』     
尺土への脱力なかの隕にかな            
春落日しかし日暮れを急がない          
大前田英五郎の村黄落す              
二階に漱石一階に子規秋の蜂          
桂花咲き月の匂いの成都あり            
燕帰るわかしも帰る並(な)みの家  
      
 
よく眠る夢の枯野が青むまで     『東国抄』      
じつによく泣く赤ん坊さくら五分         
おおかみに螢が一つ付いていた          
狼生く無時間を生きて咆哮            
狼墜つ落下速度は測り知れぬ            
妻病めば葛たぐるごと過去たぐる   

     
定住漂泊冬の陽熱き握り飯        『日常』    
長寿の母うんこのようにわれを生みぬ      
源流や子が泣き蚕眠りおり            
秋高し仏頂面も俳諧なり             
沢上りっめ初日見る月の出待つ         
言霊の脊梁山脈のさくら             
子馬が街を走っていたよ夜明けのこと     
犬航海時代ありき平戸に朝寒して        
老母指せば蛇の体の笑うなり          
病いに耐えて妻の隕澄みて蔓うめもどき    
ブーメラン亡妻と初旅の野面(のづら)      
合歓の花君と別れてうろつくよ          
左義長や武器という武器焼いてしまえ     
津波のあと老女生きてあり死なぬ        
被弾の人や牛や夏野をただ歩く                  


2015年5月26日

三重県椿岸神社に金子兜太句碑

俳人・金子兜太(とうた)さん(95)の句碑の除幕式が5月11日、椿大神社(つばきおおかみやしろ、鈴鹿市)の境内にあるある別宮・椿岸神社前であった。
出席した金子さんは「こんな句碑をつくっていただいて大満足」と謝意を述べた。

金子さんは、椿大神社が1983年から毎年開催している献詠祭の初回からの選者。
昨年11月の献詠祭に合わせて詠んだ

秋光の伊勢一宮笑顔かな     金子 兜太

の句に山本行恭宮司が感銘を受け、句碑にしたいと申し出て実現した。

句碑は高さ、幅とも約1メートル、厚さ25センチのみかげ石製。金子さんの書いた直筆が彫ってある。金子さんは「私は句をひねくりまわしてつくる方だが、この句は自然にふうっとできた。このまま素直に読んで欲しい」と話す。
http://www.asahi.com/articles/ASH5C4W0NH5CONFB00J.html

三重県鈴鹿市山本町1871 平成27年5月11日建立
椿大神社建立



2015年5月22日

海程合同句集の序   金子兜太

海程創刊号

 海程合同句集の序   金子兜太
 風 樹  金子兜太
 沼が随所に髭を剃らねば眼が冴えて
 霧の村石を投うらば父母散らん
 どれも口美し晩夏のジャズー団
 育つ樅は霧中に百年の樅は灯に
 打音のビル耳にみどりの昆虫いて
 無神の旅あかつき岬をマ。チで燃し
 風樹をめぐる托鉢に似た二三の子


2015年5月14日

兜太句を味わう「涙なし蝶かんかんと触れ合いて」金子兜太    


涙なし蝶かんかんと触れ合いて       金子兜太 
 
                                     「兜太百句を読む」池田澄子

金子 これはねえ、この庭です、ええ、この庭。これは入れて

もらいたい    句、自分では好きな句なんです。

池田 「蝶かんかん」は空気が乾燥しているということでしょうか。

春の野のひらひらした蝶ではなくて、暑い日の、中空と言う
のでしょうか、そんな景が思われます。抒情を振り切ろうとして
いる気迫が感じられますね。「涙なし」をどう読んだらいいのか、
そこが難しいですが、どう読んでもよさそうで、そこが読者の
判断が分かれるところかと思います。

人・作者の「涙なし」とも読めますし、蝶に涙なし、とも読めます。
「世」に「涙なし」とも読めます。先生の俳句の中では、ストレー
トには通じにくいタイプに入る俳句で、私には読みに自信が持てな
いタイプではあります。ですが、若すぎない青春性が気持ちよくて
魅力があります。渇きに清潔感があるんです。「かんかん」の音の
響きと「蝶」との意外性、それが快晴の渇きを感じることで清潔感
を感じさせるのだと思います。

2015年5月13日

兜太句を語る「飯食えば蛇来て穴に入りにけり」


飯食えば蛇来て穴に入りにけり           兜太

 飯を食べていたら、まるでそれが合図のように蛇がするするとやってきて、穴に入った、ということだが、じっさいは、食事中に偶然、秋の蛇を見ただけのことで、誇張である。

 しかし、このとき、自分という人間も蛇も同じ自然界の生きもの、飯を食うことも穴に入ることも同じ生のいとなみ、というおもいにとらわれて、生きものどうしのえもいわれぬ親密感のなかにいたことは事実だった。そのための誇張である。

 蛇は秋もふかまると穴に入って冬眠する。数匹から数十匹が寄りあつまり、からみっているという。穴に入らないのもいて、穴惑いという季語もあるが、わたしの見 たのは
それだったのかもしれない。

 とにかく、蛇は不気味かつ不思議な生きもので、嫌う人が多い。ことに女性の俳句で蛇が好きだとかいたものに出会った記憶がない。
 しかしわたしは蛇が嫌いではない。とくに机の引き出しなどで飼う気はないが、石をぶつけて追いはらう気持など毛頭ない。

 小学低学年のころ、ヤマカガシだったか手に巻きつけて、担任の女性の先生の前にぬっと差し出して、親しみを示したことがあった。先生はぎよっとして身を引いたあと、あらかわいいわね、といったのだから、あんがい蛇好きだったのかもしれない。いや、教育のためのご配慮だったのかももしれぬ                     

金子兜太YouTube動画

金子兜太と「海程」50年




金子兜太YouTube動画

【夢彩る】俳人・金子兜太さん(秩父市出身)


金子兜太YouTube動画

日本記者クラブ総会記念講演 金子兜太さん(俳人) 2010.5.28

金子兜太 YouTube動画

俳人 金子兜太の気骨  荒凡夫(あらぼんぷ)


2015年5月12日

金子兜太句碑 九州 四国


湾曲し火傷し爆心地のマラソン    兜太
九州長崎市 昭和36年8月建立 
長崎県俳句協会 合同句碑

Twisted and seared
the marathon at the center
of the atomic explosion  (英訳・海程同人 小長井和子)



 黒い桜島折れた銃床海を走り   金子兜太
鹿児島市桜島町    
平成3年11月12日建立

昭和35年5月、はじめて桜島を訪れた金子兜太は、「逆光の桜島に対峙したとき、自らの戦争体験が重なって、錦江湾に折れた銃床が走るように見えた」という。

昭和36年「金子兜太句集」に収められている句です。昭和36年は「造形俳句六章」を俳句に連載、7現代俳句協会が分裂し俳人協会が発足草田男と論争と略歴に書かれています。翌年37年「海程」が創刊。







ここ青島鯨吹く潮われに及ぶ   金子兜太
平成17年5月13日建立 
宮崎県俳句協会、宮崎市芸術文化連盟建立
宮崎市青島2-12-1(県立亜熱帯植物園内)






