2018年2月18日

句集「直瀬」 松本勇二(まつもと ゆうじ)


プロフィール 虎杖副編集長
海程」同人。「虎杖」同人。愛媛県俳句協会理事
1956年   愛媛県久万町直瀬生れ
1983年   「虎杖」入会
1991年   「海程」投句開始。虎杖賞受賞
1995年   第30回海程新人賞受賞
1999年   愛媛県現代俳句協会賞受賞

新・俳句の杜2  定価3800円
雪の夜の狐が里へ降りて来る
水浴びの小鳥一切隙がなく
枇杷のたね子のポケットで光り出す
夏風邪の児に地球儀回してやる
骨に血を送りてマラソンが過ぎる
おとうとよ東京は走るように歩け


中国行き
人民の寡黙に過ぎて暮れ易し
秋の暮民轟轟と帰宅せり
北京の子棗のような尻見せて
大陸をコオロギのように歩く
鏡餅丸く丸くなった俺達
一つ年取り仰向けの植田なり
今朝の兄野鯉の影に潜みおり
河童絶えし村よりキャベツ蹴り上げる
ふぐりぐわしとつかむ初湯なり
男子三人藁打つように育ててくれし
わが背柱
猪鍋や胡座の父へ急いていた
電気技師俺の目付は冬鴎
真直に吾子の脛伸ぶ霜夜なり
鎌鼬竹切る父を狙いおり
犬放つ枯野は俺の処刑台
陽炎やつい軸足を浮かせおり
穂麦青し跳び箱の上二段見ゆ

新・俳句の杜2
明方の思惟へとどく流氷群
水仙がみなこちら向く眠り際
白木蓮純でいるため喋らない
卒業の頃は福耳だったはず
木蓮の真下混み合う日没後
春昼の鬼が寂しいかくれぼ
抽斗に子を得た頃の鳥曇り
缶蹴りに降りてきそうな雲雀かな
春昼の老人川を見て暮す
鷲の巣にどさっと置かれ目を覚ます
春暁の今朝から見える鳥の道
壇上は光源であり入学す
校長の休憩葉桜まみれなり
田から田へ水動く目の背伸びかな
早苗饗の顎よく動く村かな
豆腐切り麦秋の夜を正すなり
立たされし廊下の奥に青葉木菟
グランドピアノ閉じて全く春の闇
岩群の怒涛とともに悔る春
青葉木菟丸い空気を吐き出せり
河鵜ついに夕暮れの端を呑み初む
熟睡の生家に流れくる浮巣
梅雨兆すもぐらの道の自在なり
抱卵の闇の向こうをみておりぬ
植田見に来てわたくしを映しおり
はんざきにきれいな肺と真暗闇
大濠布すでに彼岸の貌であり
巣に垂れし藁にすがりて眠るかな

剣道をやっていた。九歳のころから始めた。夕飯後、近くの公民館へ出掛けて行って竹刀を振り回していた。個人技のスポーツが向いていたのかどんどん強くなった。初めて出た大会で優勝したのは丁度小学校三年生のときであった。数日後、地方新聞の小さな欄に自分の名前が出ていた。何やら嬉しかった。それからどんどん優勝した。中学三年の終わり
には、表彰状は家の壁中を被うようになり、トロフィーは飾り棚を占領していた。一度だけ絶対に負けないような相手にあっけなく負けたことがあった。

試合後、面を取って周囲を見まわした時の空気の密度をよく憶えている。その晩、藁人形を作った。等身大である。それに竹刀変わりの竹棒を差し練習台にした。毎晩その藁の敵に打ち込み練習を繰り返した。それ以降の大会では一度も負けなかった。

野球をやっていた。夜は剣道があるので、昼間の部活動で選んだ。小学校四年生でソフトボール部へ入った。六年生の時には捕手で主将をしていた。中学校に入ってから野球部に入った。身長は小学校一年生から中学三年生まで学年で一番高かった。兎に角練習した。

野球部の先生も、捕手のポジションを熱心に教えてくれた。新人戦から主将を命じられ
た。球を怖がるという指摘を受け、毎晩屋根に硬式ボールを投げそれを腹で受け止めた。スイングが鈍いという指摘を受け、山から百日紅の木を切ってきて普通の何倍もの重さのバットを作った。新聞紙を丸めて作ったボールを弟に投げさせ、それを芯に当てる練習を毎晩繰り返した。地方大会では新人戦も夏の大会も優勝した。野球・剣道・野球の生活は充実していた。

 高校生になった途端、剣道も野球も止めることにした。何故止めたのかは今でもよく分からないが、自分は天才ではない、というのがもっとも相応しい理由といつも考えている。

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