2019年5月11日

「小林一茶」 旅人や野ニさして行流れ苗

文政句帖・文政5年-8年 (1822-1825) 60歳-63歳

旅人や野二さして行流れ苗

 流れた苗を拾って、田に挿してゆく。その人の影が水田に映りながら
遠ざかった。旅人でる。流れ苗にもこころが寄るのだろう。

 文政5年、一茶60歳の作。『文政句帖』は、句日記としては最後の
もので、[荒凡夫のごとき、59年が問、闇きよりくらきに迷ひて、云
云]と冒頭に書きつけてはいるかそれなりの成熟もある。『享和句帖』
(41歳)を中心に展開した一茶の感性的資質が、七番日記、八番日記
あたりで揉みに揉まれて、やっとここにきて、なんとない熟成をあらわ
すのだが、熟成即ち衰弱ともなる。この句帖の後段はかなりの老衰を感
じさせる。しかし「荒凡夫」の生と表現は、そういうものであって、円
熟などというものとは縁遠いところに魅力があるのだ。

 ところで、この句だが、同時期、「夏山やどこを目当に呼子鳥」という句が別にあって前書がある。それによると、隣国越後に選明という人がいて、自分を訪ねるといって出掛
けたのだが、行衛がわからなくなってしまった。そのため、その子が探しに出て、自分のところに尋ねてきたというもの。夏山の重なりを分け、越えて、父を探ナ子、また、その
重畳の山なみのどこをうろついているのかわからないその父の流浪-それが一茶のなかにずっと残ったのではないだろうかい北国街道をゆく旅人は多い。一茶は、あの人が、その父ではないか、と普段以上に気を使っていたのだろう。

2019年5月10日

「小林一茶」雀の子そこのけく御馬が通る

八番日記 文政2年-4年(1819-1821)  57歳-59歳

雀の子そこのけく御馬が通る

そこをどきなよ 雀の子 ひんひんお馬が通るじやあないか うっかり
してると踏まれるぞ

 ――文政二年の作。「雀の子」は『歳時記』では晩春の季題で、巣立
ちのとき、地におちて、子供や猫に捕えられたりする。嘴が黄色いとき
なので「黄雀」ともいうが、燕の子は、巣のなかで大きな囗をあいて餌
を待っているところを題材にされやすいが、雀のほうは、この巣立ちの
時期がねらわれるんだね。一茶には別にも、有名な、「我と来て遊べや
親のない雀」があるが、この「親のない雀」が「雀の子」ということに
なって、無季の句ではなくなるんだよ。ちょっと、くるしいところだ。

2019年5月9日

「小林一茶」 痩蛙まけるな一茶是ニ有

七番日記・文化7-文政元年(1810-1818) 48-56歳

痩蛙まけるな一茶是ニ有

お前の味方はこの一茶だぞ。さあ、負けるなよ痩蛙。

 ――文化13年の作で、有名な句だが、内容は、軽い呼びかけ、いさ
さか戯れ気味の呼びかけととるべきものだ。この年には「時鳥なけなけ
一茶是に有り」もある。「一茶是ニ有」は軍記物にでてくる名乗りの調
子で、これがおもしろくて作っている節もある。

 ――この句は真面目すぎる受けとられかたをしていますね。前書にも
あるように「蛙たたかひ」を見にいって作ったもので、別の前書ではも
っとくわしく「武蔵国竹の塚で蛙のたたかいがあるというので見にい
った」と書いてあります。竹の塚は、奥州街道を千住から草加のほうへ
少しばかり入ったところで、現在は東武線の駅があります。蛙のたたか
いには二説あるんですが、一つは、蛙合戦ともいわれて、蛙がたくさん
集って生殖行為を行うことなんですね。雌は一匹で、雄が大勢だから、
どうしても雄どうしのたたかいになる。痩せたやっは分がわるい、と
いうわけです。いま一つは、一匹の雌に数匹の雄を向かわせる遊びで、
金銭を賭けることもあるそうです。どうも最初の説のほうが、この句
にはふさわしいようにおもいます。高調子で、戯れて呼びかけるには
蛙合戦のほうがいいですよ。

