2018年2月18日

句集「恋のぶきぶき」 川崎千鶴子(かわさき ちづこ)

                 文學の森  2667E


自 選 十 句
もういちど蝶になりたい白い紙
春眠をむさぼる力浮き麩かな
恋猫や声のぶぎぶぎ僕もぶぎ
田水張るぶるっと記憶もどるかな
夏星を挑発露天風呂のわたし
蟻じぐざぐ人間じぐざぐ眠るまで
七十年ぽっちの平和原爆忌
分校さびし本校さびし水母かな
鬼百合やひとり欠伸は手を添えず
まんげつの終着駅の海鼠かな


序に代えて     金子兜太


まんげつの終着駅の海鼠かな 千鶴子

 この句は、作者の受け取った風景を内面化している句。「まんげつの終着駅の」の「終着駅の」を〈終着駅は〉あるいは〈終着駅を〉として受け取っている。
 終着駅が海鼠のようだったということ。駅の人間の動きとか置かれているものを総合して、駅全体の印象が海鼠のようだと受け取ったのだと思う。満月がいい。満月に照らされているうらさびしいあまり大きくない駅の風景が見える。この句の場合は、譬えというよりも終着駅の風景を感覚しているといったような句。     
       「海程」二〇〇二年十月号(新・秀作鑑賞)


分校さびし本校さびし水母かな 千鶴子

 軽い意外性がある。日常常識からみれば意外なことだが、現実は分校だけでなく本校もさびしくなっている状態。 
「分校さびし本校さびし」で切って「水母かな」といわれると、水母の漂いが分校から本校に移った子供の表情に重なり、分校も本校もさびしく、水母みたいに学校をさまよう子供のさびしそうな姿が見えてくる。
 現実感を気軽に書いた句。俳句は現実感が薄いといわれるがこういうかたちで出てきている。広い意味の社会の現実感を暮らしに引き込んで生きたかたちで描いている。リアリティーというよりも社会をアクチュアリティーに描いたというべきであろう。
       「海程」二〇〇四年四月号(新・秀作鑑言

ひと夜ひと夜紙にちかづく紅葉です 千鶴子

「紙」がそのまま神とかさなりつつ、やはり紙のはかなさを残している印象が均妙である。なにかをいつまでも残してくれる句である。囗語調の働きも上上。
        「海程」二〇〇六年七月号(新・秀作鑑宮


七十年ぽっちの平和原爆忌     千鶴子
被爆から七十年。また戦火の匂いが強くなった。平和を守れ。永久に守れ。
 第二十四回ヒロシマ平和祈念俳句大会(金子兜太特選句・選評)

 跋    安西 篤

句集『恋のぶぎぶぎ』の著者川崎千鶴子は、夫益太郎とは同年である。二人は大学時代(益太郎法政大学、千鶴子中央大学)、東京のアルバイト先で知り合い、卒業一年後、益太郎の福岡赴任を機に結婚、同時に千鶴子は勤務していた総理府(現在の総務省)統計局を退官した。

 俳句は、昭和五十一年に「海程」同人の小田保の指導を受けて句作開始、昭和五十三年に現代俳句協会会員、平成九年には「海程」に入会している。夫益太郎の句作は千鶴子が誘ったものらしく、句作開始時期はほぽ二十年ほど先行している。夫妻にとって第一句集ではあるが、千鶴子の俳歴は夫に倍するキャリアがある。そのキャリアを生かし、広島県現代俳句協会の事務局長として会長の夫を補佐している。  中略

千鶴子は、伸びやかな感性で自由奔放に表現領域を渉猟している。句集の表題を『恋のぶぎぶぎ』とした時も、古希にもなって、なんの後ろめたさもないあっけらかんとした選題だったに違いない。さて作品を見ていこう。

  落椿ゴッホの耳が落ちている
  遊女の打掛け夏蝶の立ちくらみ
  ひまわりの真ん中ルオーの哀しみ
  尻尾までモンローウォーク青蜥蜴

 この一連では、作品の世界に画家や遊女、女優などの素材を持ち込んで、劇的に構成している。落椿をゴッホの耳と感じたり、遊女の豪華な打掛けには夏蝶も立ちくらみするほど。ひまわりの真ん中には、黒の輪郭に縁取られたルオーの絵の哀しみがある。青蜥蜴の動きに、マリリンーモンローのお尻の振りっぷりが、尻尾まで届いていると見立てる。
 絵画的素材にアニミステイックなドラマ感覚を仕掛けている。そこに千鶴子の知的構成がある。もともとアニミスティックな感覚は、生得の資質なのかもしれない。

  押しかける笑い上戸の夜の蛙
  おたまじゃくしまだ仮分数のまま
  分校さびし本校さびし水母かな
  迎え火や姉にはかぼちゃの馬車がいい

 題材は生きものでも、内容は明らかに擬人化された日常性そのものである。夜の蛙の鳴き声を、一杯きこしめした笑い上戸の声と聞く。おたまじゃくしの頭をまだ仮分数のままとして、幼い頃の頭でっかちの友達のように見立てる。

山里の分校も本校もすっかり生徒が少なくなって、残った生徒はなんだか水母のように、薄暗い校舎をふわふわ泳いでいるようなさびしさ。お盆に亡き姉を迎える時も、あの姉には迎え火よりシンデレラのかぼちゃの馬車を用意した方がいいという。
 全体に童話的な明るさで、日常の心理や現実感、或いは追悼の想いまで網羅する。だが日常の心理は、明るさばかりでカバーし切れるものではない。

