2018年2月18日

句集 『産土』 小林 まさる

小林 まさる略歴
昭和6年   群馬県生まれ
昭和41年  赤城俳句会「風苑」入会
昭和42年  「ぬかるみ」俳句会入会
昭和43年  「海程」入会
昭和54年  現代俳句協会会員
平成元年  ぬかるみ巨峰賞受賞
平成7年   ぬかるみ賞受賞
現在    「海程」「ぬかるみ」「風苑」各同人
       群馬県現代俳句協会幹事
 
金子 兜太序文 (抜粋) 「人間が伝わる」 

上毛三山の一つ、赤城の山麓に大胡町がある。小林まさるは、この町で蕎麦の老舗大村屋を営む土着の人。「紅葉原野やって来ました大村屋」がある。・・・・・・・小林 まさるに次の句あり。

母に内緒の脛の古傷蛇いちご

 この人の青年期もなかなか強かったときいているが、私がはじめて会ったときは中年だった。しかしその面影は残っていた。いまは淡々として、俳句仲間の世話役を楽しんでいる。どこかに英五郎に似た土着者の雰囲気を私は感じているのである。

 俳句仲間といったが大胡から宮城村とつづく赤城山麓の集落、さらに前橋市におよんで「樹の会」という名称の俳句グループがある。軸は、長老の上野丑之助だったが他界した。上野と同じ宮城村村長をつとめた阿久沢嘉十も他界し、息子の長道が花栽培の傍ら俳句を作っている。小堀葵が会のマスコット的存在といってよい。そして井上湖子、山崎子甲、足利屋篤、木田柊三郎、六本木伸一あり。浜芳女、澤悦子が控えている。すこし離れたところにいる芹沢愛子や室田洋子といった若い人たちも句会に出没すると聞く。「樹の会」の人たちと私との付き合いは長い。赤城山の温泉宿でいくども句会をやった。自動車に乗せてもらってあちこち出掛け、これは今でも続いている。・・・・・・・・



 小林まさるの<俳句付き合い>は広く、関東一円におよぶが、いちばん身近で親しいのは、むろん「樹の会」である。その俳句仲間や母や妻や家族やとの日常のながれを、まさるは俳句に書きつづけてきた。そしてかれこれ四十年間の作品をここにまとめた。 

 読みおわって、小林まさるという「人間」が生々しく伝わる俳句は自然をうたうものなり、とか、いやいや人間をうたうものです、なとといった図式的な言い合いの愚かさを痛感するほどに、生々しく伝わる。小林まさるは、むろんさまざまな技法を試みあれこれとテーマをもとめて書いてきたわけだが--
句集の各処にその試みや探索のあとを残しているが--、読了しての感銘は、そんな書く営みの苦労などどこかに消えていて、小林まさるるという「人間」の有り態がそこに生々しく息づいているところにある。その赤城山麓に生まれ育って、その時空とともにある「人間」の執着や愛憎、喜怒の有態。・・・・・
 とくに「水」の章が私には読みごたえがあったことを記しておきたい。

   母といて銭使わず芹なずな

   山よ川よ母に春星ありがたし

   母逝くや夜桜白い泡でした

   九十五へあと一日を流し雛

   タンポポの飛ぶ時間ですおふくろよ

   薄氷やキラリと母の糸切り歯

   妻よ木の実降る夜はこの指止まれ

   出前の俺と同じ寒さで夕刊来る

   折り鶴に躓くは月母病めり

   月の山畑白梅の大儀なり

   霧の差し足触れる音かな朴散華

   仏たち従容として枯れる昏れる

   樹の雨を春の口上だと思う

   少し歩こう月の出るころ茶の花と

   赤城山系月という素寒貧

   老いは気ままな風の出船さ曼珠沙華

   女房どの水飲む蝶を肯へり

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