2019年5月25日

句集 「星狩」 清水 伶 (しみず れい)


著者略歴
1948年、岡山県生まれ。「朝」「海程」同人を経て、1999年、同人誌「遊牧」(代表・塩野谷仁)に参加、現在に至るっ現代俳句協会会員1千葉県現代俳句協会幹事。千葉県俳句作家協会会員。千葉日報・日報俳壇選者。
   
  「遊牧」同人の清水伶さんが第二句集『星狩』を上木された(平成29年3月31日、本阿弥書店)。序文は塩野谷仁「遊牧」代表で、多くの佳句を挙げながら、清水さんを「硬質の叙情」の俳人だと賞賛している。
 彼女自身の目指すところは「私の興味は書かれている句意が鮮明で、現実的な細部が感覚という、全体の多義性を深めた俳句を書きたいと願っている」とある。

第73回現代俳句協会賞受賞「星狩」50句   清水 


膕(ひかがみ)の昏きところを夏の緤
父の日の大笑面に逢いにゆく
幾万の蝶を翔たせて夏の空
昼銀河歩きはじめに羅生門
冬の鵙そっと点りて人体図
抽斗のなか紅梅の坂がある
初蝶は真夜にはぐれた花骨牌(はなかるた)
椿闇まぶたあるもの横切れる
胎生の無数の濁り白もくれん
深層の水買いにゆく夕さくら


ガラス屋の向こう八月十五日
かなかなの銅色(あかがね)の愚直かな
葉牡丹のなかはあざやかな生国
繃帯を巻く梟になりたくて
ぼうたんの荒々しくも月の跡
鮎食べて唇(くち)はつめたき水辺かな
蛍狩わたしの闇むみて帰る
水鏡磨けば梟やって来る
唇のしずかな水位羊歯ひらく
うつうつと兎小屋あり木々芽吹く
雛壇のどこかに真夜の罠のあり
かくれんぼ蝶の白さを残したる
青楓われらひかりの魚であり
亡父(ちち)と母交り合うとき螽斯(きりぎりす)
死をねむる母は白花さるすべり
母死後のピアノに匿す秋螢
讃美歌を閉じ冬蝶を漂わす
冬銀河腕立て伏せの父がいる
星狩に行ったきりなり縞梟
裸婦ともなれず寒椿ともなれず
おぼろ夜の紅絹一反を思いけり
弦楽の一弦狂い蝶の怪
牡丹の黙秘権なるまひろかな
まなぶたのみづいてきたる芹の花
裏側は永久(とわ)に牡丹の芽でありぬ
茄子漬けて冥王星に近づけり
湯ざめして百の海鵜に迷い込む
西行に倦み冬蝶に誘わるる
人の死へけぶるまで独楽回しけり
春衣着てわたくしという渚
春眠のこの世の端のふくらはぎ
陽炎の太き動悸をみておりぬ
硝子切るしずけさにあり蟻地獄
父の忌のとおくに吹かる蛇の衣
菊枕簪(かんざし)いっぱいありにけり
頭のなかの林檎園なら盗りにゆく
黒板の数式野うさぎのゆくえ
回廊のどこまでが夢冬の鹿
永遠の合わせ鑑と寒梅と
たましいを華とおもえば霧ふる

受賞のことば        清水                   

 今回、私の第二句集『星狩』に思いがけず過分なる賞を頂けましたことは、自分へのひとつの励ましのようでもあり、とても嬉しく思っております。
 母の勧めにより俳句を始め、その後学ばせて頂いた「朝」「海程」「遊牧」というそれぞれの結社、同人誌は、俳人協会系から革新的な金子兜太へと師を変えるという大きな
揺れは、異色とも思われがちですが、私にとっては、各々の師の、硬質の抒情・叙情という共通の資質、感性を学び続けたいという結果だと納得しております。

  「俳句は体質」ということばがありますが、私はどうも抒情体質のようで、また感覚で物事を捉える右脳タイプであるように思います。それは私の専門が音楽であったことに関係しているのかも知れません。旋律を歌わせて演奏したり、逆に音楽と程よい距離を保ちながら(音楽の底に流れる深い感情などを感知しながら)知的に演奏することなど。それらは俳句に言い換えることも可能で、その先には、私か追い求めている「真の叙情」に行き着くことが出来るのかも知れません。
 そしてもうひとつ、俳句に於ける詩的志向というのは、なかなかに難しいことですが、ことばと季語との新しい関係をつくってゆく楽しみもあり、「実」を離れ過ぎずに、自分らしい響きを持った作品を書いてゆきたいと思っています。

管理人・竹丸も一言お祝いを、伶さん「おめでとうございます」

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