   春風や嫉妬は水と空気から
   けんかをしたり手をつないだり花野かな
   紅葉かつ散る再生にジェラシー
   仕舞い湯の柚子の弾力これ乳房

 鴛鴦夫婦にも修羅場はある。それを乗り越えてこそ絆は固まる。まして豊かな詩人的感情量を持ち合わせている作者に、いくつかの難所がなかったはずはあるまい。春風に紛れ込む嫉妬は、水と空気で出来ている。だから花野を行くにも、けんかをしたり手をつないだりしてふざける。紅葉が散っても再生する子不ルギーはジェラシーに勝るものなし。仕舞い湯の冬至風呂に入って、柚子の弾力に触れる乳房。晶子ではないが、いっそ力ある乳房を手に探らせようと思ったか思わなかったか。広島在住の千鶴子には、もちろん原爆や戦争への熱い思いがある。

   ひろしま忌影も喪服を着て歩く
   キノコ雲人・犬・みみず巻き上げて
   滂沱なる蝉時雨浴び再生す
   血と汗で産みし子に軍靴の響き
   七十年ぽっちの平和原爆忌

 最初の二句は、いわゆる原爆忌俳句としてよく見られる型だが、三句目となるとそこから再生を脉んでいる。そして四句目五句目になると、きな臭くなっている最近の情勢への危機感を訴える。このあたりの句の構成は、まことに肉感的で女性ならではの体感で迫るようだ。戦後七十年の平和も、まだ「七十年ぽっち」と切捨て、ここからが大事とばかり畳みかける。そして古希を迎えて境涯感をあらためて総括する。

   生涯は薄味でした花大根
   水引草破線の記憶のびていく
   まだ死ねぬまだまだ死なぬ冬薔薇
   まんげつの終着駅の海鼠かな

 七十年、一生懸命生きてきたように思っていても、顧みれば花大根のように薄味でした。そんな記憶は、水引草の花のように点々と破線になって連なる。とはいうものの、「まだ死ねぬまだまだ死なぬ」どっこい生きているフユソウビの私。そんな私の終着駅は、まんげつ(謎めいている)の中で海鼠のように蹲っていることでしょう。

 ここまで見通している人間像の前には、「いやはや」と脱帽するしかあるまい。時期を同じくして夫妻が、それぞれ自分自身の第一句集を出すことは、生涯の節目としてよい記念になるであろう。二人の句集は対照的なるが故に、読み比べてみると、かえって立体的に人間像が浮かび上がってきて面白い。平成二十九年三月

「恋のぶきぶき」を読んで   宮崎斗士

まず心惹かれるのは、千鶴子さんの実生活のスケッチ、その豊かさ、瑞々しさである。何げない一コマが千鶴子さんの詩心、遊び心にかかると、俄然輝きをもって伝わってくる。

  押しかける笑い上戸の夜の蛙
  わたくしに蝉になれよと蝉時雨
  鬼百合やひとり欠伸は手を添えず
  失言を土竜打ちして眠るかな
  歯科治療喉の金魚はおぼれけり
  夏星を挑発露天風呂のわたし
  揚げ油飛ぶやてんてんてんとてんと虫
  ふわふわとわたしにふえる毛糸玉
  鬱の字の出口を探すちちろかな

 こう言われてみると、確かに「鬱」という字、やっかいな迷路のように思えてくる。ちちろは無事、迷路を脱出できたのだろうか。

  かわせみの青に千回片思い

「千回片思い」の措辞が何ともパワフルで爽やか。千鶴子さんの朗らかなキャラクター、そのままの一句と思う。そんな日々にふと滲む「老い」「衰え」のエッセンス。

  菜の花や落としたきもの老いの面
  老いという甘えの脳に喝の秋
  脳に霧さんすうこくご濁りけり
  白髪にいっぱいの欲花すすき
  寒紅を引いて死に神やりすごす
  浮草やこの世のつづきも浮くつもり
  曲がる背を伸ばす努力や猫じゃらし

 ただ単に寂しさ、諦めというのではなく、「老い」と軽やかに戯れている様子が快い。「ま、いいか」と笑い飛ばす明るさが頼もしい。

  お互いが置き薬なり神無月

という安心感、安定感にたどりつく。読者としても、しみじみと頷ける。加えて、「母」としての佇まい、さまざまに溢れる思い。

  受胎して微熱のつづく春の森
  揺りかごの水玉もよう蝌蚪の紐
  子をあやす母は林檎の蜜なりき
  つまずいて母さんかあさん蝸牛
  ああやっと口遅き子の胡桃割れ
  葱坊主明日から母と別に寝る
  スカンポや息子は嫁に行きました
  蝉穴を覗けばまだある子ども部屋

と並べていくと、お子さんの成長日記、母子の繋がりの歴史がつぶさに伝わっててくる。
  七十年ぽっちの平和原爆忌
  日が昇り月がのぼりぬ爆心地
  影はまだ痛がっているヒロシマ忌
  血と汗で産みし子に軍靴の響き
といった、広島に住む者としてのあらためての感慨、祈り――。

  両頬に風船ガムガム殿様蛙
  ずいずいずっころばし十の蝉穴
  おはじきを三つはじいて水すまし
  留守番は大ひまわりの大目玉

など、わらべ歌のような天真爛漫さも千鶴子さんの持ち昧であろう。
(一部アップいたしました) 

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