君が代や茂りの下の耶蘇仏
寛政句帖・寛政4年~6年 (1792-1794 30歳-32歳 )
木の茂りのかげにキリシタンの「耶蘇仏」があった。こうして無事なのも、御時勢でござんすよ。
寛政5年の作。秋ごろ大坂から四国に渡って、讃岐観音寺(今の観音寺市)の専念寺にゆき、五梅和尚を訪ね、それから九州へゆく。この年の正月は肥後八代(熊本県八代市)正教寺で迎えているんだね。やはり君が代で「君が世や旅にしあれど笥の雑煮)という句を作っているが、これは『万葉集』有間皇子の歌のもじりだ。正確ないいかたではないが、まあ、本歌どりといっておこう。皇子の歌は、「家にあれば笥に盛る飯を草枕旅にしあれば椎の葉に盛る」――
――この寺の住職西天庵文暁は、有名な『花屋日記』の著者でしょう。
寛政句帖・寛政4年~6年 (1792-1794 30歳-32歳 )
木の茂りのかげにキリシタンの「耶蘇仏」があった。こうして無事なのも、御時勢でござんすよ。
寛政5年の作。秋ごろ大坂から四国に渡って、讃岐観音寺(今の観音寺市)の専念寺にゆき、五梅和尚を訪ね、それから九州へゆく。この年の正月は肥後八代(熊本県八代市)正教寺で迎えているんだね。やはり君が代で「君が世や旅にしあれど笥の雑煮)という句を作っているが、これは『万葉集』有間皇子の歌のもじりだ。正確ないいかたではないが、まあ、本歌どりといっておこう。皇子の歌は、「家にあれば笥に盛る飯を草枕旅にしあれば椎の葉に盛る」――
――この寺の住職西天庵文暁は、有名な『花屋日記』の著者でしょう。