正面に白さるすべり曲がれば人  金子兜太
平成21年4月17日建立
鹿児島県志布志市有明町蓬原1884
西光寺門徒建立



園児らは五月の光よく笑うよ    金子兜太
鹿児島県志布志市有明町蓬原1884
西光寺こども園
https://kanekotota.blogspot.com/2019/07/blog-post_6.html

谷間谷間に満作が咲く荒凡夫  金子兜太
平成23年5月23日建立
宮崎県宮崎市江平西2-3-15 
真栄寺住職 馬場道隆建立


句碑画像が見当たらず色紙です
猪が来て空気を食べる春の峠 金子兜太
平成23年5月1日
福岡市西区千里527 真教寺
真教寺住職 山崎俊城建立




讃岐塩江昼の蛍を いただきぬ  金子兜太
平成6年10月25日建立
句碑の場所は香川郡塩江町安原上602・塩江美術館 (ホタルの里美術館)
蛍の里の散歩道です

金子兜太句碑 飛騨の古川町・可児市・永平町


斑雪嶺の紅顔とあり飛騨の国   金子兜太  句集「両神)
昭和61年(1986)1月、飛騨古川町に句碑建立

金子先生も皆子さんもお元気で、海程仲間も句碑の除幕式に参加した。飛騨の山を背景にして立派な句碑でした。昭和61年、金子先生はNHK市民入学の「一茶」開始、6月には、カナダのブリティッシュ・コロンビア大学で講演12月朝日俳壇選者に決まったり多忙な始まりでした。


町川泳ぐ鯉に藤咲く飛騨古川   金子兜太
昭和61年建立
 瀬戸川筋には古い白壁の土蔵が残り、堀には1000匹余りの鯉が放流されています。水音が涼しげな飛騨古川です。 



よく眠る夢の枯野が青むまで   金子兜太
平成16年建立
永平町・四季の森文化館前に建立された句碑。

金子先生
「『よく眠る』の句は、つくった後で、芭蕉の向こうを張ったねといわれて気がついたんだけれども、臨終に近い芭蕉の『枯野』は、ついに青むことがなかったが、こちらは、春だぞ、草萌えだぞ、青みを帯びてきたぞと、いのちのよみがえりを感じてるんだね」


城山に人の暮しに青あらし     金子兜太

岐阜県兼山町(現在可児市)「蘭丸ふる里の森」に句碑はあります

東国抄2005・8・9 岐阜県兼山町に句碑とありますのでこれより少し前に建立されたのではないでしょうか。

ネットで探したら檀家(だんか)らが集まった除幕式で、金子さんは「私の句碑はたくさんあるが、ばかでかいのは食傷気味です。この句碑に満足しています」と話し、高さ40センチほどの石造りの碑に優しく手を置いた。
刻まれた句は、金子さんの「生き物感覚」を代表する作品とされている。


金子兜太句碑 石川県


小鳥来て巨岩に一粒のことば   金子兜太
2009年9月19日建立
興禅寺住職 市堀玉宗建立
石川県輪島市門前町走出6-66-1 
    
興禅寺住職  市 堀 玉 宗  
能登半島地震被災復興の記念に句碑を建立したいので一句色紙に揮毫してくださいと金子先生にお願いしたところ、間もなく送られてきたのが掲句であった。金子兜太句集『東国抄』の中に収められている一句だそうである。

現代俳句の巨匠でもある兜太俳句は必ず一句の中に作者の思想と現実社会が繋がるキーワードがある。スリットがある。断絶がある。飛躍がある。詩がある。情がある。俳句的に言えば「小鳥」は言うまでもなく、作者。神でも仏でもない「小さきもの」としての取るに足りない様な存在である、という自己認識、哲学がそこにある。譲れない「個」という可能性への、眼差しがある。

句碑 「小鳥来て巨岩に一粒のことば」  金子兜太

 2009年19日午前11時、俳句大会を終えられた金子先生と黒田先生が興禅寺に立ち寄って下さった。実は今回初めて知ったのだが、金子先生は能登半島地震の起こる前の年に、富山県の結社の皆さんと能登門前を訪れていたのだった。
本寺である總持寺祖院で市堀玉宗のお寺はどこか、と尋ね、興禅寺に足を運んでいたというのである。生憎、妻も私も留守をしていたらしく、庭を睥睨して帰られたそうである。その時の印象。「狸が化けて出て来そうな、古めかしいお寺だなあ、、、」というものだったと言う。その後、震災にあって、今回再訪となったのである

お帰りにの時
汽車の中で召し上がって頂きたく、門前の田舎弁当を手土産に持って頂いた。今頃蓋を開けて、その量の多さに度肝を抜いておられるだろう。「たくさん食べて、ウンとうんこなさってください。お二人にはお似合いです。またお会いしましょう。御苦労様でした。

金子兜太句碑 愛知県伊良湖岬



差羽帰り来て伊良湖よ夏満ちたり    兜太
2005年建立
句碑の場所・知県田原市伊良湖岬

 2015/1   425号     「木」より

山田哲夫が句碑建立について書いて います。

「海程」全国大会イン伊良湖が、渥美半島の先端の伊良湖ビューホテルで開催されたのは、平成15(2003)年の5月24日(土)~26日(月)のことであった。この年も例年に倣い、初日は午後総会のあと第一次俳句会、夜は懇親会が行われ、二日目は午前に第二次俳句会、午後は渥美半島吟行、夜はグループ交流句会、第三日目は午前に第三次俳句会が行われた。


この年例年と違ったのは、大会の開催中に金子兜太先生の芸術院賞御受賞が決まり、このビッグニュースが全国に報道されたことと、この大会の中で、懇親会前に「伊良湖岬と
文学」という題で当時地元の県立福江高校教頭の葉山茂生氏の講演を聞ぐ時間が入ったことであった。金子兜太先生の伊良湖句碑の俳句

差羽帰り来て伊良湖よ夏満ちたり

が作成されたのは、この折のことであった。金子先生は、この句会の二日目の夜の交流会前に、森下草城子氏に伊良湖で作句された次の五句を示された。

 差羽帰り来て伊良湖よ夏満ちたり
 曇れば夏波更に白しよ伊良湖崎
 伊良湖晴れたり白芥子の杜国
 青葉潮若き杜国に芭蕉ありき
 岬に拾う芭蕉杜国の夏の影
 
そして、草城子氏はこの五句の内から句碑にする句を一句選びたいと言うことで、部屋に持ってこられた。
部屋には、山口伸氏、故北川邦陽氏、私か川て、四人でどの句を選べばよいかを話し合ったった。その時の様子では、どれも捨てがたいが、中でもこの。「差羽帰り来て~」の句と「伊良湖晴れたり~」の句が私たらの間で推す人が多かったように記憶している。

そして、更にこの句に的を紋りって検討する中で、前句は差羽が南へ渡る句でなくて、逆に南方から帰って来る様子が書かれているとして、果たしてそういう事実があるのか否かを確かめてみる必要があると云うことになった。鷹の渡りの研究家でもある葉山氏に、早速私の方から電話で確認してみた。

