2019年5月20日

「高木一惠句集」



帯・宇多喜代子
金子兜太から高木一恵に渡されたく日の夕べ天空を去る一狐かな>は、
定住の意志と千里万里を飛ぶ漂泊の自在、加えて「日常で書く」と
いう師弟に通う思想をよく伝えており、この句集を支える強い根太と
なっている。高木一恵の誠実で勤勉な俳句人生への至上の褒美であり
鼓舞であろう。

[自選十二句] 『榧の舟』より

啓蟄や川から畑へ水運ぶ

国生みの矛にもぐらの春の土

みちのくの沈みきれない紙の雛

余震なほ倒木が抱く蝌蚪の水

さよならの無くて薔薇より濃き別れ

夜の噴水菩薩と見しは気の迷ひ

鰹一本ノーネクタイの背広で来

特攻花ゴルフボールを隠しけり

古りしわが五体百態ねむの花

柞紅葉まとひ鬼の子秩父の子

美しい卵が二つ冬の家

定住漂泊おぼろ狐の尾の千切れ


金子兜太/帯 誠実に軽やかに
 高木一恵の俳句や文章を読んでいると、みどりの葉越しに遠くきらめく、細やかな水波を望むおもいがある。静かな、しかし閃きを蔵しか感性。
 この感性は禅の修行によっても磨かれているようだが、親しみつつ吸収していると言いたい気持が私にはある。
 そして誠実に生き、それを表現しつつ、まっとうに未来に向って歩いてゆこうとしている。


眞鍋呉夫/帯 露の世のきらめき

 露の世の砂積みあげし銀閣寺  一恵

 銀閣寺の庭には、銀沙灘と向月台という二つの盛砂がある。それは無論、海から生まれたはかない命の、進化の根源への熾烈な帰依を象徴している。だから、この露の世に砂を積みあげ続ける。すると、どういう事が起こるか。白く乾いた砂が、しだいに輝きを増す他界からの光を吸ってついに銀沙と化し、まさに落ちようとしてふくれあかっている葉末の露が、命そのもののきらめきとしてこの世に現前するのである。


榧の舟/留書

 榧の木は舟に蓮は夢の座に  一恵

 縄文の蓮「大賀蓮」が甦って開花したのは昭和二十七年七月。当時のライフ誌週刊版に「世界最古の花・生命の復活」と報道されたそうです。この奇跡の蓮の種は千葉市の落合遺跡での榧の丸木舟と共に発見されました。

榧の木作りの優美な仏像に惹かれますが、水を弾くので舟にも造られて、現代まで朽ちずに遺ったその破片が蓮の種の年代特定に繋がりました。地元の千葉公園に大賀蓮を尋ねるのは、「海程」千葉句会の恆例の行事です。


高木 一恵 〈著者略歴〉

昭和17年1月―日、父福島四郎、母初子の長女として茨城県に生まれる。同19年、妹則子誕生。32年、茨城県立水戸第二高等学校入学。父の蔵書、坪内逍遙訳『沙翁全集』や吉川英治『宮本武蔵』を愛読。同年秋、母病没。35年、日本女子大学文学部史学科入学。苧坂光龍老師指導のクラブ「微笑会」で参禅。38年、脳卒中の祖母を看病のため退学帰郷。40年、父再婚。継母由美子。

上京して文部省外郭財団法人能力開発研究所に勤務。41年、弟正午誕生。44年、闘病の父に付添うため帰郷。同年父没。45年、東京都庁勤務の高木省三と結婚。板橋在住。同年、祖母きせ没。47年、長男啓多出産。54年、千葉二ユータウンの現在地に転居。57年、公文教育研究会の国語教室を開設。指導者仲間と古典漢文の教材を研究。同会作成の俳句カードに生徒と親しむ。平成23年、東日本大震災の3月、公文の教室を閉鎖。近隣公園被曝。郷里断水のため継母由美子と叔母が一時寄寓。25年、姑清子没。29年、弟正午没。同
年、由美子の養女となる。


0 件のコメント:

コメントを投稿