2018年2月17日

句集「緑林l 」「柵の中の風船」前川弘明(まえかわひろあき)



著者略歴  前川弘明(まえかわ ひろあき)
・1935年3月長崎市生まれ
.「海程」同人(同人会副会長)
・現代俳句協会会員
・九州俳句作家協会会員
・長崎原爆忌平和祈念俳句大会実行委員長
.昭和60年 第17回九州俳句賞
.平成3年 第27回海程賞
・句集「草の上の午餐」(平成元年)
・句集「柵の中の風船」(平成13年)

句集20句抄
天界の火の粉を蒐(あつ)め曼珠沙華
朝はじまる青年に澄む腕時計
音楽にふれた蜜蜂から落ちる
キリストのゆるき腰布よ桃の莎
ああ五月いとしき祖国緑なす
雷鳴がピアノの上を通りけり
船長の帽子の中のきりぎりす
掛大根白くて聖堂が見えぬ
冬森の奥の動悸を聴きにゆく
父祖よりの礼節の血や稲の花
標本の蝶美し磔刑のかたち
虹架かる川は素足で渉るべし
こわれゆく母美しき花氷
刃を入れて桃を愛していたと思う
泣きじゃくる百合は牛乳瓶に挿す
その鍵は月光館に置いてある
ぶらんこ漕ぐ行方不明になりたくて
投光が原子炉舐める春の闇
きえるため海に雪ふるみんなでふる
白鳥がぐわぐわ十二月八日


 風土に観る風景           伊藤淳子

『緑林』は創刊同人として「海程」の歴史と共に歩いてこられた前川弘明さんの第五句集である。
 前川さんの創刊同人としての足跡を、我々後輩は、殆ど知る機会がなかったのである、同人、飯島洋子さんのご好意により、創刊号からの「海程」を頂くことが出来た。
 それは、濃紺の表紙に白抜きのゴシックで「海程」とあり、下方に小さく創刊号とある。はじめて手にした時の深い感慨は、忘れることが出来ない。
 その創刊号に、同人作品二十代特集があり、前川弘明さん、山中葛子さんほか七名の方々が十句発表している。


  雪より重く干潟に吸われ澄む青春      前川弘明

 同時に、金子先生の同人スケッチの頁があり、三十名程が名をつらねていて、前川さんの欄を一部抜粋すると、「官吏。島原在住。何時勉強するのか分からないほどの俳句熱心。素朴で意志的、かつ多感な二十代。中肉中背、色黒。結婚適」と書かれている。
 それから50有余年。只今「海程」は535号となり、その長き問、作品を発表してこられたのである。

 句集『緑林』より。
  音楽にふれた蜜蜂から落ちる
  刃を入れて桃を愛していたと思う
  ぶらんこ漕ぐ行方不明になりたくて
  われ在りゆえに愛せと蝸牛
  白葱の内に秘めたるもの刻む

 音楽が聞こえてきた。蜜蜂がふっと落ちる。それだけで、実に魅力的に詩を感じさせている。桃の薄い皮に刃を入れたとき、愛を思う。大人になって漕ぐぶらんこ。身の内に感じる空気。蝸牛の句も、白葱の句も人間の有り様を書いていて、深い。
 
 かつて兜太師は、前川さんの俳句について、「その俳句にしみ込んでいる長崎の風土と言ってるものが格段に色濃く独特で、魅力的なのだ」と書かれているが、今度の句集も、如実にその長崎の風土を感じることが出来る。
 
 長崎の歴史を思うとき、日本列島の最西端に位置していて、近世、鎖国時代にかけて、唯一、中国、ヨーロッパに開かれた窓であったのだから、その古い港町の、独特の生活文化と共に、土地固有の、気候地味など土地柄の持つ肌合いは、前川さんの俳句の土壌になっているに違いない、と思う。

