2018年2月17日

句集『漆黒の翼』山本 掌(やまもと しょう)


山本 掌(しょう)

俳句とは/ 季の/ 切れの /五・七・五十七音の迷宮/ 有漏路をてらす /月あかり小宇宙(ミクロ)から/ 大宇宙(マクロ)への言の葉の/ その一閃   

前橋生まれ
1989年、金子兜太と出会い、俳句を始める。
1994年より、自作、金子兜太の俳句にオリジナル俳句歌曲を〈花唱風弦〉と題し、各地で上演。
2003年、「おくのほそ道」を語り歌う試みを企画。構成、脚色し〈俳句〉を演奏する。「海程」同人、現代俳句協会会員、二期会会員

「恋」

飛花落花月のあかりの流るるも

夜熟れていわば落花を錨とし

空(くう)なるや寝台かこむ春怒濤

わが渇く春雷遠く鳴りしころ

桜蘂降りぬ傷の記憶の潤むかな

梅青しまろまろと真昼こぼるる

きりぎしは夜に触れしか花柘榴



クレマチスアレクサンドリアクワルテット

鉄線花亜歴撒的里亜四重奏

熔けてゆくあなたを纏う青水無月

毒(ポアゾン)の蜜のしたたり星祭

密会や漆黒に滅ぶ夜のありて

朱夏ごうごうとなだるる 臥床(ふしど)へ

かき抱くおとこの首に火蛾を飼う

背ナふかく夏の星座を打ちこみぬ

背ナを這う愛語の荒び夏椿

喪神や火蛾の白蛾のさざなみ

ひとすじの糸に疲れし夜の蜘蛛

糸きれてあたりいちめん夏怒濤

エロスわが身体(しんたい)つらぬく青蜥蜴

はつあきの黄金(きん)のたてがみ疾駆せよ

秋暑し臓腑のおわり唇は

はつあきや降りそそぐ唇(くち)ほのと錆び

見えざるものへなおしばらくは大花野

蜜語なす咽喉(のど)にあふるる熱き霧

萩こぼれ絹雨の夜の愛餐

萩の雨しなしなと四肢のゆるびて

駆けてゆくそうよわたくし紅葉して

露あれはうすむらさきに影を吊る

ぎぞぎぞと水の錆びゆく秋の蛇

ひとたびは狂える蝶へ月白し

真淋しくただ月白に鉄を組む

柘榴熟れ胸の死海に月あかり


書くこと、うたうこと〈あとがきにかえて〉〈抜粋〉 

 〈花唱風弦 俳句をうたう〉と題し、作曲者(巻幡初實)がギターを弾き、第一句集集『銀の(しろがね)』からの自作、兜太句をメゾソプラノが歌う、独創的(オリジナル)なステージで、一曲にほぼ八句が入っている。それが八曲となった。第十六回世界詩人会議日本大会のオープニングなど各地で歌わせていただいた。


 なぜ〈俳句をうたう〉に至ったか。 かつてオペラを唱っていた。あの小澤征爾やシノーポリなどの指拝でオペラに出演できたことは、私の貴重な財産であると思う。いまでもオペラは特別なものとしてある。


が、ひとりの歌い手としてはどうなのか。素晴らしい、きらめく才能を持った歌い手は数多(あまた)。それを承知のうえ、それでも歌ってゆきたい、(歌)という表現をし続けたい、その思いは強くあった。その独自の〈磁場)をどのようにして見出してゆけばよいか。 模索の長い時代があった。


 その経緯は「海程」の蒼鮫通信に記したものを再録する。
「俳句はもともと朗誦、朗唱に適さない定型(略)であり、あえて歌ってゆくのは、言葉と音に関わる者として、何か新しい表現の地平を創りたいと願っているからにほかならない。

 言葉で構築し、完成した作品、〈俳句〉を作曲する、この行為がすでに(読み)である。どのように句を受けとり、解釈し、鑑賞し、それを(音)の時間、空間に立ち上がらせるか。

 歌い手はその楽譜をじっくり眺め、しつかり読みながら、作曲家の求める音がどのようなものか探り、音の高さ、長さ、色合い、なによりもその昔が生きて呼吸するよう、同時に句のイメージをたどり、自分の〈声〉で歌い、現実に書を響かせてゆく。

 初めに俳句(言葉)からの、第二に作曲(音)からの(読み)を自分の声、身体で新しい時空を表現してゆく。それが〈俳句をうたう)ことではないだろうか。

(略)

俳句は、いかに密度が濃く、凝縮された宇宙であるか。歌うためどんなに(内)のパワーを要求されることか。骨太でエネルギーの横溢したあの(兜太の世界)に真っ向から対略し、(表現)するという恐ろしくも素晴らしい体験をえた。」

以下省略

 

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