 葉山氏から、「差羽は十月初め頃一斉に南に渡るが、それが再びこちらへ帰って来る時は、少しずつで帰る。三月中旬頃から五月上旬頃までに帰って来て、日本の各地で卵を産
み、雛を孵して夏を過ごす。従って、金子先生の句に全く矛盾はなく、丁度今の季節のこととマッチしていて、これを句碑にしていただければ、地元としては大変ありかたい。」
とのことであった。早速これを三人に伝えたところ、即全員一致でこの句を推奨させてもらうこととなった。
 
 この句は、翌日の第三次句会でも出され、高得点を得た。
そして、後日金子先生は句集「日常」の中にこの内の四句を入集され、前掲中五句目の「岬に拾う芭蕉杜国の夏の影」の句は、「一つ一つ青葉潮から来る白波」という句に変更
されて人集されている。
更に、平成19年名古屋で開催された第45回現代俳句全国大会の際には、この伊良湖句碑の「麓羽爍リ来て伊良湖よ夏澗ちたり」の句は、図書カードに印刷されて、人会参加者に配布されて、全国的に知られることとなった。
 ところで、この句碑建立の経過については、まだ触れていなかったが金子先生の芸術院賞を受賞されたことを記念し草城子を中心にして建立されました。(抜粋です)

金子兜太句碑 新潟県・群馬県・茨城県・千葉県



霧に白鳥白鳥に霧というべきか  金子兜太
平成6年建立

句碑の場所  新潟県水原町瓢湖の向かいの「水原八幡宮」

海竜社「俳句人生」にこの句の作った感想が掲載されています。

朝の目ざめぎわの夢に、白鳥と霧のとけ合った幻想風な美しい映像を見ていた。ずいぶん前にこの句ができて、その後もときどき夢に見るのだが、こんなときは体調がよいのである。(兜太)



小鳥来る全力疾走の小鳥も


小鳥来る全力疾走の小鳥も   金子兜太

群馬県伊香保温泉の石段階にあります

海程同人の篠田悦子さんが金子先生の庭の様子を語っています。
(金子兜太の亡き妻「皆子夫人」が植えた樹木です)

紅梅・白梅・金綾梅・楷・山茉英・棋櫨・木瓜・臓梅・三椏・あぶらちゃん・山吹・藪椿・山茶花・令法・山法師さくら・えごのき・針槐・鶯神楽・山つつじ・梅擬き・檀・
椎・水楢・ははか(上溝桜)等々のほか、私の知らない木もありまして、金子先生のお宅の庭は一日じゅう小鳥が飛び交うまさに町なかの雑木林といえましょう。
戸市松本「保和苑」に2010年に建立。



白梅や白梅や老子無心の旅に住む   金子兜太

水戸市本「保和苑」に2010年に建立

佐々木靖章氏の「金子兜太の出発」から一部転載させて頂きました。

 さて、俳人・金子兜太の誕生を告げる処女句は〈白梅や老子無心の旅に住む〉初出は、水戸高の「暁鐘寮報」(昭和13・3)の第十面・文芸欄の一角に掲げられた「水高俳句会第四回作品」の中に見える。同会は、昭和十二年十一月に英語担当の長谷川朝暮(四郎)と吉田両耳(良治)教授の指導下に始まった。実質的リーダーは兜太の一年上の出沢三太(暁水、珊太郎)。短歌・詩・散文でも水高時代文才を披露し、一目おかれていた。出沢は俳句王国―水高の立役者である。「白梅」は水戸ならではの発想に違いないが、「老子云々」には老成した、超越の時間が内在する。


梅咲いて庭中に青鮫が来ている
千葉県

梅咲いて庭中に青鮫が来ている    兜太

我孫子市の真栄寺にある金子兜太の句碑

初出は、「海程」昭和五十三年四月号。第七冊目の句集『遊牧集』では、劈頭の「青鮫抄」に収録されているが、青鮫を素材にした作品は、他に二句ある。



 

金子兜太句碑 北海道・東北

初夏の月放ちてくちびる山幼し   金子兜太
平成10年建立
北海道然別湖の湖畔にあります。

くちびる山が湖に映り込めば本当にくちびる。初夏の月ですから淡い光
と山幼しで少女のくちびるが連想されて清潔な句です。





日本中央とあり大手鞠小手毬        金子兜太
平成7年建立

青森県東北町には不思議な石碑がある。「日本中央の碑」。
大きな石の中央に「日本中央」と刻まれている
日本中央の碑(つぼのいしぶみ)公園に句碑はあります


壺の碑



















新秋の陸奥一百社鳥集う  金子兜太
平成7年建立
多賀城に金子兜太句碑建立  
場所:宮城県多賀城市市川字奏社1 陸奥総社宮境内



郭公の声降りやまぬ地蔵鍋      兜太

ひぐらしの網かぶりたる矢向楯    皆子
平成12年建立

最上川本合海の河原に建っています。
ここから芭蕉が乗船したと言われています。
川の流れが強く渦を巻いています。



花の牧赤松林の月の出に   金子兜太

花巻温泉に有ります。(赤松はこの周辺の山々に生える南部赤松)平成五年、当温泉で開催せれた「国民文化祭いわて’93」に選者として招かれた折の記念句。

花の牧赤松林の月の出に   金子兜太
花巻市湯本1-125 平成11年建立

花巻温泉歌碑巡り




火の柱の火の壁の松明あかし            兜太

夢寐(むび)照らす巨大劫火(ごうか)の祭りかな  兜太

福島県須賀川市五老山 平成26年建立
金子さんは6年前に須賀川市を訪れた際、日本三大火祭りの一つ「松明あかし」を観覧し、感銘を受けて俳句を5句詠んだ。

須賀川松明あかしは、須賀川市中心部から、長さ10m重さ3トンの大松明を男性約150名が担ぎ、1キロ先の五老山へと向かいます。到着後、1時間ほどかけて大松明を人力で垂直に立ち上げ、その後、大松明を皮切りに約30本の松明に次々と火がつけられ、須賀川の夜空を焦がします。












2015年5月11日

金子兜太句碑 埼玉県


たっぷりと鳴くやつもいる夕ひぐらし      兜太

熊谷市に在住する金子兜太の句碑がある寺、

天台宗別格本山常光院・・・ここは中条氏の館跡(県指定史跡)


猪が来て空気を食べる春の峠   金子兜太

句碑は長生館に有ります。埼玉県秩父郡長瀞町長瀞449

存在と魂  伊藤淳子(海程同人)
 師は「漂泊とは流愧の情念であって、必ずしも放浪を
要しない。定着を得ぬ魂の有り態である」と言われてい
る。霧の村である秩父の山影。その原郷は師の抒情の深
いところと繋かっていると思う。心を揺さぶって止まなない
  堵がきて空気を食べる春の峠

  長生きの朧のなかの眼玉かな

  春落日しかし日暮れを急がない




おおかみに蛍が一つついていた     金子兜太

埼玉県加須市「古佛眼山 龍蔵寺」
副住持の日記プログによると2010年8月に境内に建立




2015年5月5日

句集『むしかりの花・金子皆子』鑑賞 谷 佳紀

金子皆子第一句集『むしかりの花』昭和63年刊 卯立山文庫

兜太夫人の皆子さんは平成18年の3月2日に亡くなり秩父の野上町総持寺に眠っていられます。寺にはに金子先生の句碑があります。

むしかりの白花白花オルゴール  皆子
  
                        
鑑賞・谷 佳紀

句集 『むしかりの花』 金子皆子    

平成14年刊行の句集「さんざし」は、第一句集「むしかりの花」第二句集「黒猫」からの抄出、そして「さんざし」の後、平成十六年に刊行された句集「花恋」の第一章となる「紫雲英田」で構成されている。それらの中から作品を選んで鑑賞をした。

