2018年2月18日

句集『翌朝回路』 宮崎斗士(みやざき とし)


著者略歴  宮崎 斗士 
昭和37年東京都生まれ
海程・所属。「青山俳句工房05編集発行人
宮崎斗士句集『翌朝回路』栞
気分回復「翌朝回路」      谷  佳紀
ストラダムスの翌朝回路     白井 健介
誰にも似ない人        守谷 茂泰
壊れない玩具         芹沢 愛子
気分回復 「翌朝回路」    谷 佳紀 

 ご本人は短気で喧嘩っ早いというが、私が知っている宮崎さんは穏やかで世話好きである。句会の運営はお手の物。もう青年という年齢ではないようだが、Tシャツに野球帽が似合っているので二十代から三十代そこそこと長い間誤解していた。一緒にいると気持ちが開放される。

そのような宮崎さんの句集である。活気に満ちた作品が一杯詰まっているだろうと思っていた。実際にその通りの句集になっている。いかにも宮崎さんらしいと思ったのは、春と夏で句数の三分の二を占め、秋と冬の作品が少ないことだ。いつも明るく元気で、寂しさや暗さに閉じこもれない性格にぴったりである。
  本日のきっぱりとあり蕗の薹
で句集がはじまっている。句集の性格を宣言しているような作品だ。早春の明るい光と、蕗の薹の初々しさとみずみずしさをとらえつつ、「きっぱり」の一言を持って表現を引き締めている。この潔さはすがすがしい。そして「夏」は、丸裸どんどん空を持ってこい だ。威勢がよい。真夏の太陽の目眩む明るさと照りつける暑さは生命力そのものだ。
「きっぱり」も「どんどん」も衒いがない。真っ直ぐ真っ正直だ。ただこのような単刀直入の毒だけでは単純の面白さはあれ表現の幅が狭くなる。一見青年風、しかし中年初期らしい宮崎さんである。
この境地だけでは不満足なのだろう。


  春昼や福耳姉妹のいるような
  ぶらんこ漕ぐぶらんことは文房具なり
  乱闘やしゃくとり虫の静止して
  別れ話というのにてんとう虫ばかり

ひねりの独自性が際立つ作品を盛んに書く。しかし明るいことにわりはない。「福耳姉妹」の可憐さに心をふるわせつつ、「ぶらんことは文房具なり」と断定する強引さは、なんとなくの可愛らしさと溌刺さが照応しあって若者を感じさせるが、一方では表現というものを心得ていないと書けない手だれの作品になっている。しかし何と言っても愉快なのは乱闘に「しゃくとり虫」、別れ話に「てんとう虫」を登場させる笑いの感性である。

これこそ宮崎さんなのだと感心し、句集を読み返してみると、今まで取り上げた作品はもとより、どの作品にも笑いがあることにあらためて気づく。「秋」や「冬」の抄は笑いなしでは過ごせないふうである。

  わたしって乳牛なんだ秋夕焼

  蓑虫は揺れてしまえば簡単なり

「秋」は比較的おとなしい。ロマンティックな情緒に気持ちを乗せて笑っている。「冬」は不機嫌だ。しかし不機嫌さをあまり出さないように注意し、持ち味の笑いに引き込もうとしている。
シュレッダー動かす雪女郎の手で
本気だから黒一色の雪女
雪女けっこう永谷園である

綺麗であっても怖い魔女である雪女を、平凡な人間、付き合い可能な女性にしてしまった。雪女は喜んでいるかもしれない。同じように、冬の寒さはどこにあるのかという具合に、暖かい冬の作品が並ぶ。

ポインセチアわたし広報担当です

鮟鱇のようにもう一軒行こう

千代紙は売り切れました日向ぼこ

このようにして、季節があり、やさしさがあり、強さがあり、明るさがあり、笑いがある句集は、春夏秋冬を一巡りする。 しかも一巡りした季節は冬で終わらない。「また春」がやってくる。そして明るい朝がある。気分が落ち込んだとき、気分がすぐれない日は「翌朝回路」を読むとよい。きっと気分が回復する。

辛夷咲いて夜よりひとつ多く朝

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