2020年8月17日

金子兜太さん一周忌会見2019/02/22

2019年 2月20日は俳人の金子兜太さんの一周忌。晩年の金子さんを追った

ドキュメンタリー映画「天地悠々 兜太・俳句の一本道」の河邑厚徳監督と、

俳人の黒田杏子さん、作家の下重暁子さん、嵐山光三郎さんが、金子さんへの

思いを語り合った。

(1周忌の講演会。アップさせて頂きました。 遠藤秀子)


 https://www.youtube.com/watch?v=jO5iILyV3nQ

YouTubeでみたほうが画面が大きいのでリンクでご覧下さい。


 

2020年8月16日

金子兜太俳句の歩みを辿る

 金子兜太俳句の歩みを辿る安西 篤 (俳誌・海原代表)

著書「金子兜太」の要約 金子兜太資料へリンク

  金子兜太は、九十六歳の現在もなお現役並みの俳句活動

  を続けており、今や俳壇のみならず、文化交流のメディア

  としての役割を果たしうる時代の牽引者の位置にあると

  言っていい。兜太自身、自らのアイデンティティは俳句で

  あると言うように、その生涯は俳句の歩みとともにあった。

  その歩みは五つの時期に分けることが出来る。


  第一期は、俳句開眼(昭和十二年)より終戦後海軍軍人

  としてトラック島から帰還するまで(昭和二十一年)の時

  期。兜太十八歳より二十七歳までの期間に当たる。この時

  期の特色は、原郷としての秩父の風土と、戦争体験の中に

  花開いた抒情の原質であった。作品の上では、第一句集『少

  年』(昭和三〇)の前半の時代である。


  白梅や老子無心の旅に住む(昭二二)

  水戸高校時代の処女作であるが、すでにして老成の感が

  ある。これには幼い頃からの俳句環境が下地にあった。父

  伊昔紅は馬酔木の同人で、秩父句会の指導者であったから、

  句会の雰囲気には早くから接していたことが大きい。

  曼珠沙華どれも腹出し秩父の子 (昭一七)


     東大時代、秩父に帰省した時の作。秩父の山野を駆けず

 り回る悪童の姿に、自分自身を映し出す。兜太の原郷感覚

 の典型として代表句の一つに数えられている。

  魚雷の丸胴蜥蜴這い廻りて去りぬ(昭一九)


  トラック島、米軍の空爆で黒焦げになった海軍基地の風

   景。野積みになった魚雷の丸胴に蜥蜴が這い廻っていたと

   いう、戦場の中の日常。


 水脈の果炎天の墓碑を置きて去る(昭和二二

  一年半の捕虜生活の後、最後の復員船で帰国。船の水脈

 の果てに、戦友たちの墓碑を残して別れる。万感の思い。

  こうして兜太は、戦時から終戦にかけての極限状況の中

 で、死者への思いと生への執着を重ねて、人間性の高ぶり

 を充填してゆく。この戦争体験は、原体験として焼き付け

 られ、原郷意識とともに、兜太の叙情体質を開花させていっ

 た。「曼珠沙華」の句とともに「水脈の果て」の句は、兜太

 の原風景を代表する句といえよう。


 死にし骨は海に捨つべし沢庵噛む(昭和二

 復員後の兜太は、非業の死者たちに促されて生き残った

 生を生きるからには、死後自分の形骸を残そうとするよう

 な未練がましい生き方はすまいと決意する。これが日銀復

 職後の組合活動への挺身につながることになる。戦後俳句

 の志向性を示す一句。