2019年5月8日

「小林一茶」 初蝶のいきほひ猛に見ゆる哉

初蝶のいきほひ猛に見ゆる哉
文化句帖・文化元年-6年(1804-1809年)42歳-47歳

ことしはじめての蝶がとぶ。ひらひらとやさしいが、けだけしいほどの勢いがある。春がきたのだ、勢いにみちて。

 文化元年の元日から、句日記『文化句帖』を書きはじめている。けじめに、「今歳革命
の年と称す。つらつら42年、他国に星霜を送る」(原文は漢文)と書きとめているが
この年の干支は甲子にあたり、いわゆる革命の年とされる。享和四年を文化に改めたのも
そのためで、辛酉の年が革命の年とされ、ともに改元などがよくおこなわれた。

 こういう干支への関心は、一茶が、詩経とともに易に食指を勁かしていたことによる。
四十歳をすぎて、なお独り江戸暮しをしている自分の命運を見定めようとする気力が、湧
きはじめていたのかもしれない。交際も広くなり、故郷柏原の人たちとの交流も増えてい
る。そして秋には、本所相生町5丁目に家をもつ(借家だが)。家をもつと、さらに訪問客も増えて、業俳のほうも、なんとなく安定してくるようだ。

 そんな時期の句である。父と立砂の死後の〈放浪〉期が、ようやくおさまってゆく感じ
もある。漂泊の月日にかわりはないが、放浪に窶れていた身が、なんとなく鎮まってゆく
のだ。

 その復調の気力-それが、この句の根にあり、一茶は時季の勢力を蝶にみている。彼に蝶の句は多く、この『句帖』中にも好句が多い。しかし、

  手のとどく山の入日や春の蝶
  町囗ははや夜に入りし小蝶哉
  蝶とぶや狐の穴も明かるくて
  かつしかや雪隠の中も春のてふ
  初蝶の一夜寝にけり犬の椀

 と挙げてみても、これらの蝶が、一つとして「いきほひ猛に見ゆる」もののないことが
わかる。可憐な、優しい、明るみをおびたものである。その点、掲記の句は一茶の蝶俳諧
のなかでも特殊なものといえようし、それだけに、彼のこのときの気持をあらわしていて
おもしろいわけなのだ。

 何桜かざくら銭の世也けり
なんだかんだと桜に名をつけて、稼ぎにかかってる。銭の世だなあ。

 文化2年の作。世相をズバリうたっている句だが、先ほど挙げた「辻訊ひ」や「和尚
顔」の句のように直接に情景を描くのではなく、情景全体の印象を、やや観念的な映像に
仕立てあげるのだ。

 この種の作品は、この後もずいぶん作っているが、貨幣経済丸浸りの江戸に住んで、一
茶の〈銭の苦労〉も並大抵ではなかったのだ。おもしろいエピソードがある。

 この句から5年あとのことだが、一茶は夏目成美の家の留守番をしていた。成美は井筒
屋八郎右衛門といい、父祖代代、浅草蔵前で札差業を営んでいる金持で、一茶のことは、
早くからよく面倒をみていた。一茶も何かといえば成美のところに転がりこみ、晩年、柏
原に帰住してからも、じつにしばしば文通し、句の添削まで乞うている。

 その成美なのだが、ちょうどそのとき、金箱の金がなくなったのだ。留守をしていた人
たち全部が足どめをくうことになり、とうとう8日もとめおかれることになった。結局、
金は出ないで、一応無罪放免ということになったわけだが、一茶の心中はおだやかではな
かったようで、『七番日記』(この『文化句帖』の次の句日記)に、「我モ彼党ニタグヘラレテ不‘に許こ=他出(おれも連中同様ものとりの一人に疑われて、外に出してもらえなかった)と、うらみがましく書きっけていた。