 しゃぼん玉我が家の空のほか知らず
 いつも不戦の心でいるね青蛙
 春の火をローソクへ継ぎ聖家族
 キリストのゆるき腰布よ桃の花
 水になろう水になろうと水すまし

 実に自在である。物への感応が生き生きと働いていて、心情が伝わってくる。しゃぼん玉も、青蛙も、水すましも、どれも明るく、くっきりとしていて、自分自身のこころの反映であると思われる。

 かつて、金子先生のお供をして平戸の「山頭火フォーラム」に参加させて頂いた時、前川さんとご一緒したクルージングの、あの海の蒼さと陽のひかりを思い出す。兜太師は、「東支那海の照り返しとともにある古い港町。その肉付、情感の色合い」と前川さんの魅力を語っておられるのだ。

 そして、決して忘れることのない、8月7日。72年前の長崎の原爆は、我々人類の計り知れない、怒りと、悲しみと、祈りと共に、語り継がれ、永遠に記憶に留められることなのだ。

 長崎の原爆資料館で初めてロザリオを目にした時の、胸が詰まるような、畏れと哀しみを思い出す。

  火の匂いして浦上の牡丹咲く
  被曝の街絵踏みのように雪が降る
  家々に酢の澄む匂い原爆忌
  被爆忌の白靴ていねいに洗う
  なんじゃもんじゃの花咲き被爆者我が住む
  被爆者Aだまって鬼灯を活ける
  樹のたましい蟲のたましい八月来る

 浦上の牡丹に火の匂いを見る。街に降り積む新雪を歩くときの感懐。家々一戸一戸の暮らしに感じる原爆への思い。なんじゃもんじゃの花に寄せるこころ。樹にも蟲にも宿るいのち。その暮らしの中に、八月が来るのである。
 長崎にとって「被爆」は戦後何十年経っても薄れることのない現実なのである。その暮らしの中で、そこに根っこを下ろし、囗常に即した心象風景は、実に自然体であり、存在の放つひかりを帯びている。


「柵の中の風船」前川弘明
前川の<体(からだ)>  金 子 兜 太

前川弘明は長崎育ちだが、その俳句に沁み込んでいる長崎の風土と言えるものが格段に色濃く独特で、魅力的なのだ。この人の句作りは人並みで、日常に即し、心象風景をまとめる。ところがどの句にも普通の感じがないのは、前川の<体(からだ)>になっている風土のおかげである。東支那海の照り返しとともにある古い港町。その肉付、情感の色合い。

 平成十九(二〇〇七)年 長崎原爆の日   熊谷・熊猫荘にて。

〈自選>  前川弘明

船長が食べる春風と林檎

朝日浴び大白鳥の笑いけり

花街や野菊を自転車が踏んで

マッチ擦る霜の人参畑見て

鶴かえる絹の袖ふる赤ん坊

消化器が廊下に立って麦の秋

月光を瀑布とおもい昏睡す

返書あり朝焼け馬の切手にて

倒れきし傘を向日葵が抱けり

月光や破船のように父坐る

小鳥来る縦横にしかし整然と


『樹下の時間』から   平成18年(最新作)


飴玉の溶けゆく舌や鳥帰る

初蝶にみどり児両手広げたり

鹿の瞳のかなしさを言い別れけり

水渡る蝮の瑠璃のまなこかな

巌頭に春愁のマリア昼の星

夏の月白い船具を犬が嗅ぐ

われ泳ぐ鱶にも機雷にもならず

白い飯粒さえずりのよう終戦日

深く拝す戦争見たる夏の月

蝶墜ちるための草叢濃くありぬ

穂草噛む教師に怒濤立ちあがる

夕焼けをグラスに満たし海を恋う

青田昏れて水の匂いの月上がる

毛虫焼くかなたに青き五島灘

銀河濃しわれらは水の惑星に

野分してジャスミンの香の殉教址

天金に触れてかなしや秋の指

星満ちて屈葬の谷暗くする

石斧打てば月明の木々泣くだろうか

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