(昭和23年~35年)

朝毎の食器触れあい梅開花
 朝食の用意、それは一日の始まり。梅が開花した。ほんのりと空気が和らぎ温かさを感るが、まだまだ寒い。特に朝は冷える。食卓に並べる食器のぶつかる音が響く。「あなた、朝食の用意が出来ましたよ。」夫を呼ぶ声も明るい。

 風邪の子へ家中灯しレモン絞る
 子供が風邪を引いた。かなりひどい。熱にうなされている。夜の暗さを嫌い、明かりを消さないでくれと言う。使っていない部屋も廊下も灯し、家中が輝いている。明るさに安心したのか少し穏やかな顔になった。さぁレモンを絞って飲ませましょう。

 濯ぐ主婦紅潮のゆび桜指す
 洗濯機の無い時代はすべて手洗い。春とはいえど水はまだ冷たい。手はすぐに紅潮する。このつらい作業も主婦の勤め。生活の慣れ。元気な身体は苦にしない。洗濯をねぎらう夫に「桜が咲きましたわよ」と指すゆびはすらりと伸びて美しい。紅潮した紅さが桜に負けず綺麗だ。

 夕汽車のこだまの中の家愛す
 山間の村。日暮れがさーぁとやってくる。一日に何本も無い汽車のこだまが日暮れを知らせるように家を包んでいる。夕暮は汽車の響をいっそう近づける。朝早く勤務に出かける夫を見送り、遅く帰ってくる夫を迎える平凡な生活だけれど、とても大切な生活。夕汽車のこだまが気持ちよい。

 春山の底なる母の骨思う
 山裾に土葬された母。肉は土に溶けもう骨になっている頃。芽吹きの季節。山はいっせいに目覚め賑やかになった。生まれてきた赤ん坊のように愛しい芽吹きだ。山の底に睡る母。母も命の豊かさに満足しているだろう。


 夏痩せの母子に白い坂と橋
 夏の暑さがつらい。子供もつらそうだ。食欲は無くすっかり痩せてしまった。毎日上り下りしている坂も雨が降らず、砂ぼこりをたてている。橋も汚れている。夏痩せで力が出ないためか、坂も橋も白くぼんやりしている。この暑さが早く去って欲しい。


 悦び常に探し木片蹴る冬の子
 冬のこの寒さの中、私は縮こまっているのに子供って元気だなぁ。寒さにへこたれず常に動き回って遊んでいる。木片を蹴っているだけでも楽しい。悦びを探す生き物なのですね。生々しくって貪欲。本能の塊です。


 夾竹桃小暗さもなし雀の死
 夾竹桃が咲いている。衰えることを知らない、なんと元気な花なのだろう。あら雀が死んでいる。かわいそうに。でもあっけらかんとして未練を少しも残さない姿。そこらに転がっている石ころのように、自分が雀であったことを忘れたような、何にもない死。このからりとした無。生きていた喜びに充分満足して命を終えたのでしょうね。


 魚描きて魚の目青し夏終る
 魚を描いた。海を泳いでいたときのような元気な魚だ。海のように青い魚の目。海は魚の目ではどのように見えるのかしら。暑かった夏も終わった。しばらくは暑さが残るのでしょうが、清々しい秋がやってきた。海を映していた魚の目が、今は秋の深い青空を映している。


 一人子に烈風青葉はりつく窓
 烈風が吹き荒れている。吹き飛ばされた青葉が窓にはりついて離れない。子供が不安そうにその青葉を眺めている。一人子のために甘やかして育ててしまったかしら。違うわ。不安なのは私なのだ。今日まで無事に育ってきたけれど、これからも無事にやっていけるか、私が心配しているだけなのだ。子供は風を面白がっているように笑っているじゃない。


 店頭の異人稚葉(わかば)の人参束
 あら珍しい。異人さんが八百屋さんにいる。なんて背が高いのでしょう。私の背は肩にも届かない。ぶら下げているあおあおとした稚葉の人参束がとても小さく見え、人参の赤色が普段よりもきれいに見える。素敵な異人さん。


 少女の光る下着つるばら一間(いっけん)伸び
 少女が元気に飛び跳ねて遊んでいる。飛び跳ねるたびにちらちら見える下着。日を跳ね光って見える。少女の清潔な心のように光っている。育てているつるばらの芽が伸びた。この少女も健やかに育つだろう。

 鴎飼わな少年と母にある斜面
 子供と散歩に出た。堤防に上り海を眺めれば鴎の群れが飛んでいる。「ねぇお母さん。あの鴎を飼いたいね」「そうね、飼いましょうか」とりとめのない会話をしながら群れを眺めていると、すべての風景が白と青に染まり、堤防の斜面は海の底深く沈み山の頂に立っているように心が開かれる。

 ばらと肩やがて胸中の起伏となり
 「ばら」があって「肩」がある。自分の肩だろうか。そうでない。明らかに作者はばらを見ている誰かの後ろにいて、肩を意識しているのだ。「肩」という響が強いためか、ぶっ切られたようなそっけないフレーズの後に、「やがて胸中の起伏となり」という美しい言葉があらわれる。特に「起伏」という語が美しい。ああ女性の俳句だと思う。男では肉体の生々しさが強調され、このように率直な情の生々しさを書けない。ばらを見ている誰かがいる。肩ががっしりしていて逞しい。その肩とばらが溶け合い、やがて自分の胸中に、胸の起伏に重なって溶け込んでいる。静かな、しかし激しい情である。


 青い甲虫(昭和37年~42年)

 からすからす呑み込んだ小石火打石
「からす」は嫌われ者だがそれは最近のこと。この時代はまだ親しい鳥であった。「からすのあかちゃんなぜなくの」という童謡は誰でも知っている。この作品の韻律も風景も童謡風、嬉嬉としてからすを見つめている情の溢れがある。アニミズムと生活に垣根がなかった最後の時代かもしれない。現在の社会環境はもうこのような情景を不可能にしてしまった。「からすからす」と言葉を重ね、更に「小石火打石」と畳み掛けた断定には「可愛らしい!」を突き抜けた表現の鋭さがあり、火の色が鮮やか。いまだに新鮮で古びない。

 水も木立も赤光野づらに招かれて
 天も地も真赤な夕焼け。「川」と書かず,「池」と書かず、「水」と書いたのは「水溜り」であろうか。雨後の清浄な空気に誘われるようにやってきた野。心身ともに透明感が増し、「招かれて」と書かなければ真実でないかのような、鮮やかで華やかな光景が眼前に広がっている。