 こういうきびしさが、銭金についてはあった、ということで、親友も知己もあったもの
ではない、という感じが、一茶にはカチンときていたにちがいない。
 だから、銭については、似たような句が多い。どれ一つ、あまり好句とはいえないが。

  羽生へて銭がとぶなりとしの暮
  町並や雪とかすにも銭がいる
  御仏や寝てござつても花と銭
  二三文銭もけしきや花御堂
  今の世や蛇の衣も銭になる
  朝顔を花にまでして売るや人
  土一升金一升や門涼み


初霜や茎の歯ぎれも去年迄

茎漬を歯切れよく食べることができたのも去年までだった。もういけない。歯が言うことをきかないわい。初霜だなあ。

 文化3年、44歳にして、一茶の歯は茎漬をさりさりと噛めなくなったのだ。歯の弱まり。茎漬は、訟や大根の茎を葉とともに塩押しして漬け、寒い季節の食用とするもの。歯切れの感じが味の大きな要素だから、これではいけない。一茶はがっくりしている。

 「初霜や」は、はじめて霜のおりた朝の体験ととってもおかしくはないわけだが、いやはや、自分にも初霜がきたわい、という思い入れを加えて読みたい。思い入れが入ってもなお、理屈倒れしないところがよいわけなのだ。つまり、思い入れが、初霜という語のひびきになっているところがよい。

 一茶の歯は51歳で全く抜けてしまい、「すりこ木のやうな歯茎も花の春」ということになる。また、この44歳のときには、「梅干と皺くらべせんはつ時雨」という句もあるから、梅干婆さんならぬ梅干爺さん的皺の寄りぶりを呈していたのかもしれない。一般的にいって、当時の人が当今より年をとりやすかったことに間違いはない。(一茶は、彼の記録類から窺うと、皮膚病の関係以外は、頑健だったようだし、だいいち、じつによく自分の健康に気を配っていた。薬類についてもなかなか知識がある。その男にして然りである。)


2019年5月7日

「小林一茶」 吹かれく時雨来にけり痩男

吹かれく時雨来にけり痩男
享和句帖・享和3年(1803年)  ――41歳

時雨のなかを男がやってくるんだが、風に木の葉の感じ。からだは団扇のようにへなへなしている。痩せ男のあわれさ、おかしさ

 「時雨」はさっと降って、さっとあがり、断続して降るかとおもうと、しばらく降りっづいたりする。ときには山から山へ移動し、野をわたる。「鷺ぬれて鶴に目のさすしぐれかな」(蕪村)のように、ひとところは時雨れて、ほかのところには陽が当っていることもある。

 『歳時記』では冬だが、一茶『寛政3年紀行』では、4月(旧暦)の半ばごろ、「いせ崎の渡り」(今の群馬県伊勢崎市と埼玉県本庄市とを結ぶ利根川の渡しだった)で出あった雨でも、この土地の人たちはしぐれというと書きとめ、「人に見し時雨をけふはあひにけり」の句を作っている。土地によって、移動して降る雨を、季節にこだわりなく時雨というところもあるということで、一茶の句は、移りゆくものとの〈出会い〉の縁にひかれてぃるのである。孤独者のこころに映る運命というものの翳なのだ。

 掲記の作品は、あきらかに初冬の季感を土台にしているが、時雨の移りゆくぃきおいを
無視できない。双方が一緒になって、いかにも苛苛としている。痩せ男に降りかかり、降
りつのり、やがて去ってゆく、運命のような時雨。痩せているだけに骨身にこたえること
だろう。


2019年5月6日

「小林一茶」 ひとりなは我星ならん天川

ひとりなは我星ならん天の
歴裏句稿(1802年)――40歳

はるばると空をながれる天の川。そのそばにいっもひとりでいる星。ぼんやりと、にぶくいる星。あれがおれの星なんだ。いや、あれがおれの姿なんだ。

 よき先輩立砂につづく父の死。そのあとの遺産相続問題、そして、40歳になる一茶。
一茶の〈修業時代〉は終った。
 この1年間、一茶の消息はよくわからない。江戸に帰っていたことには間違いないが、なにをしていたか定かではない。この作品も古暦の裹に書き連ねてあったものの一つで、
一茶はこころの荒みに耐えていたのだろう。

