2019年10月3日

句集『遠方』吉岡一三



 ◆自選20句抄◆
父母の写真狐の泊まる家
緑蔭を誰も出られぬやうに塗る
蝉時雨森が重たくなってきた
きちきちばった昔から来た葉書
空海を探しに行きぬ天道虫
をんをんと鳴る春分の火炎土器
半生を象にすればシャボン玉
草いきれ何もしていない怖さ
傷口とカンナは赤ときめている
猫の恋ヤマトタケルが来ているぞ
うつくしい鳥の内臓十二月
新しい莫大小を穿く憂国忌
コロンブスの卵が一つ冷蔵庫
十二月八日燃えないゴミを出す
セーターをくぐり出て海亀である
神を見ず霧の大杉押せど押せど
卑弥呼には樗の花がよく似合う
八月十五日正午まで何もなし
秋風の自転車について行く手ぶら
蝗仲間いなごを取りに行ったきり
 

栗林 浩   句集『遠方』評              

 吉岡さんが第一句集「遠方」を刊行された(現代俳句協会、2019年6月25日刊行)。1998年からの約20年間の作品を入集している。序文は「遊牧」代表の塩野谷仁さん。そこでは、絵画を趣味とする吉岡さんのデッサンカが俳句にも生きている、と言い、さらに、氏の発想の意外性に驚かされるとも書かれている。

 吉岡さんは、俳句教室で俳句を学び始め、伊藤白潮主宰の「鴫」に入会し、2000年から同人。その後、塩野谷仁さん
の柏の俳句教室の縁で、「遊牧」に参加、2009年同人とな
った。

各グループから、その変化が瞭然と分かる句を鑑賞してみよう。
1998年から2008年ころ              
林出て肩より低き冬                 
花水木冷たかりけり姉の頬

               
 情を殺した写生的な作品である。二句目はお姉さんの死のことだろうか? そうだとすれば、「悲しい」はずなのだ、そうは言わず、「冷たい頬」を冷徹に詠む。しかし、一三さんはガチガチの写生派では終わらないであろう。その「地」が一三さんにはある。〈走らない約束の機関車に夜霧〉や〈冬の噴水てつぺんのてんてこ舞ひ〉における「走らない
約束の」とか「てんてこまい」でそれが分かる。この後で、たぶん、諧謔のある句を試行されるのでは、との予感を筆者
(栗林)は抱いた。


2009年から2015年ころ
定位置に氷柱の育つ生家かな
鶏絞めて卵出てくる在祭り
コロセオは穴のかたまり鳥雲に
春雷や神をみごもる火炎土器
夏草のよく出来ている休耕田


「定位置」の句はしっかりした写生句。二句目もそうだが、
腑分けされた鶏に卵を見て、その感動に「在祭り」という季語を斡旋した。「コロセオ」もローマのコロセウムを見て、「穴のかたまり」と喝破した。ざっくりとした写生である。
 五句目の火炎土器は、一三さんの自選句〈をんをんと鳴る春分の火炎土器〉も佳句なのだが、個人的には、こちらの「火炎土器」の方が、筆者は好きである。「わんわんと」の句は則物写生的、「春雷」の句は「神をみごもる」というとてつもない詩的想念の世界を詠んだ。

「夏草」の句は、「よく出来ている」が何とも言えない諧謔・ペーソスーアイロニーを感じさせて、これは、のちの一三さんの作句の骨格となって行くように思える。


2016年から現在まで
夏鶯なろうことなら斑鳩で
専守防衛艦隊のよう浮寝鳥
秋風の自転車について行く手ぶら

 この辺りから現在の一三さんらしい作品が並ぶ。自由な思
い・断定・諧謔の句が多くみられる。「秋風」の句はなんという理由がないのだが、好きな句である。「手ぶら」が、なかなか言えない。実にいい軽さである。
中には、難解句も交じってくる。

消しに行くユーフラテスの大陽炎
花の城石垣の因数分解
五代目の仏壇引き摺る春の泥

など、筆者には解説しがたい作品がある。もちろん、俳句で意味を超越した何かを感じさせられれば成功である。筆者も何かを感じた。これらの、筆者にとって難解な句群は、塩野谷さんが言う「意外性」が効果を収めているのであろう。それが詩的な意外性である場合、成功である。たとえば、〈肺へ落つ木の実もあらん核日和〉や〈地球の速度に青大将止まる〉〈硫黄島帰りの海月かも知れず〉などがある。

 一三さんが、何かに向かって俳句の可能性を試みているさまが見える。だから、今後も一三さんの作品から、目が離せないのである。


0 件のコメント:

コメントを投稿