 花アカシア二日泊まりて創れぬ繭
 作者にとって「繭」とは生活にあるものとか、懐かしい思い出というだけのものでなく、心の古里とも言うべき、心身に染み付いた失われてはならないものなのであろう。そうでなければ「創れぬ繭」という、懐かしく慈愛に満ちた言葉を発することは出来ない、また、子育てという女性のいとなみをも思い起こす美しい繭でもある。真っ白い花房に包まれた初夏、二日間泊まった旅の美しさ。

 四十路若し鬼草色にとんでくる
 「泣いた赤鬼」の後日談のような楽しいお話が想像できる優しい鬼。四十歳になったとて元気一杯。夏草の野に立てば、草いきれがよりいっそう若さを掻きたてる、溌剌たる人生。

 海と松の暗さが恐いバスケット
 バスケットを用意して出た海岸。しかし海は暗い色をたたえ、休憩地の松林はよりいっそう暗い。バスケットを開けても暗さが気になるばかり。たしかに海岸に多い防砂林としての松林は暗い。日本海かもしれない。秩父育ちの作者にとって、この海は馴染めなかったのだろう。

 六月の真夜の家裂く金の馬
 じめじめじとじとした梅雨の季節。そんな鬱陶しさを吹き飛ばすようにあらわれた「金の馬」。真夜中の家を裂き、光に充ちた世界へと導く。荒々しくも神々しい神話の出現。「金の馬」の現実は落雷かもしれない。そうであろうとなかろうと、作者の雄叫びは力強い。

 雑木山ひとつてのひらの天邪鬼
 小さな雑木山がひとつある。てのひらに天邪鬼が乗っている。雑木山も天邪鬼も初々しく、雑木山が天邪鬼なのか、天邪鬼が雑木山なのか。作者自身も雑木山であり天邪鬼であり、二つは重なり、いつまでも戯れている。にこにこ、さやさや、民話が生まれる俳句。


 榛の木(昭和43年―45年)

 くらしの朝夕飛翔の花合歓よ妹
 合歓は木の様もそうだが、花はまさに飛翔。門か庭か勝手口か、生活の明け暮れに眺める合歓の木。この季節、妹となにを語り合っていたのだろう。作者が男なら「妹」は妻になるのだが、作者は女性。それゆえに愛情の発露というよりも生活の明け暮れが濃厚になる。

 この作、形だけで言うならば「くらしの朝夕飛翔の花合歓よ」で書き終えてよい。しかし蛇足のように「妹」を書かなければ作者は満足できなかった。と言うよりも、「妹」を書くためにすべてがあったと言うべきだろう。

 作者は情(じょう)の人である。情に添って情を紡ぐように言葉は生み出され絡まり表現になる。韻律も情の流れが形作る韻律である。そのような韻律に言葉が調和しているため、私たちがごく普通のものとしている五七五の形式の韻律からずれていても、違和感なく受け止めることが出来る。

この作も、形式の論理を優先する俳人なら「花合歓よ」で書き終え、決して「妹」まで書こうとしないだろう。「妹」までどうしても書きたいなら、書き換えて無理やりに押し込むしかない。しかし作者の情の論理は字余りという文字数の計算を念頭から消しさった。韻律の不自然さは情の強さからはむしろ自然なものであった。読者である私たちも「妹」に籠められた情の強さを読み取ったあとでは、「妹」にこだわりつつも「妹」を消せなくなる。そしてあらためて読み返してみれば、「花合歓よ」で書き終えられたのでは、景が強まり、情が淡くなり、中途半端なものたりない思いがし、「妹」が無いと落ち着かない。「妹」は作者の心のありどころを示し、その内容が不明であっても、無ければ完結しない表現になったのである。

 青い榛の木いちにい三本私も鬼で

 茂った大きい榛の木がある。その回りで鬼ごっこやかくれんぼをしている。それだけの光景。単純な世界だが、遊んでいるのはなにやら妖精のような気がしてくる。軽やかでふわふわしていて、幻を見ているようだ。

 まわる麦秋遠く大きな女友達
 見渡しても見渡しても果ての無い麦の穂波。その穂波の彼方に女友達が見える。麦を刈っているのだろうか。「友達」でなく敢えて「女友達」と限定するのは、「男」という存在に違和感のようなもの、油断出来ないという用心があるためだろうか。いずれにしろ「遠く大きな」という強調は、女友達の逞しさと作者の安心感を明らかにした。憧れのような感情をも持っていたのかもしれない。「まわる麦秋」も麦秋の広がりを一言で言い切った。


 海に緑の夜空の顔か落ちている
 真っ昼間の景である。また「緑」という色は木の葉の緑か、それとも「藍」か。日本語では青系統も緑である。「緑の夜空の顔か」という色合いは書かれているとおりの緑色でもよいし、濃い藍色でもよい。これらは読み手の感性に任せ、自由に感じ取ればよい。作者とて押し付けは出来ない。いずれにしろ交通信号機の色が緑から青に変わってしまったように、「緑」は「緑」だという昨今のつまらない厳密さでこの表現を限定してはならない。
真っ昼間の明るい海に深い緑色か藍色をした箇所があった。それに気づいた瞬間、「ああ、夜空の顔が落ちている」と感じ取り、一切の説明抜きでそのまま表現した断定の潔さ。さらに注意しなければならないのは「夜空の顔」には暗さよりも親しみと慈しみがあることだ。明るい海に淋しそうに落ちている夜空の顔を優しく受け入れている。


 川がらす好きな水輪の一つうつむく
 清流がある。あちこちに水輪が出来ている。大好きな水輪。消えては生まれる水輪を見ていて飽きることが無い。そこへ川がらすがやってきて、ついと潜った。川がらすが潜る勢いで凹むように出来た水輪は、初々しく、恥ずかしいのか、うつむいているように見える。「一つうつむく」とはなんと正確な描写であろう。

 ところでこのように「さんざし」の鑑賞文を書くようになってから、私が意図的に避けてきたものがある。それはなんとなく感じられるもの、バロック音楽における通奏低音のように絶え間なく響いているがあまりにも微かなためというよりも、表現の表面を覆う民話のような世界が鮮やかなため、なんとなく聞こえてくるが聞き逃している音についてである。しかし「好きな水輪の一つうつむく」にある「初々しく、恥ずかしいのか」というだけでない淋しげな風情について語らなければ、もうこの先、嘘しか書けないような感じがするのではっきりさせてみようと思う。

すでに取り上げた作品からもそれを感じようと思えばすぐに気づくと思われるが、取り上げなかった作品「指にくる夕映えは鳥はばたかせ」「明きふるさと泣けば草丈手をかくす」「土に終わるひとりの神楽風の顔」にははっきりとそれが現れている。最も民話的と思われる「からすからす呑み込んだ小石火打石」にしても、何故「火打石」なのかを問い、小石を呑むという行為に思いついたとき、喉の紅さの比喩とだけでは不充分な痛みを感じないだろうか。無邪気さの奥にある痛み、それはまさに本来の民話のテーマであり、表面ではいつも隠されているが

