2019年5月12日

「小林一茶」やけ土のほかりくや蚤さはぐ

文政句帖以後 ・文政9-10年(1826-1827)  64歳-65歳

やけ土のほかりくや蚤さはぐ

火事あとの焼け土はまだほかほかとあたたかいです。蚤もいい気持でさわいでますわい。まだ元気です。

 文政10年、信濃紫にいる門人の久保田春耕にあてだ書簡に書きとめられている。前書に
「土蔵住居して」とある。
 この年の閠6月1日、柏原に大火があって、一茶の家も類焼した。焼け残った土蔵に仮住いしていたのである。妻のやをとは前の年に結婚している。

 この句は、そういう目常のなかでできたものだが、飄逸の風がある。被災をあまり苦にいない感じがある。しかし、湯田中で盂蘭盆を行ったときの句は、「御仏は淋しき盆とおぼすらん」とあって、淋しいということば以上に、しみいるような淋しさがあった。
「焼後田中に盆して」の前書じたいもひどく淋しい。


 つまり一茶は、門人に屈託のないところをみせたのであって、内心はそれほどではなかったということだろう。ただ、すべてを失うことでかえってさっぱりしてしまう型の人間
 だったから、挨拶とはいえ屈託なさを示すことができたのだとおもう。貧乏性といえば貧乏性、潔癖といえば潔癖―それは、諦めとか悟りとかいったものとは違う性癖的なものだった。


花の影寝まじ未来が恐ろしき

花のかげでも寝るのはいやだ。うっかり寝ると、先がどうなるかわからないから。死ぬのはいやなのだ。

 やはり文政10年、火災にあったあとにできたもの。前書がある。「耕やさずして喰ひ織ずして着る体たらく、今まで罰のあたらぬもふしぎ也」と。そして、この句を読むと、
かるい異和感を党えるのだが、すぐ感じが勁いて、一茶は死を予感している、とわかる。

 このころ別には、「送り火や今に我等もあの通り」とか、「生御魂やがて我等も菰の」のような句を作っているが、一見歯切れのよい語調のかげに、先の暗紛れにおびえているこころのかげがみえる。

 それでも、一茶は、9月になると焼け残りの土蔵の屋根を修理し、垂木まで全部取りか
えた上、門人宅をあちこちと歩いて、菊見などをした。死ぬ気など、まるでなかった。
 しかし、11月8日に土蔵に帰ると、19日には、ふと気分が悪くなり、そのまま死ん
だ。4度目の中風だったかもしれない。


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