 そのため、古暦裹の句句は、孤愁に沈んでいて、それまでの、なんといっても、どこと
なく弾みがあり、哀寂といっても感傷の甘さを主調にしていた時期とは違ってくる。じっ
と見るすがたがあらわれてくる。この句も、陋居にあぐらをかいて、上眼づかいに江戸の
夜空を見つめている感じがある。むろん、やもめ暮しで、茶碗が膝の辺に転がっていたろ
う。あるいは、ひとり巷に出て、頭の上の天の川を追いつつ、歩いていただろう。そのと
 きも、眼は妙にしっかりしていて、ひとつの星を見定めていたのだ。

 正月早早、一茶はこんな句を作った。「門松やひとりし聞けば夜の雨」。七夕のとき、たまたま洪水があった。「助け舟に親子落ちあふて星むかひ」。私の好きな次のような句もある。「有明に躍りし時の榎かな」、「鴫どもも立尽したり木無し山」。みな、中年にして肉親を失った、ひとりものの句だ。

 星といえば、一茶には星の句が多く、「わが星」も多い。この頃から小動物や昆虫たち
の句も増えるが、星への関心にも似たものがある。わが星の句を並べてみよう。

  我星はどこに旅寝や天の川         (41歳) 
  我星は上総(かづさ)の空をうろつくか   (42歳)
  我星はどこにどうして天の川       (50歳)
  我星はひとりかも寝ん天の川       (60歳)

 このうち、第1句の「どこに旅寝や」が、第3句の「どこにどうして」に改められたら
しい。義太夫節の一節が入ってきて、すっかり余裕をつけた印象である。第4句の「ひと
りかも寝ん」も、冒頭掲記の「ひとりなは我星ならん」を改作したもので、万葉集巻11
゛異本゛の゛足引きの山鳥の尾のしだり尾の長長し夜を独りかも寝む」からの本歌どりである。

 なお、大正から昭和期に活躍した高浜虚子に「われの星燃えてをるなり星月夜」という
作品があるがヽ一茶の作品と対蹠的である、自信と気力があるから、天の川の流離感では
なく、星月夜の絵画的な空間を好むのである。一茶は終生、この虚子の句のような、ぐっ
と構えた作品を作ろうとはしなかったようだ。

2019年5月5日

「小林一茶」 足元へいつ来りしよ蝸牛

足元へいつ来りしよ蝸牛
(あしもとへ いつきたりし かたつむり)
父の終焉日記 享和元年(1802年) 39歳

足元に来ている蝸牛に、いままで気づかなかった。気持が父のことに囚われていたせいだ。
 立砂の死んだ翌々年の四月、一茶は久しぶりに柏原に帰ったが、その帰郷中に父の死に
会う。病気は悪性の傷寒(今のチフスのような熱病)といわれ、一ヵ月ほどわずらって他界した。享年69九歳。祖母既になく、父も死に、一茶には故郷に頼るべき人がなくなる。
それに加えて、継母とその子仙六(異母弟)を相手とする遺産相続問題が残る。しかも、
一茶もようやく四十歳に入る。老後を考える年齢になってゆくのだ。
 この文章は、父が突然倒れた日から初7日までの日記風の記録だが、心理や感情への眼
くばりといい、ドラマチックな筆のはこびといい、むしろ短篇小説の印象で、しかも、虚
構や誇張にしても、修辞にしても、ずいぶん個性的になっている。一茶独自の表現が展開
する、その出発点にあるものとおもう。

 この作品、倒れた父が小康を得たときのもので、安堵感が表現されている。この日記に
は少ないが、大方が技巧的にも完成したもので、充実感がある、むろん完成したもの足りなさもあるが――。