私たちの内面の痛みでもある。なぜか作者の表現にはそれがいつもある。人間というものの原罪と言ってしまえば簡単だが、生きるということはこういうことでもあるというがごとく、淋しさとか悲しみがひっそりと佇んでいる。この作品にしても一羽の川がらすの生態に過ぎないが、「好きな」と書いて出てくるものが「水輪」であるとき、その水輪は無の空間であるがごとく、明瞭にしかしすぐに消えるものをとどめるように「うつむいて」浮き上がってくる。川がらすを発見し胸をときめかしているのではない。水輪に気持ちが引き込まれているのだ。それを綺麗なもの可愛らしいもので見過ごしても良いが、水輪に引き込まれる心情を思えば、そこに淋しい佇まいが見えてくる。そういうものを感じつつ、しかし作品の光景は夢見る明るい清流が展開している、という二重性がある。どの表現にもいつもそれがあるように思える。

 鳥の道にある家鳥のたちし後(あと)

 「鳥の道」とは渡り鳥の渡る道筋のことなのか、朝夕に鳥が移動する道のことなのか私は知らないのだが、句柄から渡り鳥の道筋と読む。
 春、渡り鳥が帰る途中に寄る家がある。そこそこの沼や林を持つ家なのだろう。今年ももう来た頃と訪ねてみると、もうたった後だった。早春の荒れた空虚感と、芽吹きが始まりつつある季節の躍動感が綯い混じった空間が広がっている。

作者は季節に敏感である。しかも飼っている犬や猫と親しむように季節と親しんでいる。それゆえであろう、俳句用語で言えば季語になってしまうものであっても、美学とは無関係な、作者と同じ体温を持つ季節の言葉となっている。

 鳥のうなじと吾がうなじとにあり雪しろ

 たんたんと書かれた激情。雪解け水の冷たさ激しさ濁りを思えば、鳥のうなじ、おのれのうなじにそれを見るということは尋常なことでない。鳥も決して猛禽類でなく、はとぐらいの鳥だ。実に強く、実に怖い雪しろである。

 木洩陽にいる黒猫の目の国
 木洩陽の中に溶けるように安らいでいる黒猫。大きくふっくらとしてまだらな輝きを放っている。静かな、眠っているような穏やかさは、赤ちゃんに触れる優しさを私たちに抱かせる。しかし光を吸って輝いている目の鋭さは、紛れもなく野獣。罠をいたるところに仕掛けた野望渦巻く国。

 巡礼なりオレンジ色の蛇西風に
暑い太陽の光に輝く蛇は西風を愉しむ如く現れオレンジ色の光を放つ。神の出現か。いやいやそうではなく、巡礼なのだ。私の心を負って諸国を巡る巡礼。オレンジ色の光輝は眩しく祈りに充ちた色。

 夕暮の木は好き胸の奥までの並木

 太陽が消えかかり、昼間の喧騒が遠のく夕暮。今日の忙しさを忘れ一瞬の静けさと落ち着きを得る時間。胸の奥にずうっと並木が生まれ、どこまでも続き、しばし並木の虚空に眠るひと時。

 枸杞の実(昭和46年~48年)

 羽交(はがい)をこぼれていった昼月・いもうと
 淡い水彩画の夢見るような世界。ちょっとした風に吹かれて消えてしまいそうな淡い色。少女の眠りに紛れ込んでいるようなふんわりした情。しかしそのような思いの底から浮かび上がってくる、いい知れぬ悲しみの色。これはなんだろう。作者において「いもうと」とは、失われてしまう愛しいものの象徴なのだろうか。昼月もはかなく憂いに濡れている。温かな羽根に包まれていた「昼月・いもうと」がこぼれ失われる。大切なものがいつもそっとこぼれ落ち失われてしまう。それに気づいているのだが何も出来ない。そのはかなさを悲しむだけ。得るということは失うということ。

  からすアワアワ私が溺れるという春
 「からすガアガア」ならはっきりするが「からすアワアワ」とはどんな状態だろう。具体性がない。あえて景を思い浮かべるならば、無音の夕暮、彼方を群れて飛ぶ風景を思うが、読み手によってみな違うだろう。それでいながら情の確かさがある。「私が溺れるという春」もはっきりしない。なぜ「私が溺れる春」でなく「という」と書かねばならないのか。「からすアワアワ私が溺れる春」と書いた方が情の質が明らかになり表現として整う。しかし作者はこのような情を拒否したのだ。おそらく自分は自分であって春と一体化したいと願っているのではないし、春に溺れたいわけではないという主体性の確認、客観視することによって「溺れる春」という情から離れようとする意思が、このような表現になったと思われる。「という春」と書くことにより、春を自分から引き剥がし、眺め、解説する。こうして主体性を回復し、自分を確立する意思の表れが「という」に込められているように感じられるのである。

 千の椋鳥姉(あね)さま姉さませつ子千代紙
 呪文のような、祈りのような、助けを求めているような、異様な韻律にぎょっとする。「千の椋鳥」ということ自体が通常の群れ方でない。せつ子とは姉さまのことか。「せつ子千代紙」は「せつ子・千代紙」ではなく、切り離せない一単語としての「せつ子千代紙」のようである。何がなんだかわからないが、何かにすがりたい思いが、熱を帯びた言葉となり、繰り返し繰り返し唱えられる。混乱し「姉さま姉さませつ子千代紙」と呪文を唱え祈るしかないのだ。

 青年歩く連翹の花の色ひとり
 「青年ひとり歩く連翹の花の色」でない。「何人かの青年が歩いていて、その中のひとりが連翹の花の色である」という読み方も出来る。しかしこれでは、何故こんなにややこしく書かねばならないのか疑問である。文脈どおりに読み、花の色が「ひとり」なのだ。焦点は連翹にある。満開の連翹のそばを青年が通り過ぎた。誰もいなかったときよりも連翹は輝き、「ひとり」という感を高めた。連翹が好きで、連翹の姿かたちに個の美しさを見たのであろう。青年も素晴らしい青年であったに違いない。人通りの少ない住宅地の光景が見えてくる。

 鈴買って部落を歩いているのは雨
 鈴を買ったのは雨であり、その雨が部落を歩いているという。鈴は鳴っているのだろうか。もちろん鳴っている。
それなりに強い雨が降っている。締め切った部屋に閉じこもっていると、雨の強さにもかかわらず、かすかな雨音が聞こえてくるのみ。その静けさになんとなく鈴の音が混じり、雨が鈴を鳴らしつつ歩いているように思えてくる。鈴と雨、作者にはこの二物に関わる思い出がたくさんあるに違いない。悲しい思い出、楽しい思い出、時には怖いこともあったのではないだろうか。何の限定もなく、淡く現象が書かれているだけだから、我々も取り止めのない思いに浸るだけだが、鈴は遍路の鈴に化し、先祖への思いに向かっているような気がしてくる。

 鮮しき枸杞を酒中に知佳子の雪

 嫁と姑の争いは無縁。知佳子賛歌を詠うとき作者は幸せに充ちている。今年も枸杞酒を作ろうと焼酎に漬け込んだ日に降った雪の美しさ。雪の故郷を知佳子さんは思い出し大喜びをしている。枸杞も父母の元から取り寄せたものかもしれない。

 水すまし(昭和49年―51年)

