著者略歴
篠田悦子 しのだえつこ
昭和五年十月、山梨県生まれ。昭和六十三年、カトレア俳句会を経て「海程」入会。平成四年、「海程」同人。第二回海程会賞、第四十九回海程賞、第四十回海隆賞受賞。現代俳句協会会員。埼玉文芸家集団会員。
序に代えて 金子兜太
栖み古りて武州のみどり情(こころ)の帆
夏の森一番星のため暮れる
しっかりと自分の生活を身に付け、潔癖にからっと乾いていて、誠実に真面目にやっている篠田悦子の姿が此処にある。
長いこと野草に親しんでいる篠田は武州の木々の緑の暖かさ、奥行きの深さを感受して生きていると思う。
人間から植物、植物から人間へと大きく往き来する「こころ」即ち情(こころ)の動きを見る思いが普通にあり、そんな篠田の情(こころ)が、九十七歳の自分にいま、 柔らかく扶けになることが多い。
ラムネ飲む常識お化け躱しながら
紅花百貫ほどの夕日が裏口に
濁流や逝く夏の木の間がくれ
鮎のぼる土着のしずけさ妹たち
会釈して御馬草(みまくさ)が匂う信濃人
平凡とは丸いおにぎり森林浴
葱焼ける野の匂いかな懐(ふところ)
霾や地球に人が居なくても
草木瓜の花胸熱く八十路なり
人として棒立ちの汗爆心地
ざっと取り上げて見て、改めて感心している。今更ながら嬉しく思う次第である。
篠田悦子十句 内野 修
みくまりの八ヶ岳(やつ)や水木の花に雨
南北に連なる八ヶ岳に降った雨は、その稜線によって、東西に分けられる。まさに水配りの八ヶ岳である。前半に「みくまりの八ヶ岳や」と自然を大きく捉えている。そして、後半に焦点を絞って、眼前の景を「水木の花に雨」と美しく捉えている。その背景に「みくまりの八ヶ岳」が大きくどっしりとあるのである。「みくまり」「水木」「雨」がよく呼応している。
蜂の巣を覗くだけなり入道雲
働き蜂が絶えず出入りしてにぎやかな蜂の巣かおり、一方では入道雲がもくもくと空に盛り上がっている情景である。その入道雲を擬人法によって「蜂の巣を覗くだけなり」と
言ったところが面白い。にぎやかな「蜂の巣」と音もなく盛り上がってゆく「入道雲を取り合わせ、対比させている。自然の一こまが楽しく取り上げられている。
囀りやこの只管を忘れかけて
春になると、小鳥の雄が縄張りを主張し、雌に呼び掛けて、ひたすら囀る。そんな囀りの様を「この只管」と共鳴し、自分と重ね合わせている。囀りのようなひたすらさを自分は忘れかけていると思ったのである。そして、もっと懸命に人生を生きてゆかなくてはならないと思ったのであろう。自然から生き方を学んだのである。
菜飯炊く明るさも吾れ独り分
白米に刻んだ菜っ葉を混ぜ込んで炊いた菜飯は、緑が鮮やかで、春の明るさがあり、心も明るくなる。それを「菜飯炊く明るさ」と言っている。せっかく炊いた菜飯なのに食うのは自分だけなのである。「吾れ独り分」と言ったところ、春なのに……という寂しさが感じられる。日常の一こまが具体的に捉えられ、作者の心情がしみじみと詠い込まれている。
ありふれた暮らしに万両背伸びせり
「ありふれた暮らし」とは、多くの人が日々繰り返している日常生活であろう。そんな暮らしの中で、赤い実をつけた万両が背伸びしているように感じられたのである。それを、擬人法によって「万両背伸びせり」と言っている。「背伸びせり」と言って、日常生活にあきたらない作者自身を万両に重ねているのであろう。「万両が背伸びせり」は、作者の自画像であろうか。
本枯の空空空空忘れもの
こがらしの からからからから わすれもの
自然の中に身を置いて、「木枯」の音を聞いている。その音は「空空空空」と聞こえてくる。「空空空空」というオノマトペが「木枯」の乾いて、むなしい感じをよく表している。「空空空空」という音を聞いていると、身辺のいろいろなものを飛ばされて、「忘れもの」をしているような感じになったのであろう。日常で感じるちょっとした不安感が示されていると言えよう。
木枯やがさごそ人は常に探し
「木枯」という自然に対し、「がさごそ人は常に探し」とは、人間の日常生活を暗示しているのであろう。「木枯」のように自然はいつも一方的であり、人は常にがさごそと探しものをしているのである。「がさごそ」というオノマトペが人間の哀れなありさまをよく表していると言えよう。自然と人間の対比が鮮やかに捉えられている。
人として棒立ちの汗爆心地
「長崎にて 三句」と前書きのある一句目の句。長崎の爆心地に立つと、原爆による大量殺戮という人としての最悪の行為が思い浮かんで胸が苦しくなったのである。その苦しさを「人として棒立ちの汗」と表している。「人として」真剣に相対すると、体が硬直して、「棒立ち」にたり、「汗」が流れ落ちるのである。「爆心地」に立った時の「人として」の重い思いが提出されている。
篠田句集鑑賞 関田誓炎
農民とは被曝の畑に種蒔きぬ
