2019年5月17日

『造形俳句六章』第一章~第三章

造型俳句六章 金子兜太(『俳句』昭和三十六年一月号~六月号)

第一章 主観と描写
 現在、ぼくらはどういう俳句を求めているのか、という素朴な疑問を考えてみたいと思うのですが、その場合、いままで使われてきた概念で、随分あいまいなものがあって、各人各様の受け取り方をしているため、どうにも話を進めにくいことが多いのです。今回はそのうちで、これから述べようとすることに基本的な関わりを持っていると思われる概念について、ぼくなりの整理と定着を試みたいと思います。その概念とは、主観という概念と描写という概念です。

 基本的な関わりを持っているという意味は、主観と描写という二つの概念が、子規からはじまる近代俳句史(このことも後で明らかになります)の基本――いわば二本の足――になっているということで、これを明瞭に理解しておかないと、現在の問題に入れないことになります。主観はいうまでもなく、俳句を作る人の内実の問題、描写は表現の手法の問題です。子規以降の俳句史のなかで、この概念がどう扱われたかをはっきりさせたいというわけです。(中略)

・・・子規は、俳句(すなわち文学)の美の基準は、固定的な超絶的なものではなく、流動的な時間的なものとみていたということです。そして、そうみていた理由は、あくまでも「各個の感情」の表現こそ俳句の根本の目的であると考えていたからでありましょう。だからこそ、芭蕉を正当に評価し、これを古典として位置付けつつ、同時に芭蕉を絶対視
する風潮に対決したわけでありましょう。また、蕪村俳句の示す流動する心情の姿を――‐必要以上に――高く評価したわけでありましょう。

 子規のこのような俳句観は、明治初期という解放感を伴った時期と照応させて考えるとなるほどと肯けるものがありますが、少なくとも、子規の念頭には、その程度はともあれ解放されてゆく個人(ザーインディビジュアル)の像が鮮明に宿されていたものと思われます。その個人は、それまでの、個人以上のものの所在に対する関心から徐々に離れて、自己の所在に対する関心に眼を向けます。自己の所在についての確認と所在自体の確定に努力することのなかに、個我(エゴ)の世界が形成されてゆきます。


(中略)
 虚子の「主観」という言葉は、以上のように子規の認識していた個人の内包する個我の状態――平易にいえば「各個の感情」――を意味していると思います。したがって、感覚
だけを大事にするとか、個我のなかに形成された観念だけを大事にするとか、といった片寄った内容は嫌われます。もっと、いわば地上的な状態の個人――感覚や観念や何やか一切を包括しどんな既成概念にも犯されない独立人――が問題になっていると思います。地
上の、生き身の個人――その個人の素裸のこころの姿といってもよいでしょう。(中略)

・・・個我の状態とは、こうした自己の所在に関わる感想の姿を中心とするものですが、これがすなわち主観というべきものであったのです。(中略)

 それでは、この主観を表現するための手法については、どう考えられていたか、ということに移りましょう。それを「描写」という言葉に総括したいと思うのですが、子規や虚子は「写生」という言葉を使っていました。

 実は「写生」という概念もあまりはっきりしていないのですが、たとえば虚子が昭和のはじめに言った言葉で、「写生といふことは只写生するといふことではなくて、作者がその景色を見てその心に映じた影を描くのである。その影は実物そのものとは異つてゐるのである」というのがありますが、これには、写生という言葉が二通りに使われています。
一つの「只写生をするといふことではなく」という場合は、絵画の分野で普通使われる意味の写生で、ぼくはこれを「描写」という言葉に置きかえておきます。そこにある物(風
景や静物や動物や)を、そのありのままのかたちで描くという意味です。

 いま一つの使い方は「作者がその景色を見てその心に映じた影を描く」というところでただ描写するのではなく、描写することを通じて作者のこころのなかも示さなければいけない、というわけでしょう。まさに「生」を写す――生命体としての自己の内実を写す―ということであります。

