2020年9月2日

句集『日向灘』疋田恵美子



著者略歴

1940年 高知県生まれ

2000年 登山始める

2002年 俳句始める 同年「海程」入会

2006年 宮崎俳句研究会「流域」入会

2009年「海程」同人

2010年「青銅通信」入会

2017年「錆」入会

2018年「海程」終刊

現在 「海原」同人

現代俳句協会会員・九州俳句作家協会会員・宮崎県俳句協会会員


 金子兜太

 煮凝りの亡母のクローンと思わずや    疋田恵美子

 「煮凝り」を「亡母のクローン」と見る、あえてそう見てみせる、 

   作者の大胆さがおもしろい。しかも大胆無頼を 好しとするばかりでなく、

 亡母への思いの深さ熱さが、それこそ逆説的に伝わるところが嬉しいのだ。

 煮凝りに箸をつけながら 亡母を恋ういま。


 著者自選句

 目玉むきだし踊るマオリや秋の星座

 月載せて谷に群れなす孕み鹿

 汗とばしり柤母山傾山のきりぎし

 初日の出吾は達磨のブロッケン

 道祖神だんだん似てくる母はさくら

 磔刑のごと夕焼けに一本松

 阿蘇五岳虹の片足ズームして

 月光に母を泛べる日向灘

 累卵のしずけさ初秋のフクシマ

 夫の間に夫の手植えの椿盛る

 ジュゴン今冬の辺野古をさまよえり

 師の生家イロハモミジの種賜う


句集「日向灘」刊行に寄せて 長友巌(錆俳句会代表)

「錆」俳句会の仲間である疋田恵美子さんが初の句集「日向灘」を上梓

された。心からお慶び申し上げる。

恵美子さんは二〇〇二(平成十四)年に俳句を始め、「海程」に入ってい

る。二〇〇六(同十八)年宮崎俳句研究会「流域」に入会、二〇〇九(同

二十二年「海程」同人、金子兜太主宰逝去の二〇一八(同三十)年まで師

の指導を受けた。現在は「海程」の後継誌で安西篤氏が代表を務める「海

原」の同人として頑張っている。


 なお、恵美子さんの俳句作法に、俳句はこうあらねばならぬとの決めっ

けはない。俳句らしさに固執せず、おおらか。破調もあり、字余りもあり、

季語も必須ではない。詠うのは、心に触れるもの、生きている実感である。

 

 日向灘は、山好きの恵美子さんが愛する宮崎の山々に源をもつ県内主要

河川が注ぎ込む、私たち県民にとって母なる海――、この句集はその日向灘

が象徴する[ふるさと宮崎]讃歌でもあろう。

 句集は制作順に編まれているが、歳月を超えて貫く主テーマは、「家族

愛」、「登り」、「旅」、「師」、「社会」、「暮らしの日々」などであろうか。


 まず「家族愛」―。句集の随所に家族を詠んだ句が散りばめられている。

つらいことや嬉しいことがあざなう日々のなか、家族への限りなく優しい

眼差しが紡ぎだす句にその人柄が滲み出ている。

  線香花火子が来て草を踏みしだく

  指からます幼き手のあり星月夜

  河骨の沼の澱みや母危篤

  湯布院の柚子湯に家族集いけり

  月光に母を泛べる日向灘

  娘は五十わが家の柊花ざかり

  門火ゆれ夫よ母よ疾く来ませ

  ラグビーの早稲田優勝孫卒業


 次いで[山登り]恵美子さんは還暦を迎えるころからの山女。その

登山歴は俳句に親しむ前からで、中高年対象の宮崎山楽会に属して月に二

回の山行きを楽しむ根っからの山好きである。踏破地は県内外に及ぶ。

 「山笑う」の句にあるように、まだ登山経験浅いころ宮崎市の[双石山]

登山では命に関わる三か月もの入院を要する大怪我を負ったが、それをま

るで笑い飛ばすかのような意気軒昂な句をつくる。山登りが俳句作りのエ

ネルギーになっているのかもしれない。

  山笑うわたし砂礫を滑落す

  啄木忌一日山に寝て過ごす

  祖母山紅葉産道のごとき巖くぐる

  湯布院山荘竹林青し木賊青し

   阿蘇五岳虹の片足ズームして

  祖母山系夏落葉踏み雲を踏み


 [旅]、恵美子さんはまた旅がお好きなようだ。吟行を兼ねて国内外

を旅している。旅は新しい自分を発見させる。旅で訪れた土地への単なる

挨拶句でなく、鋭い感性と深い思索が根底にある。

  出水荒崎一万数千の鶴合唱

  目玉むきだし躍るマオリや秋の星座

  浜昼顔ピアス激しく揺らします

  プーシキンの絵画さやけし六甲山


 「師」恵美子さんの人生最大の師は、いうまでもなく「海程」の金子

兜太主宰だろう。「錆」誌にしたためた恵美子さんのエッセイにも、師へ

の想いが見られる。よき師に出会った喜びや喪失感が感じられる。

 [海程]創刊時から兜太に師事した塩野谷仁(同人誌「遊牧」創刊代表)

は、兜太の忘れられない言葉として――「なあ、君。生きる哀しみを知ら

奴はどうしても信用できないかね」と言われた。師の本質の一部を覗いた

気がした(俳句界 平成30年4月号)と追悼している。同感である。

 また兜太は、「海程」の結社活動においては「俳諧自由」をキーワード

に個性重視の方針をとり、門人を自身の俳句観に従わせるのではなく、そ

れぞれの個性を発揮できるようにするためのアドバイザーとしての立場に

身を置いていたという。私たちの「錆」創刊の理念もこれに近い。意を強

くするとともに、若い日、私の句について「それが君の地金だ」と励ます

ハガキを頂いたことなどを思い出す。恵美子さんは、「迷うことなくおそ

れずに」の師の言葉を胸に、心のままに俳句を作っていると述懐する。

  瀞の岩肌師の哲学を思うかな

  草藤のむらがり咲きぬ師の句碑よ

  花透いて兜太先生身罷りぬ

  兜太似や秩父夜祭太鼓打ち


 「社会」―。関心は世の中にも向けられる。あの東日本大震災言(三・一一)

や戦後社会などを詠った確かな句も、数は多くないが見られ、イデオロギ

ーや主張を詩的感性でオブラートしたその詠み方に共感がもてる。

  磔刑のごと夕焼けの一本松

  原発や花弁ねじれて石蕗の花

  濁世かな落葉松の芽のほのぼのと

  鵙の贄航空祭の金網に

  ジュゴンいま冬の辺野古をさまよえり


 「暮らしの日々」―。肩の力が抜けた、素の恵美子さんが顔を出している。

明るくてユーモラスで、優しくて芯が強く、人生を誠実に生きる人の人間

賛歌の断章である。

  ガジュマルでポーズとるわたしは少女

  でで虫よわたしのU目菜食べないで

  こづかれて笑っています吾亦紅

  土佐文旦ふるさとしゃきっとしています

   薄氷を背負い込み喜寿となりにけり

  魂の修羅しゅら燃える芒原

  生きて老い落葉自在の浮き方よ

  おだまきや言わねば晴れぬ心あり

  少しずつ身軽になる歳茗荷の子

  産土やかくもしずかに柚子たわわ


 句集「日向灘」は、恵美子俳句の初心時代からきょうまでの一七年間の

軌跡を示すとともに、人生の記録・心の記録であり、今後の俳句活動のさ

らなる起爆剤となるものと期待して、刊行のお祝いとしたい。刊行おめで

とうございます。


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