2019年6月4日

句集『水脈のかたち』黒澤雅代(くろさわ・まさよ)


著者略歴・黒澤雅代(くろさわ・まさよ)
1940年(昭和15年)東京生まれ
1998年(平成10年)カルチャースクール俳句講座受講
2002年(平成14年)「遊牧」同人
2015年(平成27年)カルチャースクール退会
遊牧」同人・現代俳句協会会員・千葉俳句作家協会会員
 
自 選 十 句

十月の赤牛閂はいらぬ

やわらかき銃弾であり冬鷆

安房上総麦が熟れるどいう日なり

麦秋の肩の重さを午後という

のうまくさんまんだ晩秋に梵字

墨痕に烈しさ一枚は秋思

日の暮れは木の実に戻る木の実独楽

父性とは梟の鳴く距離であり

水鳥の飛んできそうな日暮の部屋

オリオンの加わっている指定席




序に代えて
「直感」と「喩」のことなど     塩野谷 仁
                           
  十 月 の 赤 牛 閂 は い ら ぬ
 掲句は、初出は平成十二年、「遊牧」十二月号。覚束ない記憶によれば、平成十二年十月の「遊牧佐久吟行」の折りに作られた作品。
掲出句は、「神津牧場」での即吟だった。「神津牧場」と言えば、日本で最初の洋式牧場として知られたところで、広い山の中腹を利用して牛や山羊などを放牧していた。「閂はいらぬ」は従って実感そのもので、その夜の句会で最高点を集めたのも必然のことであった。

 黒澤雅代さんは思うに、「直感の人」である。「直感」が鋭いから吟行会ではいつも参会者の注目を浴びる作品を頻出させる。この句集からざっと主な作品を抽出すると、以下のような作品と出遭う。

  やわらかき銃弾であり冬鶸
  遅ざくら対岸までは火を焚いて
  桜からさくら銀閣寺は夢の奥
  余所事に見し炎天の千枚田
  単純なことから滅ぶ蓖麻(ひま)に種
  安房上総麦が熟れるという日なり
  アルカイックスマイル夏の空気感
  のうまくさんまんだ晩秋に梵字
  墨痕に烈しさ一枚は秋思
  密室のよう秩父晴れやかな濃霧
 

 書きだしたらキリがないので止めるが、どの句も句会では好評を博した作品群である。一句目は現代俳句協会主催の「房総一泊吟行会」の折の作品で、小生が講師を務めた会でもあった。飛翔する冬鷆を「銃弾」とみる目は非凡で当然のことながら好評、高点。

二句目は三井寺での旅吟。三句目は銀閣寺とあるとおり京都での旅吟。四句目は房総鴨川の「大山千枚田」。「余所事に見し」は、書けそうで書けないフレーズ。「蓖麻に種」は奈良の飛鳥に遊んだ折の作品。珍しい「蓖麻に種」に目を付けた眼力がいい。六句目は文字通り「安房上総吟行会」の作品。当日は初夏の好天の下、「麦が熟れるという日」はまさしく非凡。
アルカイックスマイル」は奈良の「飛鳥寺」の大仏の象徴で、その顔立ちは「アルカイックスマイル」と呼ぶに相応しい。「のうまくさんまんだ」は梵語で、確か門前仲町の「深川不動尊」の門柱に掲げられていた文字と記憶している。
「のうまくさんまんだ」をそのまま持ってきて一句とするところに並々ならぬ才覚を憶える。九句目は能登半島の「総持寺祖院」を訪れた折の作品。雄々しき墨痕を残した四枚の屏風に一枚は「秋思」の筆痕。その力強さがいまでも鮮やかに脳裏に残っている。
十句目「秩父」を「密室」と見る目も只事ではないだろう。

 どの句からも言えることぱ、「感覚」が鋭いから、一瞬にして対象を自家薬脛中のものにしてしまう目が確かなことだ。だから、吟行会に行くと、同行者の同意を得られる句が生まれるに相違ない。持って生まれた資質だから大事にして貰いたい。

 黒澤作品の特徴の一つに「喩」の巧みさを挙げておきたい。「喩」といっても「直喩」もあれば「暗喩」もある。ここでは「暗喩」に限って話を進めてみたい。
 「喩」の大切さについては、故金子兜太師からは、句会のたびに言われてきたことがある。「喩が決まればくそれだけで一句成立〉で、喩が決まらなければ〈只の一句〉」。従って、「喩」については日頃から厳しい見方をしているのだが、今句集からはその「喩」が効いていることを見ていきたい。

  薄紙の音して真夜の椿落つ
  月の裏見て来たように猫帰る
  黒揚羽奔放という淋しさに
  花梯梧人待つときの色であり
  花の夜の芯のところのガラス質
  鵠(くぐい)飛ぶ正装を解くようにかな
  なんばんぎせる禅僧のようにかな
  鑑真の眼でありし落椿

 一句目、「真夜の椿」が落ちるのを「薄紙の音」と聞くのはやはり鋭い感覚だろう。三句目、「黒揚羽」の飛ぶさまは確かに「奔放という淋しさに」満ちているに相違ない。「花梯梧」、は言われてみればなるほど、「人待つときの色」に違いない。「なんばんぎせる」(思草)が花芒の下でひっそりと咲いている様、それを[禅僧のよう]と言われてなんとなく納得させられる。「落椿」を「鑑真の眼」と捉えることには異論かおるかも知れないが、ここはやはり作者の感覚の冴え、を見ておきたい。
 それと共に、黒澤作品のもう一つの特徴に「配合」の良さがある。「配合」も基本は言語感覚の問題で、そこには「直観力」が問われてくることになろう。

 蔓引けば遠き日の闇烏瓜
 ほんとうは自分を探す茸狩
 八月を動かしている象の耳
 むすんでひらいて桐の花ぽとぽと
 春昼をはみ出す象の水遊び
 寂しさと違う二月の髪ほどく
 日の暮れは木の実に戻る木の実独楽
 さりげなき追伸のあり夏の茱萸
 流星に近づくために逆上り

 一句目の「遠き囗の闇」と「烏瓜」は青春性で繋がり、[茸狩]も結局は[自分探し]の行為。四句目、「むすんでひらいて」と‐‐1桐の花ぽとぽと」は絶 妙の配合。「二月の髪ほどく」のは「寂しさ」とは違うんだという作者の自意識を信じたい。「木の実独楽」は日暮れには「木の実」に戻るといわれて、何となく納得している読者がいる。自在な言語感覚を思わざるを得ない。

 最後に、巻末の句、

  オリオンの加わっている指定席

 考えてみれば、黒澤雅代さんが「遊牧」に入会(平成十四年・二十二号)してから既に十六年の年月が流れていたことになる。その間、「遊牧吟行会」で各地を吟遊し、考えてみれば「奈良飛鳥吟行会」「木曽路一拍吟行会」「琵琶余呉湖吟行会」「吉備路吟行会」「湯西川吟行会」などなど、その他日帰りのそれも含めれば数えきれない程の吟行会に会員の皆さんと同行していたことになる。
もう、どこに出しても立派にやっていける力量が備わっているのは疑えない。黒澤雅代さんについては冒頭に「直感の人」と書いたが、「喩」「配合」も直感の産物でもる。この「直感力」を今後も大いに発揮して貰って、俳句界にしつかりした「指定席」を確保して貰いたい。その力量はこの句集が立派に証明していることでもある。

  平成三十年十二月 寒月の美しき日に


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