 問題なのは、こういうかたちで使われた写生という手法は、では一体、自分から離れたものを描く(描写)ことを優先するのか、自分の内部を描く(写生)ことを重くみるのか
ということです。いまの虚子の言葉でゆけば後者が重くみられています。だから「実物」
よりも「心に映じた影」の方が重視され、実物と違ってもかまわない、とまでいっていま
す。(中略)

 ただ、そこには必然に問題(危険な要素)が孕まれます。それは描写が手法であるためには、その背後に強く激しく豊富な個我の活動(主観の積極的な態様といってもよい)がいつもつづけられていなければならないということです。これがなければ、描写はただ描写に終り、そこに映されるべき内容を失ってしまう結果になります。別のいい方をすれ、主観が衰弱すれば、描写は手段から、目的の位置に場所替えしてしまうということ、つまり、描写だけが目的になってしまって、主観の投影などどうでもよくなってしまうということであります。(中略)

 子規や虚子の「写生」――つまり描写を手法とするという方法は、同じ意味の重要な前
提を充たさない限り堕落してしまうはずのものでありました。繰り返していいましょう。
写生(描写の手法化)はそれなりに正当性を持った近代の詩法であったが、主観の稀薄化
あるいは喪失によって悪しき詩法になる可能性を持っていたと。
 この堕落は実際に現われました。(中略)

 それは、周知の虚子の「花鳥諷詠」論に前後する時期であります。そして、この堕落現
象はその後も尾を引き、一般の通念にすらなっております。(中略)

 つまり、「主観-描写」=写生という方法から、「描写」=写生という方法に変わって
きたこと。したがって、描写の基本におかれる作者の主観内容は、花鳥諷詠の精神という
奇妙な限定付きのものになったこと。これを書き直せば、「主観-描写」から「諷詠精神
――描写」という結合の仕方に変わったともいえますが、諷詠精神というものは、もともと主題を失って自分が目的となった描写にとっては、属性にすぎません。つまり主観が退いたあとの描写に附着している個我の色合い程度のものに過ぎません。もっと割り切つていえば、主観を失った描写は、もはや描写本来の客観物の厳密で微細な記録(主観の投影を意図すればこそ、それは厳密かつ微細のはずです)をやめて、まさに文字通り諷詠する程度のものになってしまうはずです。描写でなく、諷詠そのものになるということでありま
しょう。したがって「諷詠精神――描写」の結合関係というより「描写――諷詠」というものであろうと思います。描写自体の厳密な意味が失われる結果となったのは、その後の俳句をみれば明らかです。(中略)

 次回で触れますが、一度主観を無視された描写は、その後、この絵画趣味との結び付き
をますます強めることとなります。これが、現在の俳句のあるべき姿をかたるとき、大変
な支障になっていることは否定できません。

 以上によって、ぼくは近代俳句が打ち出した方法の主流を見定めました。これを土台と
して現在の場に望みたいわけです。

第二章 描写と構成
(前略)
 虚子の花鳥諷詠説の提唱を前後として、描写を支える主観の衰弱現象が濃厚になったこ
と(堕落という言葉を使いましたが、これはその衰弱を意識的に――むしろ誇示した――虚子の言説を受けているわけです)を前回に述べましたが、これによって結果される現象は、ただ客体(対象)をありのままに描くという姿です。主観が濃厚に働いてこそ、また客観ということもはっきりするのですから、客体をありのままに描く、といった具合に客体という概念を使えないほどの状況といってもよいかもしれません。あるものは、ただ漠然とした四囲の現象です。しかも虚子はそれを自然に絞りました。自然現象自体、変化に富み、色彩も豊かで、色気すらあります。その現象をただこころを無にして描くということだけで、ある程度の楽しさも得られるというものです。(中略)