 れんぎょうの花刻(はなどき)透明なり知人

 「さんざし」の作品の時刻を探るとき、夕暮を思うことが多い。この作品の場合、連翹の色の鮮やかさ、「透明なり」という光の輝きから、朝日の清々しさを感じつつ鑑賞した方が良いかもしれないと思いつつも、やはり夕暮と思うのだ。夕暮のちょっと埃っぽい、なんとなく疲れと濁りを感じる光であるからこそ「れんぎょうの花刻透明なり」という感覚に知人が浮かび上がるのではないだろうか。朝の新鮮な光では心が空っぽになり、他者が入り込む余地はなく、このような表現が生まれることはないという、夕暮の人恋しさを感じるのである。

 叱られて花噛み華やぎ黒猫

 「花」は桜ではなく草花であろう。花が溢れている季節ならいつでも成り立つ光景だが、四月か五月頃だと思う。悪さをして叱られて、庭に逃げた黒猫が花を噛む。それも反省してではない。叱られたことでちょっといじけつつも構ってもらえたことが嬉しくて、はしゃいで花を噛む。だから「華やぎ」なのだ。可愛がられている黒猫。毛並みが艶々輝いている。その輝きが実に良く感受できる作品である。

 脚包む青強しひいらぎの花の夜
 「青強し」という意識をどのように感受すべきか。冬の薄っぺらな灯りに晒された血の気のない脚というだけでは「青強し」が強すぎる。昼間見たひいらぎの白い小花が残像として強くあるという「青強し」でなければならない。いつもなら血の気のない細い弱弱しい脚、存在の不確かさを象徴するような脚が、「青強し」と花の残像に庇護されることによって、くっきりと浮かび上がっている。存在を確認している作者の意識と闇の中にあるひいらぎの花が、青白い脚を包む影となって見えてくる。

 人はたしかに沢蟹の清流をかえり
 権謀術数の人間社会。欲望は人を騙し騙され、戦争や殺人を引き起こす。そんな激しい事件ではないけれど、日々の生活に起こる色々な出来事に心は疲れ生きることの辛さが身に沁みるときがある。そんなある日、沢蟹の棲む清流に佇み上流を思いやれば、心の中をしみじみと通過してゆく流れの音。その音を生み出す流れの源に向かって遡り連なる幻の人の群れ。救いを求め人はたしかに沢蟹の清流をかえって行くのである。

 なずなの花に足濡れこころなどの白蝶
 朝露に足を濡らし、なずなの花咲く野を行く。朝日が暖かく気持ちが浮き立つ。白蝶がちらちら舞っている。なずなの花の白さえも蝶のように見える。眼前に広がるなずなの花咲く野。幻想の蝶が溢れるこころの野。濡れた足の冷たさが幻想を現実に戻してくれる。

 妹の雨夜みずすましになろうか
 「妹の雨夜」とはイメージの雨夜、つまり雨夜を妹と呼んでいるのか、それとも妹が好きな雨夜、妹を思い起こす雨夜というように現実の妹に即して読むべきか判然としない。私は雨夜を妹と呼んでいると読む。その方が作品の世界が拡散しない。作者の表現には幻想と現実が錯綜し分かちがたい魔術めいた世界がある。この作品もそれであり、妹への呼びかけと、雨夜への呼びかけが同次元に存在し、異界に入り込んでしまう。一読可愛らしい気がするが、静かな明るさを帯びた雨の昼間ならまだしも、真っ暗な雨夜をみずすましになって愉しみたいという願望は童話にならない。いかなる異変が起きたとて不思議でない異界への扉が開かれている。

 みどり児の熟寝(うまい)は赤き実か地か
 「実・地」は「じつ・ち」とも読めるが「じつ・ち」では観念的になる。表現の具体性、実感の強さから迷うことなく「み・つち」と読む。みどり児が熟寝している。顔が真赤だ。まるで赤い実(み)のようだ。いやそうではない。この自然の命の漲りと無垢は地(つち)そのものだ。単純明快な生命賛歌である。

 旅次照葉(昭和52年―55年)

 赤子泣く明るく指組むは風雲
 「風雲」は明るく指を組んでいる。したがって走っている雲でなく、とどまっている雲である。「かぜくも」ではなく、風が吹く前兆としての「かざぐも」であることは明らか。私は風雲がどのような雲なのか知らないが、作者は親しみを持っている。風を予感する雲の下、明るく元気な赤子の泣き声に微笑んでいる元気な作者の姿がある。

 春鳥きて鳴けり衰弱も花のよう

 「衰弱」しているのは誰だろう。人間ではないのかもしれない。「衰弱というものは」というような作者の衰弱感とも読めるが、それでは作品がきれいにまとまりすぎて力が弱い。自画像ではないだろうか。ご病気や気分的なもので衰弱したと自覚している。そんな自覚による自己愛が「春鳥きて鳴けり」であり、慰められているのである。

 雨蛙のまぶた金色嬰児(みどりご)も不思議

 雨蛙をかくもしげしげと観察したことがないので「雨蛙のまぶた金色」の真偽のほどはわからないが、作者がそのように見たことは確かであり美しい。この美しさは不思議さでもあり、嬰児の不思議さ、可愛らしさにもつながっている。雨蛙そして嬰児という美しさは、命の美しさでもあり、陶然としている作者の美しさが目に見えるようだ。

 いたどりの花か頭(かしら)か野を吹き抜け

 いたどりの背の高さ、葉の大きさ、茎の太さ、そして逞しさ。いたどりそのものを掴み取った表現は力強い。「花といえばよいのだろうか、頭といえばよいのだろうか」と逡巡する情の動きは愛情そのもの。吹き抜けてゆく風が心地よい。

 いまから眠る午前三時の照葉樹林
 季節は夏。まだ真っ暗だが、もうすぐ空が白み始める時間である「午前三時」。昼の暑さが遠のき、ほどよい涼しさが漂う。家庭の雑事だろうか、それとも他の所用か、都合があってもうこんな時間になった。夜明けが近いけれどいまから眠りましょう。照葉樹林の葉ずれの音が聞こえる。木々もこれから眠るのかしら。静かな落ち着いた心境。短時間の眠りであっても、疲れが取れる眠りになるだろう。

 風吹くような鳥のねむりに会いました
 家事を片付け終えたあとの散歩中の光景だろうか。不愉快な出来事に心乱れていたとき、ふとであった光景に落ち着きを取り戻したのかもしれない。それとも旅行中の小さな発見か。鳥の眠りに出会うまでの心情は色々想像できる。単純でなんでもない光景だから、なんでも想像できて、しかも穏やかな心が広がってゆく。

 霧白光朴の白光に嬰あり

 季節は霧で秋だろうか。それとも朴の花で初夏だろうか。初夏だと明るい生活の匂いが強くなるが、嬰に実体感が薄く象徴的雰囲気があり、朴であり朴の花でないことから、季節は秋であろう。しかし作者は朴の木に花を強く感じている。「霧白光朴の白光」という薄ぼんやりとした白い光景に陶然としているが、あまりにも抽象的な景色であるためだろうか、何かそれに酔いきれない不安定な感じがある。「嬰(やや)あり」という四文字の不安定感はそのような作者の心境を表している。そして「嬰あり」と感じ、「嬰あり」と書くことにより救われた安堵の吐息も聞こえくる。

 まんさく咲きしか想いは簡単になる
 精神に突き刺さり、果てしのない空間が広がる表現。「想いは簡単になる」は悟りではなく断念である。早春の安らぎと荒涼が同時に出現している。

