2019年5月9日

「小林一茶」 痩蛙まけるな一茶是ニ有

七番日記・文化7-文政元年(1810-1818) 48-56歳

痩蛙まけるな一茶是ニ有

お前の味方はこの一茶だぞ。さあ、負けるなよ痩蛙。

 ――文化13年の作で、有名な句だが、内容は、軽い呼びかけ、いさ
さか戯れ気味の呼びかけととるべきものだ。この年には「時鳥なけなけ
一茶是に有り」もある。「一茶是ニ有」は軍記物にでてくる名乗りの調
子で、これがおもしろくて作っている節もある。

 ――この句は真面目すぎる受けとられかたをしていますね。前書にも
あるように「蛙たたかひ」を見にいって作ったもので、別の前書ではも
っとくわしく「武蔵国竹の塚で蛙のたたかいがあるというので見にい
った」と書いてあります。竹の塚は、奥州街道を千住から草加のほうへ
少しばかり入ったところで、現在は東武線の駅があります。蛙のたたか
いには二説あるんですが、一つは、蛙合戦ともいわれて、蛙がたくさん
集って生殖行為を行うことなんですね。雌は一匹で、雄が大勢だから、
どうしても雄どうしのたたかいになる。痩せたやっは分がわるい、と
いうわけです。いま一つは、一匹の雌に数匹の雄を向かわせる遊びで、
金銭を賭けることもあるそうです。どうも最初の説のほうが、この句
にはふさわしいようにおもいます。高調子で、戯れて呼びかけるには
蛙合戦のほうがいいですよ。


 ―そうだね。掛け声のようなものなんだ。従来は、痩蛙への思いやりを
過度に受けとって、一茶の不遇な成長期を直接類推したり、その成長期に
育った一茶の弱者憐憫の意識のあらわれをみたり、そうかとおもうと、
痛められた人間の被害意識の逆示を読んだり、なかなかたいへんだった。
しかし、それは読み過ぎだね。すくなくも、この句に関しては――。

 ――小動物に呼びかけている感性のやさしい働きを受けとるべきで、そ
の根底を探りすぎると句がつまらなくなりますね。それも、やさしさゆえ
に醸されている諧謔の味わいですね。

 ――そうだ。幼年期からの苦労と農民出身の血が、その醸しを早め、味を
複雑にしているわけだ。

 ――なお、この句の出来た揚所ですが、信州小布施町の岩松院(梅松寺)
と見ることも可能ですね。文化13年4月18日から20日までこの寺に
いた旨『七番目記』にあります。寺にはこの句碑も立っています。『七番
日記』には同じ前書で二回書きとめられてあるんですよ。

――竹の塚でも見た、梅松寺でも見た、と気軽に受けとってはまずいかな。
 

斯う居るも皆がい骨ぞ夕涼

人間とどのつまりは骸骨さ。浴衣から透いてるのは、ありァ骨だぜ。

 ――一茶の代表的句日記といわれる『七番日記』にはいる。一茶調と
いわれるものもこの時期に決まるわけだが、彼自身がこの句日記には意
欲的なんだね。題も自分でつけている。

 ――遺産分配のことを意欲的に解決した翌翌年からこの句日記がはじ
まるわけですね。そして、柏原に落着いたのが50歳。52歳で結婚、
長男が生れて、間もなく死ぬ。長女さとが生れる、というところまで
ですね。生活的にも、家と結婚を決めて、張り切っている。それが
『七番目記』に乗り移っています。

 ――そうだ。この句にも、なんとなく力感があるし、いままでのもの
にはあまり見られなかった直截性が出ている。内容だが、『寛政3年
紀行』で、「かくいふ我も則幻ならん」と書きっつ、同時に、「本より
天地大戯場とかや」と居直っていた。無常感は、多少でもこころあるも
のなら承知しないということはないが、問題は、承知しつつどう生きる、
というところにあるわけだ。一茶の場合は、それを、もとより天地大
戯場で、現世に居直ったのさ、その後、文化5年、46歳のとき、
「あたら身を仏になすな花に酒」と いう句を、これは画賛だが作っ
ているんだな。大津絵の、鬼が酒をのみ三弦をひいている図に賛した
ものだが、いたずらに煩悩解脱の仏になんかなるな、それより諸欲を
生かし、おおいに、この生身を楽しまそう、さあ花が咲いた、飲もう
飲もう、というわけさ。しんきくさい説法はまっぴら、どうせ死ねば
骸骨、いまだって骸骨に見えるじやあないか、といういいかたに通じ
てゆくんだね。まえに、「天に雲雀人間海にあそぶ日ぞ」(『西国紀
行』)で、この「人間」には、肉体のまま成仏できるという密教的印
象があると私はいったが、「皆がい骨ぞ」という発想にも、その影響
があるね。とにかく、こういう居直り方の生臭い屈折が、文化文政期
以後の異端異様の幕末庶民文化を成したんで、一茶もその一人という
ことになるな。

