2018年2月17日

句集『出羽諸人』武田伸一 (たけだ しんいち)

ボイラー室にミヤノオダマキと感情と    伸一 

著者略歴 武田伸一
昭和10年、秋田県能代市生まれ
昭和25年、「氷原帯」入会。以後「青年俳句」「風」「寒雷」等を遍歴
昭和28年より、「合歓」会員を経て同人
昭和37年、金子兜太創刊の「海程」参加
昭和41年、現代俳句協会会員
昭和52年、第13回「海程賞」受賞
平成7年より、「海程編集長」
平成11年、第54回現代俳句協会賞受賞
現在、現代俳句協会理事・朝日カルチャーランター講師
句集『武田伸一句集』
発行所、株式会社角川書店  2800円〈税別〉

   金子兜太序文より〈抜粋〉

   霜月神楽母の乳房のからからと

   出羽人の踊りの腰のひびきかな

   亡者ゆつくり秋田音頭の猥娯しむ

   田仕舞いと六年生の下校かな

   役場職員カモシカを見て潟を見る

   さようなら出羽諸人の短躯短躯



 秋田県は能代を古里をもつ武田伸一だが、秋田と書くより、山形県まで包み、東北地方は日本海岸の山河を広くとらえた「出羽」の語がふさわしい。その地面〈じづら〉の、々の体臭が句から伝わる。ときに風土の艶〈つや〉といえるものまでが伝わる。武田は古里を離れて三十年たつが、これは武田の体に染みついているのだ。

 この句集を読み、題の「出羽諸人」という言葉をしゃぶる。そうすると私のなかにも、秋田で出会ってきた人たちが、地面の臭〈にお〉いを濃く漂わせて次々現われてくれる。・・・・・・・
   蛇の腹纏きつきて家野となりぬ

 句には厳しい体験が滲み出ている。しかし体験の事実をそのまま書いて訴える素振りはまったくない。そのまま書くのではなく、心象風景にまで煮詰めて〈私流にいえば「造形して」〉いるところが見事なのだ。

「創る自分」の自己確立の確かさ。だから句は家業倒産による「家」の倒壊映像を示しつつ、七十年代の「核化」のすすむなかの「家」そのものの置かれている状況までも暗示していた。

しかもあくまで地べたに張り付いて、その映像は結ばれていたから、体に染みこんでいる「出羽」を武田は金輪際手放すことはないとも私は思っていた。

 第二句集の『出羽諸人』も、その姿勢で貫かれている。第一句集から二十三年の制作集積のなかから選んで編まれた句群の基本は、体験の日常をそのまま書くことではなく、そこにきっちりと立って、映像として客観化して書く、という姿勢である。だから、句が実〈じつ〉の確かさを持ち、乾いている。しぶとく立ち、滑稽そして諧謔までも恣〈ほしいまま〉にしている。

   農具は脆く立っているなり雛の家

   一個の岩に母来て座る虚空かな

   沼には家映り棟梁は家の上

   色鳥来爺さん婆さんぱりっとす

   みどり児やもずくに落とす涙粒

   夜神楽のしばしば空に向く顎よ

   雪暗や味噌藏が拙宅より大きい

   通夜の家田植えの話まぜこぜに

   ほうほたるほうほうほたるご一統

   春なれや死に際に蚊の出でくるも

   ボイラー室にミヤノオダマキと感情と

   肩で運ぶガラス湿舌予報の千葉市

   借景や日本中富士のカレンダー

   花粉め!という広告と通勤す

   鉄骨のエキサィテングポーズかな

   高校野球あり国分尼寺より帰る

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