 黒猫(昭和56年―60年)

 階下の孫ら眠りに花か水鳥か混る

 階下の部屋で遊んでいる孫の様子がいつも気にかかる。おや、先ほどまでの賑やかさはどこへいったのだろう、どうやら眠ったようだ。
「階下の孫ら」と書いたことにより孫の様子がはっきりし、作者の意識が具体的になった。「孫」の俳句は難しい。甘さに気持ちよく酔える作品は中々ない。ところで作者の人間性が出ていて面白いのは「階下の孫」ではなく「階下の孫ら」とわざわざ複数にしたことだ。おばあちゃんとしては事実にこだわるのだろう。このこだわりが韻律のたるみになっているが、一方では一音の長さが孫の様子に気を配っている様子を強調する効果を生み出してもいる。否定すべきか肯定すべきか判断に迷う「ら」である。

 山繭の薄緑の時間なのだから
 ものを見てその感じを率直に書く。それによって、時間の中に吸い込まれていくような官能が生まれた。作者の持ち味がよく出た作品。

 夏星よ黒猫百歳の耳立て
 百歳になったかと思われるほどの黒猫。一日中、起きているのか眠っているのかわからない生活ぶりだが、涼風に吹かれて星の下、今はしっかりと耳を立て厳しい姿を見せている。その姿を頼もしく眺め,まだまだ大丈夫と安堵する。

 むかしむかしがありぬ令法(りょうぶ)の花盛り
 花を見て花を楽しむ。花の美しさに引き込まれ、花の感じが言葉になって自然に湧いてくる。「むかしむかしがありぬ」。どんな昔々なのか、何があった昔々なのかは意識していない。昔話の「むかしむかし」のように表現を引き出すための「むかしむかし」なのである。令法の花盛りに呆然としてたたずんでいる実感が「むかしむかしがありぬ」という感覚を呼び覚ました。

 土佐は不思議天上に豆の花溜める
 土佐のイメージは豪快豪放、男性的な土地柄と言う感じだが、豆の花の優しさで土佐をとらえるというのも作者の優しさ。頭上に咲き満ちている豆の花の美しさは天女の舞姿のようだ。土佐によほど魅せられたようだ。空気の透明感さえ感じられる。

 巨木ユーカリ旅のねむりに白葉騒

 「白葉騒」とはなんと綺麗な葉のそよぎなのだろう。夢見るような惚れ惚れする樹木の感じがする。穏やかな旅の楽しさが伝わってくる。

 水牛と少女水牛と青年の広漠
 少女が水牛の世話をしている。別の場所では青年が水牛と働いている。眼前に広がる田園風景。「広漠」という一語を持って少女や青年の心まで明らかにし、大きな景色を書き切った。

 うつぎ咲く黒猫うつぎの夢の中
 黒猫に注がれる目の優しさ。いつも半睡半覚の状態にいる黒猫。このうつぎはもはやこの世のうつぎではなく、お釈迦さまに見守られている花のようだ。

 帰郷(きごう)とはりょうぶの花の白房にあり
 「ききょう」ではなく「きごう」とあえてルビを振るのは、「ききょう」という甘さをともなった日常性よりも、胸を張った意識的な姿勢を強調したかったからである。それだけ作者はりょうぶの花の清新さに同調し、気高さを主張したかった。

 むしかりの花(昭和61年―63年)

 栃の実は夕日の落しゆく冷えか
 秋の日中は暖かくとも、夕暮ともなれば急激に冷えてくる。空気が澄んですがすがしいが、風邪に注意しなければならない。栃の実はあく抜きをしてとち餅にしたり、とち煎餅にしたり、古来からの食べ物。胃にも良いという。作者にはなじみの木の実なのだろう。淡々とした秋の心情。

 冬の夜の黒猫菜の花の匂い

 冬の夜外は真っ暗だが部屋は明るく暖かい。冬も半ばを過ぎて春が近づいているが、相変らず寒さは厳しい。でも心なしか生活を共にしている黒猫の動作が柔らかくなったように感じられる。春が近くまで来ていることを感じているのだろうか。体から菜の花の匂いが漂ってくる。
猫の体臭が菜の花の匂いというのは突拍子もない感覚とも思えるが、鋭敏な季節感が働いているゆえに違和感がない。菜の花が部屋にありそれが匂っているという読みは最悪。黒猫を無視した読みになる。

 雪舞う日緋鯉曾祖母祖母に候(そうろう)
 おどけた口調が曾祖母祖母に寄せる情愛を濃くしている。雪が舞っている。体の芯から冷えてくる寒さだ。緋鯉は池の底でじっとしている。しかし寒気に冴えて緋鯉の色は鮮やか、温かさが漂う色だ。緋鯉を見つめていると、火鉢の脇に坐って冬を過ごしていた曾祖母や祖母の姿が思い出される。

 京菜一ト株一ト抱え歳晩の明星
 京菜の大きい株は周囲一メートルにもなるという。これはそれほどではないが、一抱えなのだからやはり大きい。鍋料理で暖をとろうというのだろうか。目立たない表現だが明星の輝きが鮮やかだ。

 むしかりの白花白花(しろはなしろはな)オルゴール
 むしかりの花賛歌。「オルゴール」はどこかで鳴っているのではなく、むしかりの花の印象であろう。山道の静けさと沢音の響き、むしかりの花の白さに少女のように胸が弾む。

 桔梗桔梗わが家に少年が二人
 桔梗に話しかけているようでもあり、桔梗が少年のようでもある。だがもっとはっきりしているのは、心弾む思いを誰かに伝えたいという思いだ。ものすごく浮かれている心地よさが表現に溢れている。たまたま桔梗があり、桔梗に少年の清潔感と愛らしさを感じ「わが家に少年が二人」と話しかけた。「桔梗(きちこう)よ」では韻律が悪い。「桔梗桔梗」でなければ弾まない。少年はお孫さんだろう。

と、ここまで書いて、これでよいのだろうかと疑問が湧いてくる。作者の表現には二面性を感じることが多い。華やかな裏の淋しさ、喜びと同時に響いてくる辛さ、それを掃いきれない作品がある。この作品もその一つ。「心弾む思い」と書いた瞬間にしんしんとした淋しさが伝わってくる。桔梗という花が淋しさをともなっている花であることもあるのだろう。桔梗に向かって「少年二人によってどんなに励まされているか」と語りかけていると思える淋しさ。そのような鑑賞を否定できない。
この作品の本心は喜びなのか淋しさなのか、私にはわからない。

2015年4月23日

『 悩むことはない』金子兜太


『 悩むことはない』文藝春秋 のち文春文庫 [2011年4月]
第1章 問われて答う
第2章 生い立ち 来たるところ
第3章 戦争と俳句、戦地で俳句と決別し、戦地でふたたび俳句に会う
帯より
91歳の自由人金子兜太。溢れ出るいのちの言葉。なにをしても虚しいときこの本を開いてください。「よく眠る夢の枯野が青むまで」この句は芭蕉の「旅に病んで夢は枯野をか
け廻る」を念頭に兜太が詠んだ句だ。俺はあんたのように悩まないよ、と。