・・・この種の自然現象は作者から切り離された――いわばそんじょそこらにゴロゴロしている犬の糞――程度のものであって、まさに素材に過ぎません。作者に充分関係してこそ、はじめて客体だったわけです。ですから、その上うな俳句は客観詩ではなく、素材詩にすぎないと断言できましょう。素材主義の風靡、まことにこれが当時の描写の大勢であったといえるわけなのです。これを「直叙法」と呼ぶことにしたわけです。(中略)
 
 秋桜子、誓子がこれらの大勢に反撥したこる調理」「技巧」「想像力及創作力」といった作句要因を秋桜子が強調した秘密もそこにあったとみるべきで、二人を中心とした提唱の基本は、一言でいえば、描写への作者の介入、ということではないかと思います。その
介入の必要性、介入の仕方――などを総称して「構成法」という言葉で括っておきます。
(中略)

 それでは、構成法とは何か、ということになりますが、それは、対象としての素材を、
そのまま直叙することでなく、「想像力」を加え、「頭脳によって調理」し、作者にとっ
て、もっとも満足できる表現にまで「創作」することだといえるようであります。そこで
は、作者独自の「世界の創造」が果たされるわけであります。(中略)


 以上によって構成法の説明が済んだわけですが、ここで今一度、構成法は直叙法の複雑
化(高度化)ではあるが、矢張り、描写の一方式に止っているものであることを、明確に
しておきたいと思います。主観――描写の二元的関係(二次的方法論)から抜けているものではないという点であります。

 その第一の理由は、構成法にとって、対象としての「現実」は、自己の外のものである
という点です。(中略)

 第二の理由は、構成法が構成技術の面に偏り、主観の充実面が等閑視される状況を生ん
だ、という点です。ここにも、再び、主観の衰弱という宿命がまといついていたというわ
けです。(中略)

 以上によって構成法が描写の一方式として、その枠内に止ってしまった事情を申しあ
げましたが、これですべてが終ったわけではありません。むしろ、これからが大事であり
ます。それは、こうした限界付きの構成法であったにもかかわらず、次第に、一方では、
この技法を手掛りとして作者の新しい内実が掘り出されていったという事実であります。
その新しい内実とは、個我(その状態としての主観)に代って主体(サブスタンス)とでも名付けるべきものでありました。これが第三章のテーマになります。


第三章 構成の進展
(前略)
 周知の通り、秋桜子、晢子を中心とする構成法の意欲的な推進のなかで、昭和10年頃をピークとして「連作万能時代」(東京三)といわれる時期を現出しました。この連作なるものは、秋桜子の『筑波山縁起』(昭和2年作)が濫觴とされています。(中略)

・・・そこには、意図を持った作者による素材の解釈と選択と構成が予定されていた、というべきでありましょう。目的をもっだ表現に、俳句の意義がおかれたともいえましょう。
(中略)

 しかしながら、ここに明確化された意図というものは、本当の意味の主題と同一の内容
であるか、といえば、否と答えざるをえません。晢子のいう「カメラの角度」という言葉自体も、実をいえば、意図は意図でも、それは素材に向けられた意図、つまり素材優先の意味が強いと思われます。確かにカメラの角度は撮影者の意図によって定まりますが、被写体が絶対必須のものとして、撮影者の外周に存在することが前提です。撮影者も無論厳然と存在するが、同時に被写体も絶対のものとして存在し、両者併存するところをカメラの角度が結合してゆくというわけです。被写体たる素材よりも作者が優先するという考え
方――素材を自由に従属させるという考え方にまではいたってないようです。

