2019年5月5日

「小林一茶」 足元へいつ来りしよ蝸牛

足元へいつ来りしよ蝸牛
(あしもとへ いつきたりし かたつむり)
父の終焉日記 享和元年(1802年) 39歳

足元に来ている蝸牛に、いままで気づかなかった。気持が父のことに囚われていたせいだ。
 立砂の死んだ翌々年の四月、一茶は久しぶりに柏原に帰ったが、その帰郷中に父の死に
会う。病気は悪性の傷寒(今のチフスのような熱病)といわれ、一ヵ月ほどわずらって他界した。享年69九歳。祖母既になく、父も死に、一茶には故郷に頼るべき人がなくなる。
それに加えて、継母とその子仙六(異母弟)を相手とする遺産相続問題が残る。しかも、
一茶もようやく四十歳に入る。老後を考える年齢になってゆくのだ。
 この文章は、父が突然倒れた日から初7日までの日記風の記録だが、心理や感情への眼
くばりといい、ドラマチックな筆のはこびといい、むしろ短篇小説の印象で、しかも、虚
構や誇張にしても、修辞にしても、ずいぶん個性的になっている。一茶独自の表現が展開
する、その出発点にあるものとおもう。

 この作品、倒れた父が小康を得たときのもので、安堵感が表現されている。この日記に
は少ないが、大方が技巧的にも完成したもので、充実感がある、むろん完成したもの足りなさもあるが――。


寝すがたの蠅追ふもけふがかぎり哉
(ねすがたの はえおうもけふが かぎりかな)


死に近い父の寝顔は青ざめ、目は半ばふさがれていた。ときどきものいいたげに唇が動くばかり。息するたびに痰が鳴るのがおそろしい。寝姿も痩せて平たくなってしまった。寝仏のようにもみえて、思わず念仏をとなえてしまう。蠅を追う。こうして側にいて蠅を追うのも、今日かぎりかもしれない。

翌朝、父は息たえて「空しき屍」となる。


生残る我にかゝるや艸の露
(いきのこる われにかかるや くさのつゆ)

暁、灰よせ(骨あげ)のため、卯木の箸をもって、火葬の野に向かう。松風吹く。三月、家に着いたときは、祝の酒を酌みかわしたのに、いまは自分だけが生き残って、父の白骨を拾わねばならないのだ。朝露が足にかかり、生き残る身の現にかえる。(ハッとする気持ちだ)

 一茶はこの日記に書き綴っていた。「喜怒哀楽、あざなへる縄のごとく、会へば別るる
世の中、今更おどろくべき事にあらねど、今までは父をたのみに古郷へは来つれ、今より
後は誰を力にながらふべき。心を引かさるる妻子もなく、するすみの水の泡よりもあはく
風の前の塵よりも軽き身一ツの境涯なれど、只切れがたきは玉の緒なりき」(漢字、送り仮名は引用者)と。


父ありて明ぼの見たし青田原

夜明けどきの一望の青田は、まことに鮮明である。何ものの介入も許さぬ清潔感 がある父が健在なら、この素晴しい景を二人で見られたのに。


 一茶は、しかし、この景観を一人眺めつつ、継母・異母弟との遺産相続問題を考えてい
たのだ。父の遺言を、彼ら「六欲兼備の輩」は受け入れそうにもなかった。あきらめて離
郷すべきか。しかしそれでは父の意思に反しよう。とにかく本家の指図に委せよう――
彼はあれこれと思いわずらっていたにちがいない。それだけに、眼は冴え、夜明けの青田はさらに鮮明だった。


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