2019年6月22日

金子真土氏の「家族から見た金子兜太」



2018.6.22(金)金子兜太お別れの会の挨拶の抜粋

 本日は平日の昼頃ということで、皆様、いろいろな御用をお持ちだと思うのですが、父のためにここにお集まりいただきましたこと、まず、このことを最初に御礼を申し上げます。ありがとうございます。
  
 [家族から見た父]ということについて、少しだけお時間を戴きたいと思っております。先ほど、宮坂さんのほうから「存在者」という言葉が何度も父に与えられました。父がみずから、「存在者で、ありのままに生きるんだ」と明言しましたのが2016年1月、朝日賞の授賞式の会場でございました。会場の皆さんは拍手をして歓迎をしてくださいました。ただ、家族としてはちょっと複雑な思いでその宣言を聞いたことを覚えております。

 ご案内のように父は体が丈夫で、父の母親は百四歳まで生きたということもありまして、「自分はあと十年は生きるんだ」ということも申しておりました。その父が「ありのままに生きるんだ」という宣言を皆さんの前でしたときに、これから先、どんな付き合い
方を父とするのかなというのが、世話をする立場の人間として考えざるを得なかった場面でございました。
 私なりに、父の言う[存在者]とはどんなものだろうか、ということを折りに触れて考えてみたのですが、キ-になることは二つかなと思っております。
 
 一つは、先ほど宮坂さんがあっしゃったような戦争体験です。父は工員さんを束ねておりましたが、その人たちは日常においては気に入らない相手はすぐに刺す、あるいは男色の若い青年を奪い合ってヶンカをする、あるいは人殺しが起こる。そういうことを平気でやる人たちだった。ただ、その人たちが手榴弾の実験で即死をした仲間をみんなで担いで病院まで連れて行く。父は一緒に走っていたわけですが、その姿を大変美しいと感じたと言っておりました。


 つまり、己の気持ちに非常に率直に反応する人たちで、しかもその反応の仕方が、片方では平気で人を刺す、片方では死者を担いでみんなで病院へ走る。ある種、とても重ねて見ることができないような二面性を見せていた。でも、それが人間だと父は戦争の中で感得したんだろうと思っております。
 
 もう一つのキーは小林一茶です。小林一茶は自らを「五欲兼備」という言い方で、「しょうもない人間なんだ。しかも、その欲望を自分では抑えられない。とにかく、人に迷惑はかけないようにするけれども、欲望のままに生きる自分をお許しいただきたい」とい
うふうに阿弥陀様にお願いをして、自らを「荒凡夫」という言い方をしておりました。父はその言葉を共有し、自らも荒凡夫でありたいということを申しておりました。
 
 ただ、一茶と父の違うところは、一茶は[自分はしょうもない人間だ]という言い方をしていたわけですが、父はどうも「人間というものがしょうがないんだ」というふうに思っていたふしがあります。たまに行政でトラブルがあったときに公務員の方たちが「私
は性善説に立って仕事をしている」ということをおっしゃるわけですけれども、その発言を聞くたびに父は苦虫を噛み潰したような顔をしておりました。
 
 つまり父は、「人同というのは性悪なもんである」というふうに見据えていたぶしがあります。ただ、その性悪さというものをそのまま出すということは許されないので、じゃあ、どうするかというときに父が頼ったのは「知性」です。つまり、知性をいかに豊かに持つかで、しょうがない人間はなんとか皆さんと一緒に生きていけるんだというふうに考えていた、と私は理解しました。

 そのことが端的に表れたのが、このごろかなりいろいろなところで見られます、勇ましい発言を背景にした反知性主義といいますか、その横行、これを非常に父は危惧をしておりまして、日記にもそういうことをたびたびメモしていた。そういう父でございました。
 
 その父の様子を見て、ああ、まだしばらく一緒に暮らせるなと思っていた矢先に、誤嚥を原因とする肺炎で他界をしてしまいました。最後に九句を作っておりますが、父はまだみずから死に向かっているという心識は全くなく、ですから、辞世の句もなく突然逝った。ただ、その気分は決して悪いものではなかったのではないかと家族としては思っております。父は他界へ行って、恐らくまた向こうで従来の暮らしを保っているのではないか。

 もう四か月経ちました。もう三途の川は渡っているだろう。閣魔様の御裁定かどうなったかなあと思うのですが、私か見ていて、ま、恐らく極楽に行けてるんじゃないかというふうに思うわけです。

 極楽に行きますと、父が立禅で名前 を呼んでいた人たちがきっと持ってくれている。今、そちらで口々過ごして、[今日の会はどんなものかな]と、あるいは見てくれているかなと思っております。
 
 私たち家族は俳句をやらないものですから、俳句の世界における父というものを十分には評価していないかもしれないのですが、知性を大事にして人間自らをコントロールするという父の生きざまだけは踏襲してこれからも過ごしていきたいと思っております。
 本日はお集まりいただいて本当にありがとうございます。


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