 この意味の外向的な意図は、しかしながら、その後の新興俳句の作り手たちによって、徐々に内向的な意図に切り替えられ、そこに主題とその主題を問題とするが故に、作句の動機(モチーフ)とが、重要視されるにいたっています。その経路は、別のいい方をすれば素材への傾斜(客観的な素材選択)から、素材の包摂(つまり素材の客観性の剥奪)にいたる過程ということができましょう。
 たとえば、前章にも挙げた誓子のいわゆる代表作。
  ピストルがプールの硬き面(も)にひびき
  枯園に向ひて硬きカラア嵌(は)む
  夏の河赤き鉄鎖のはし浸る
の場合は、その中間にあるものとみるべきでものでしょう。(中略)

・・・これらのの作品には、一種のムードが形成されていると指摘しましたが、そのムードとは時代性とでも呼ぶべき、その時期の一般化された実感であります。(中略)

 素材包摂の方向は、次の篠原鳳作の作品になるとかなり明確になります。
      起重機にもの食はせゐる人小さき
  起重機の旋回我も蒼穹もなく
  ルンペンの唇の微光ぞ闇に動く
 ここでも、起重機とかルンペンとか、時代の素材が選択されています。そして、それを
素材のあるがままのかたちを重んじつつ、客観的に組み立てています。(中略)

 ただ、ここで注目されるのは、どの作品にも一定の意味が込められているという点です。大きな機械である起重機に対比される小さな人間の存在という、いまからみれば至極常識的な角度のなかには、いうまでもなく、機械主義(マシニズム)に対する批評があります。第二句も、かなり露骨ですが、起重機の君臨のもとにかき消されてしまう青空や自分という人間――というかたちで同趣旨の批評があります。第三句は、闇に薄光りするルンペンたちの唇だけを抽出したところに、ルンペンを素材としていながら、ルンペンを輩出させている時代に対する批評がこめられています。

 批評という言葉を使ってきましたが、これは意味の内容とみて貰って差支えありません。ただ、批評ということは、肯定も否定もあります。否定だけが批評ではありません。
要は、それが一定の客観的な論理を持っている、ということです。いうまでもなく、作品
に意味として内包されたときは、その論理の明瞭な筋道が示されないことが多いのですが示された印象から読者がたぐれば、その論理が明らかになってゆく態のものであります。この点、主観とは違います。

(中略)
 ここまでくると、主観の投影としての素材直叙から、依然、素材傾斜の域を離れられな
かった構成法の初期の時期を経て、素材を完全に自己の内実に奉仕させる段階――つまり
構成のなかから(極言すれば)素材という概念すらなくなってしまう段階――さらにいい
かえれば、構成ということは、すなわち自己の内実の構成である、というところにまで進
む展望が開けつつあったと、みられるわけであります。意味の定着が意図されたというこ
とは、その端緒の現われとみて差支えありません。ようやく主題の自覚ということが正当
に語り得る段階にさしかかったとみられるわけなのです。(中略)
  
 いま一度繰り返していえば、自己以外のものは素材として(主観に対する客体として)自己と二元に存在していましたが、もはやその二元性は解消しつつあり、客体というものは自己に従属する材料(新しい意味での、文字通りの素材)の位置に下りつつあった、ということであります。ここにきて描写という手法自体がほとんど打ち消されてしまった、といってもよいでありましょう。そして、それに代わって、自己の包懐する内心の主題それ自体の構成が中心の目的となったわけで、外向的構成(描写段階)から、内向的構成(描写否定の段階)に、構成法の質的な変化がみられるにいたった、ということができましょう。(中略)

 ところで、こうした傾向は鳳作あたりの時期を転機として明白になり、前章で例句をあ
げた「戦火想望俳句」を経て、新興俳句運動挫折直前の、いわゆる末期の作品(〈友ら帰らず夏帽街を白く描くに 東京三)など。 編集部注)にきてかなり濃厚に具現されたとみられます。(中略)

・・・これらの作品は、そうした反戦の思想や厭戦の気分が、比喩のかたちをとって表現されています。既に意味について述べましたが、比喩も意味と同様に広義の批評です。ただ、その批評が消極的に表現される場合は意味となり、積極的の場合は比喩となります。(後略)

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