2018年2月18日

句集『源』野崎憲子(のざき のりこ) 

 
句集『源』より自選  野崎憲子

  
潮騒や純白の蝶てのひらへ

  しやぼん玉芭蕉の耳は小さかり

  雨上りじだじだしだだ揚羽未る

  満月をごくりと飲みぬ爆心地

  霧深し瀬戸大橋は天の川

  釣瓶しこの位置は譲れない

  燧灘(ひうちなだ)月の兎が来てゐるよ

  朝霧はやし源へ還るかな

  猪も鴉も素足ひかり巻く



野崎憲子(のざき のりこ)

昭和28年 香川県志度町に生まる。
平成5年頃より、独学で俳句を始める。朝日俳壇への投句開始。
平成7年「海程」入会。
平成10年4月「海程」俳句道場に初参加する。金子兜太先生に出会う、
平成15年 第20回朝日俳壇賞(金子兜太選)受賞。
平成16年 第2回「海程」同人各集年間賞受賞。
平成18年 第7回海程会賞受賞。
平成24年 第48回海程賞受賞。
現在
「海程」同人 現代俳句協会会員 香川県俳句作家集団「城」同人
「海程」香川句会代表 http://kaiteikagawa.web.fc2.com/index.html
 



序に代えて    金子兜太

金子兜太(以下兜太)
 対話方式でゆきましょうか。まず、私から二つほど質問がある。野崎君は空海が好きだと聞いてるが、空海の、どんなところが好きなんだね?

野崎憲子(以下憲子) 
はい、よろしくお願い申し上げます。では、今のご質問から、空海は唐へ渡り、真言七祖である恵果から真言密教を伝授され、日本へ持ち帰ります。そして空海独自の真言宗を創り上げたことです。それから絶対肯定の世界。

つまり、生きとし生けるものが、そのままの形で、共存する世界を考えていたということです。私の生家は、四国霊場第八十六番札所志度寺の門前町にあります。朝日に夕日に手を合わせ、佛様の前でご真言を唱える祖母が大好きでした。

空海は、お大師さんと呼ばれています。結願寺である第八十八番札所大窪寺から逆打で歩き遍路をすると、どこかで必ずお大師さんに逢えると言われています。今でも、空海は、生きて歩いているのです。 (中略)

兜太 
句集『源』を読んでいると、空海への傾倒の心情と重なり、併せて瀬戸内海の風土性を強く感じる。その思い入れが分る気がするのだがね。

兜太 
そうした下地があるわけだ。ところで、句集の中で特に気に入った句のいくつかを挙げてみます。

  佐保姫の髪は投網よ月の海

  千の手に千の天地水温む

  日野月野星野化野(あだしの)鳥交る

  しやぼん玉芭蕉の耳は小さかり

  火は水を水は火を恋ひ螢

  雨上りじだじだしだだ揚羽来る
 

兜太
そして、六句目の句だが、この「じだじだしだだ」って擬態語。この、からだから吐き出すような、オノマトペアの使い方が、これがいかにも野崎流だ。他の人は、こういう、かなり肉の匂いのするような擬態語は、なかなか出て来ないんだよな。肉体でつくっている、という感じだが、だから妙に風土や空海と重なる。憲子流の力技は女性には少ないのではないかな。


 放射能まみれの空へほうたる


 このたびの、福島を中心とした被曝体験ですね。これを、是非書いておいてもらいたいと思ったけど、よくお書きになった。「放射能まみれの空へ」のスタテイックに、静的に、捉えたんでは、あの悲惨さというか残酷さというか、被曝のね、あの体認は、十分に出てこない。「へ」という時に、螢のいたましさのようなものが浮かんできている。


憲子 去年、飯舘村へ参りました。

兜太 
行ったんだね。しかし、君のことだから体験しなくてもこう書くはずだ。想像でもね。

憲子 
ずっと螢の句を書きたかったのですが、書けませんでした。飯舘村へ行ったあたりから、身の内からふっと螢が飛びだしてくるような思いにとらわれることがありました。

  露の玉ひとりにひとつ銀河濃し

兜太 
「ひとりにひとつ」、露の玉と人間を一緒にしちゃってるわけだな。「露の玉」を擬人化して「ひとり」。しかも「露の玉」の物象感を強調して「ひとつ」。ね、この重ねた捉え方。人間と捉えて、物と捉えて、人間の肉体を感じさせ、物の物象感を感じさせる。これは野崎流ですよ。五七調最短定型と取り組み、銀河の下の露の玉と取り組んでいないとこのエネルギーは出て来ない。次の句も同断。

  そのなかに朝日子ひとつ白露かな

 そして、

  猪も鴉も素足ひかり巻く

 「猪も鴉も素足」ぐらいまでなら誰でも言えるんだ。ところが、「ひかり巻く」つていう、これがね、いかにも野崎流なんですよ。心底に潜む弘法大師のお力なんだな。「生命感」と言おうか。そして、
命なき物質にも私は「物象感」を受けとりたいと願っているので、この生きものの「生命感」の掌握は十分参考になるね。この双方とも五七調最短定型の力を十分に使うと出てくる。

 くどくなるが、結局、君の作品は、五七調最短定型、日本語の最短定型に対して真っ当な感受性を持っているというのが、私のまとめです。だから、君は俳句を創る時に全力投球型になる。いい加減に創らない。

で、時にあんまり、いい加誠につくらな過ぎる場合がある。その場合は逸脱してしまう。詩の面白さみたいなものから逸脱してしまってね、ひどく独りよがりなものに見えて来る時もある。そういう意味で、出来不出来が多い。だからあんまり一般的な評判は良くない。これもよくわかる。

 私は若い頃に、俳句っていうのは、「構築的音群」だっていうことを書いたことがあります。構築的音群というものを、君の句から感じますね。
独特な音数律の韻き合いと力感。定型感。この最短定型詩とピッタリの資質を持っている為に、自ずから抱き合って、そして生真面目に気力を出して創っていて、それが同時に貴君のエネルギーになっている。弁証法の関係みたいで常に面白い。
             
            (平成二十五年晩春、上長瀞 養浩亭にて)

0 件のコメント:

コメントを投稿