 ―それと、「斯う居るも」という口述風な書きかたにも一茶らしさ
かおりますね。「かう生きて居るも不思議ぞ花の陰」とか「斯うしては
居られぬ世なり雁が来た」とか、類似のものも同じころに見られます。


  雪とけてクリくしたる月よ哉

雪解けでみずっぽくて、あかるくて、水のなかの子供の眼のような
月夜だ。

 ――北信濃に限定する必要はないが、そうしたほうが味わいがふか
くなる。江戸にひとり居て、故郷の雪解けを偲んだ句だろう。「クリく」
という擬態語には、多少のぎこちなさと、ぎこちなさゆえに得られ
た新鮮さがあるが、これなども想像の所産だ。

 ――みずみずしいもの、新鮮なものへの憧憬といったものが、しきり
にうたわれて、一茶の、老いを知った自分への歎きと抵抗が感じられる
わけですが、これなどもその一つですね。雪解けの月夜、などという
発想じたいにそれをみます。ただ、そのうたいかたが しかに直截的
ですね。

 ――「よよよよと月の光は机下に来ぬ」はどうだい。近代の俳人、
川端茅舎の句だ。これは秋とか春とか季節にこだわらない、月光その
ものへの感応だね。そして、「よよよよ」の擬声音に、「クリ〈」と
同じような新鮮味がある。茅舎のなかの天真なものと、一茶のなかの、
普段はほとんど見えないが、天真なものと――似ているね。

春立や菰もかふらず五十年

乞食にもならず五十歳の春を迎えた、芭花翁は「なし得たり、風情糾
に菰をかぶらんと」と、風雅の徹底を求めたが、おれのような俗物に
はとてもできない。乞食にならないだけましさ、まずは目出たし。

 ――文化9年、50歳の立春に作ったもので、正月の作は、

 おのれやれ今や五十の花の春

 なんだが、その前口上のような文章があるっそれによると、自分で
新しいとおもって練り出した発句も、人は古いとあざけるから、よく
よく見直してみると、やはり古い。すっかりいやになって何も作らず
にいると、こんどは木偶人形みたいで、やりきれない。とこうてつら
つら考えてみるに、自分みたいなもの、「株を守りて兎を待つ」の類
才言融通のきかない守旧的な男なんだから、そこに腰を据えればいい
んだ。「我はもとの株番」――ときて、この句がでてくるわけなんだ。

この前口上は、掲記の句にも通じていて、自分のようなものは、とい
いながら、けっこう気持を彈ませているんだね。自虐とか自意識過剰
とかいった深刻なものではなくて、ユーモアなんだな。

 ――この50歳の暮に柏原に帰住するわけで、50歳でそれをやって
やろうという気構えが、気持の弾みになっているんでしょうね。50と
いう区切りの年齢で、逆に自分を若返らせようとする気負い、といって
もいい。この句の「おのれやれ」ということばは、ただではおかねえぞ、
という人を罵る調子のものですが、むしろ自分を励ましていますね。
〈やったるぞお〉ですか。

 ――俳諧師としての考えは二の次なんだね。ところで、このあたり
で、父の死の翌年、 一茶40歳のときから今までの正月の句を挙げ
てみよう。案外よく一茶の心情の勁きがわかるんだよ。


  門松やひとりし聞けば夜の雨     (40歳)
  万歳のまかり出たよ親子迪      (42歳)
  欠鍋も旭さすなりこれも春      (43歳)
  又ことし娑婆塞ぎぞよ草の家     (44歳)
  はつ春やけぶり立つるも世間むき   (45歳)
  あら玉のとし立ちかへる虱かな    (47歳)
  正月がへるへる夜の霞かな      (47歳)
  老が身の値ぶみをさるるけさの春   (48歳)
  我が春も上々吉よ梅の花       (49歳)

