2019年6月15日

1『金子兜太戦後俳句日記』

写真は蛭田有一氏提供

『金子兜太戦後俳句日記』をアップします。
著作権者の、金子真土氏に了解を得ています。


昭和32年1月2日(水)雨 (昭和37年1月から記録されています。)
奥田こうきの遺した俳句を五十句選び、「奥田こうきの手紙」十九枚を書く。

1月5日(土)晴
夜、七兎と女の子。それから六林男、林徹子来る。「現代俳句」を楠本の手で再刊するとか。波郷が顧問。とか。

1月7日(月)曇
休む。岡井隆の歌集「斉唱」の書評を書くが、どうも意に満たない。短いものなのに書けぬとは残念。清潔な、ややアカデミックな歌。観念について! !‥

1月9日(水)睛
「行友」で少年の書評をしてくれる。中島斌雄が「俳句」で小生の句について晝いてくれる。双方共に好意的。



1月12日(土)晴
岡井隆「斉唱」の書評七枚を日本短歌社に送る。午後 後の二枚を追い込みで書く。急に今までつまっていたのが書ける。

1月18日(金)晴
三鬼より電話、造型についての続編を押しっけられる。仕方なく承知。慎重にやりたいのだが。

1月20日(日)晴
京都の寒雷句会へ呼ばれる。西洋軒の二階で、約25名集って句会、それから来々軒で支那料理の馳走にあずかる。気持のよい人達。小島両人さんと一緒に帰る。俳句を何故作るんですかと永井直也からきかれる。当面これしかないから。と答える。アイマイなもんだ。しかし何故小説を書くのかと問われても同じようなものだろう。偶然の結合という要素が強い。

1月27日(日)晴
原稿書きもむなし。山崎房人さん午後集り、造型について語る。夕方、小田保君来り、ウィスキーを飮む。午前中、日野草城一周忌に、六林男から一緒にゆかないかと電話。堀葦男訪問をかねようというわけ。原稿のためことわる。手紙を草城宅あてに出す。

1月29日(火)晴
休む。「俳句」誌に「俳句の造型について(続)を書く。一挙に完成。二十枚。夕方速達で送る。航空便で明日は午前中、東京に着く。


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