東日本大震災の大津波の被害によって、福島の原発から放射能が漏れ、その放射能によって、被曝した畑に、農民は作物を作らなければならない。被曝の畑に種を蒔かなければならないのである「農民とは」と言って、その宿命を「被曝の畑に種蒔きぬ」と重く提出している。土を離れては生きてゆけない農民の苦悩が強く伝わってくる。
土着とも異う歳月花大根
一つの土地に長く住んで、そこに根づいた暮らしをする「土着」ということにこだわっている篠田さん。現在の熊谷市に居住してから、長い年月を経ているのだろうが、まだ「土着ではない」という思いが募ってきたのだろうか。
「土地に根づく」ということへのこだわり、そして、自身が土着とは違う歳月を費やしてきていることへのさびしさを、季語「花大根」に託しています。
なつかしいと読む懐や榾火匂う
この句のような発想は、この人ならではのものだろう。自然や言葉などに強く関心をもち、想を練って句をつくってゆく。先ずは、「懐」という漢字を「なつかしい」と読むことに注目した。そして、かつて囲炉裏で火を焚いた昔の生活に思いを寄せて、「榾火匂う」を取り合せたのだろう。
慌てざること阿闍梨に匹敵蟇
体長約約一二センチの大型の蟇は、その鈍重な動作と醜さから人に嫌われるのだが、虫を捕食する無害有益な動物で、のそりのそりと歩く蛙。我が家の畑にもいたのだが、今は現れない。この句の「阿闍梨」とは、いうまでもなく「高徳の僧」をさすのだが、蟇は、阿闍梨と同様に慌てるようなことはなく、自らの領地に居座っているということだろう。「阿闍梨」と蟇の取り合せがユニークである。
年齢てふ甲羅大切くすり喰
この句も大胆な発想である。「年齢てふ甲羅大切」という措辞に、篠田さんの強い意志が見える。若さだけではなく「年の功」も大切だと、主張しているのです。だから、年寄りといえども紅葉鍋でも食べて元気でいよう、と自分に言い聞かせているのでしょう。感覚と智恵とをはたらかせた作品となっています。
鶯啼いて張り切る僧の単純美し
「単純」という言葉は、一般的には「単純なミス」というように悪い意味で使われますが、この句で作者は「単純が美しい」と言って、気さくで純真な僧侶に心を寄せているのです。鶯が口笛をふくような柔らかい声でさえずる寺の庫裏に客を寄せ、茶を振舞って、にこにこと笑って歓待してくれたのでしょう。そんな景が見えてきます。
ヒロシマ夏真水にしんと生きものたち
史上最初の原子爆弾が投下され、市街は壊滅、二十数万人の犠牲者を出した広島市、今は復興を遂げていて、川や池の水に魚などの生物がひっそりと静かに生きている。そのことに、安堵している作者だが、「しんと生きもものたち」という措辞には、再び戦争をしてはいけないという決意が込められているのでしょう。
(篠田悦子句集『情の帆』に寄せて/二〇一七年十一月十日発行)
あとがき
平成二十九年は八月一日に蟋蟀が鳴き出しました。例年は八月の盆が過ぎてからですので、随分早いなあと思っていましたら玄関口の白侘助の花芽も、もう脹らんでいました。五月の異常な暑さが自然界を狂わせているのでしょうか。線状降水帯と云うものの影響か各地のゲリラ豪雨もあって、地球は明らかに異常です。
土の匂いや田舎の匂いが好きな私は、野や山の自然の草花が大好きです。各地での社宅生活の時も、暇さえあれば野を歩き廻って居りました。本当は海の見える所に住みたかったのですが、夫の故郷である熊谷に家を持つことが出来、やがて埼玉山草会の存在を知り、現在も会員ですが、ご長老たちの趣味の深さには圧倒されました。この会に入ったことで私は野の草のように有りの儘に暮らしたいと強く思うようになりました。
仲間たちとの植物探索の旅は何より楽しいものでした。自分の好きなことに仲間も得て小さな庭でも四季の野草の手入れをする日常で充分幸せでした。
金子兜太先生の俳句講座が熊谷に生まれることを知り、優柔不断の私がすぐに申し込みましたのは、いま考えても何か大きな力に導かれたとしか思えません。熊谷に住むことになって本当に幸運を戴きました。
歳時記も句会も吟行のことも知らず、一歩一歩知識を授かり、素人の私か飽きずに学んで来られましたのは、金子先生の魅力も然り乍ら、兜太選に対する信頼だったと思います。
温もればはしやぎ寒ければ萎え芹の家 兜太
この句のような人間臭い、気取らず飾らずのざっくばらんな暮らしの句が私は好きです。こんな領域に身を置きたいと何時も思って居ります。
もともと晩学の上に八十六歳のいまになって、句集とはと思うのですが、女学校からの七十年来の親友にさんざんお尻を叩かれて実現することになりました。改めて友情に感謝します。私はこれからも好奇心を失わず、自由且つ時代に触れる句を作り続けて行くつもりです。
平成29年 夏の日 篠田悦子
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