 ついでに、これから後のめぼしい正月吟を並べて、参考に供したい。

  人並の正月もせぬしだら哉       (51歳)
  あつさりと春は来にけり浅黄空     (52歳)
  我が庵は昼過ぎからが元日ぞ      (55歳)
  目出度さも中位なりおらが春      (57歳)
  ことしから丸儲けぞよ姿娑婆遊び    (59歳)
    愚のかはらぬ世を経ることをねがふのみ
  まん六の春と成りけり門の雪      (60歳)
  春立や愚の上にまた愚にかへる     (61歳)
  元日や闇いうちから猫の恋       (63歳)
  華の世を見ずまして死ぬ仏かな     (64歳)

 65歳で死ぬが、この年は正月吟なし、62歳くらいから、正月の句に目立っただものがなく、衰えが感じられる。

 是がまあつひの栖か雪五尺

雪の深いこの山国。ここがおれのさいごの住処か。死にどころな
のか。漂泊36年、とうとう戻って来たわい。

 ――「廿四晴、柏原入る」の前書がある。文化9年12月24四日、
一茶は柏原に着くと、岡右衛門という人の家の一部を借りて、庵とした。
知友、門人の協力で、それは庵らしくなる。越年すると、正月19日、
父の13回忌を済ませ、そのあと弟にむかって強引に最後の談判をは
じめた。要するに、分割の一札を村役人に提出した文化5年以前の収入
処理の問題で、一茶としては、5年に決まった田畑の収入は、それ以
前にも遡るべきものとして、その分を弟に要求したのである。そして、
ついに、菩提寺専念寺の住職の調停で、26日に和解が成立した。遺
産問題は、これですべて決着したわけだから、このとき以降を一茶定
住とみたほうがよいのかもしれない。ただこの作品は、庵にいるとき
に作ったものだが、定住の心底は定まっている。
 ――江戸の夏目成美にこの句を送って、見てもらっていますね。

 ――そう。これと、「これがまあ死にどころかよ雪五尺」を併記し
て、いずれかと問うている。飛脚にもたせてやったんだが、見て、朱
を引いて、この飛脚に戻してくれと、添状に書いているほどだから、
気持がずいぶん昂揚しているね。むろん、成美は掲記の句を
推すわけだが、そのとき書いている評言の一部が適切だ。いわく「情
がこはくて一ッ風」と、ね。

 ――「つひの栖」は歌語。芭蕉に「幻の栖」の語がありますね。
北信濃は日本でもっとい雪の深い地方だから、雪五尺も不思議で
はない、一茶には別に「初雪やといへばたちまち三四尺」があります。
「俳諧寺記」(文政3年)には、柏原の暗い冬の生活が書かれてい
ます。帰郷定住のために江戸と柏原のあいだを往復していたときと
は違った、もっと土着的な生活意志を要求されることになったわけ
ですね。それが、まぼろしの栖のなかの終いの栖という思念と重
なります。

 ――その一筋の意志とともに、反面では、「ほちやほちやと雪に
くるまる在所かな」とか、「納豆の糸引つ張って遊びけり」といった
身軽な句を作っているんだね。だから、是がまあ」も、まあまあ、
たいへんな雪で、といったていどの、故郷への挨拶句ととれないこと
もない。案外そうだったかもしれないとおもうときもある。それに、
この『七番日記』のはじまりに書いた文章では、「安永6年旧里を出
でてより、漂泊36年なり。日数一万五千9百六十日、千辛万苦、云云」
となってるわけだ。ちゃんと日数を数えてみせているところが、いか
にも一茶らしいんだね。こういうヽ〈こことおもえば、またあちら〉
式の振幅――これが、成美が「情がこはくて」といっているところか
もしれないアクのつよさだ。しかし、仔細にみれば、その根は純情と
いうことで「一ッ風流」。一茶に愛恋の句が乏しく、女をうたっても
本当の色気が出せない理由を前に述べたが、女性にもてなかっか点も
あるかもしれないよ。こういう男は、ふっうの女にはもてないよ。
 

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