2019年5月4日

「小林一茶」君が代や茂りの下の耶蘇仏

君が代や茂りの下の耶蘇仏
寛政句帖・寛政4年~6年 (1792-1794 30歳-32歳 )

木の茂りのかげにキリシタンの「耶蘇仏」があった。こうして無事なのも、御時勢でござんすよ。

 寛政5年の作。秋ごろ大坂から四国に渡って、讃岐観音寺(今の観音寺市)の専念寺にゆき、五梅和尚を訪ね、それから九州へゆく。この年の正月は肥後八代(熊本県八代市)正教寺で迎えているんだね。やはり君が代で「君が世や旅にしあれど笥の雑煮)という句を作っているが、これは『万葉集』有間皇子の歌のもじりだ。正確ないいかたではないが、まあ、本歌どりといっておこう。皇子の歌は、「家にあれば笥に盛る飯を草枕旅にしあれば椎の葉に盛る」――
 ――この寺の住職西天庵文暁は、有名な『花屋日記』の著者でしょう。


 ――そうそう。有名な俳人でもある。竹阿の縁故だろう。そこから長崎にゆくが、その
途中でこの句が出来たものとおもうな。キリシタン禁圧も以前ほどではなくなっていたわ
けだが、そうした配慮よりも、好奇心のはたらきのほうがつよい。長崎での「君が世やから人も来て年ごもり」でも唐人への風俗的興味が中心だね。それ以上のことはない。

 ――耶蘇仏は、十字架像とかキリスト像とか、そのものズバリではなくて、隠れキリシ
タンが祀っていた偽装の仏像でしようね。それを木の茂りの陰に見たときの好奇的おどろ
き。

 ――そう思う。だから「君が代」にもたいした意味はないんだね。「いい御時勢でござ
んす」くらいの、これまた挨拶用語なんだ。それは、蕪村の「君が代や二三度したる年忘
れ」とか、一茶が庇護を受けた夏目成美の「君が代は誰も食ふなりふくと汁」といったも
のと同じなのだ。こういう語法は、和歌の枕詞の俳諧版みたいなもので、挨拶に弾みを加
え、感想に気軽さを添える効果があるわけなんだね。ほかにも随分あるが、ありがたや式
に卑俗化してゆく傾向もあった。

 ――一茶晩年のころに「君が代の大飯くふて桜哉」というのがありますが、これくらい
くだけだもののほうが、君が代にふさわしいわけですね。若いころのものは、まじめすぎ
ますか――。

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