2019年5月18日

句集『赤眼の腕』中内亮玄(なかうち・りょうげん)


中内亮玄(なかうち・りょうげん)略歴
金子兜太に師事 主宰誌「海程」同人
俳句結社「狼」同人 現代俳句協会会員
句文集「眠れぬ夜にひとりで読んでみろよ」
句集「青の麒麟騎士団」
随筆「兜太の遺伝子」


剥き出しの心臓である冬の汽車
車掌来て枯野を連れて行くように
黒縁の眼鏡に明朗なる大寒
別れ霜余震のテロップは無音
すれ違う人の傾き冬に入る
雪の夜は彼方の森が近くなる
桜散る僕らはまどろみの魚影
愛といいさくらしくしくと散らん
満開の空混み合うや花篝
桜とは無窮誰もが置いてきほり

関東平野は力任せに繁る波
喜雨少し十四五匹の青蛙
前衛は赤錆の匂い指太し
正しさとは抱きめること紅葉散る
月よ子が石は死なんくていいなと言ふ
木通爆ぜ行方不明の責任者
さぶざぶと稲穂の揺れて平和かな
遊行にて木比の白砂に雪が
枯菊は淫らで雪に覆われり
初身空あまりに晴れている空席
木枯らしや夜は手触りばかり密
家族かな風の置き場所を定め
春の陽に破裂の音を見つけたり
額あじさい必要最小限の空
痩せ犬の骨まで研がれ夏の月
手と足と平和の枯れて極暑かな
バナナ剥くよい子ばかりで赤面す
自尊して思う存分牛となる
すべて捨ててそしたら夜は舟でした
海はここから冬暴力の降り注ぐ
雪の日にマンデラが死んだテレビ消せ
冬の夜の円錐形を黙という
誰か死んで君だけ正しくなる三月
抵抗の気配わ濃くし山滴る
少しづつ毀れて紫陽花の夢精
殉教の坂足裏(あうら) より夕焼ける
魂は誰とも繋がれずに雨滴
雪風巻ただ棒読みの愛である
寒林や意識の隅々まで明かり
初明かり入れて家族という窓です
図書館は方舟のごと雲流
鼻水をすすって菜花まみれかな
 
 (管理人が選をしました)


青鬼の尻(小論集)

「俳諧哲学者 金子兜太」より抜粋

不安なる21世紀と最新句集『日常』

 現代(注・2012年現在)は、不穏な時代である。東西の冷戦が終結しすでに20年以上が経過したが、皮肉にも大国の歯止めの効かない状況下において、かえって人々は殺し合い憎しみ合っている。まるで分かりあうこと、許しあうこと、そして分けあうことに怯えるように。
 そんな中、金子兜太の第十四句集『日常』は、2009年、彼が満90歳にに刊行された。

  左義長や武器という武器焼いてしまえ  『日常』

 左義長は、どんど焼きなどの名でも知られる日本の伝統的な火祭りで、河原などに竹を円錐状匚組み上げて正月飾りや書初めなどを燃やす。この火で餅や団子を焼いて食べると健康になるともいわれている。
1月の薄暗い空の下、天にも届かんほどの神聖な炎を見上げれば、いくつになっても幼き日そのままの興奮がある。
神の炎のなかで、武器という武器はメラメラと音を立てて焼かれてしまえばいい。

  民主主義を輸出するとや目借時    『日常』

 この句は、2003年のイラク戦争をはじめとするPKOを思えば、やや説明が過ぎるかもしれない。うららかな春の日に、一方的な正義の押し付けが薄ら寒く感じる。冷戦終結後の紛争や内乱等によって命を落とした人間は、世界に30千万人を超えるとも言われている。誰もが、自分こそが正しいのだと拳を振り上げる。

  危し秋天報復論に自省乏し     『日常』

 だからこそ、掲句のように平和への想いが俳句の姿をとって表される。2001年のアメリカ同時多発テロ事件、それに対するアフガニスタンへの侵攻。イラク戦争、度重なる報復テロ。また、そもそも同時多発テロがアメリカへの報復だったと言い始めれば、恨みの螺旋は深く、きりがない。
高く澄み渡る秋空に、人類のというよりは一人ひとりの私自身の反省にまで思いは及ぶ。

 また、現代は経済的にも不安な時代である。「失われた十年」が「失われた二十年」へと改められようとしている昨今、環境問題をはじめ、年金、介護、医療保険、増税など
、次から次へと難問が押し寄せ、タイのバーツ下落やリーマンショックに代表されるように、ほんの一握りのヘッジファンドらが世界を動かし、私利私欲を全面肯定する自由主義が幅をきかせている。資本家はアダム・スミスらの期待した 共感力を失い、若者の非正規雇用者の割合は過去最高を更新し続けている。  
   
  うーうーと青年辛そう日向ぼこ    『日常』

 日向ぼこをしているのは、老いた自身だろうか。それとも青年には日向ぼこすら苦しそうなのか。辛そうな青年も、彼を見ている自分も一緒に唸っている。話す前に一寸唸りながら考えを言葉にまとめるのは 金子兜太の癖であるが、その実景とも重なり合って読者の中に映像を結ぶ。

   熊飢えたり柿がっがつと食うて撃たれ 『日常』

 先ほどの一方的な正義の輸出とも似通い、人類が神の代行のごとく自然を支配する方向に進んでいることへの危惧、生きものに対する憐れみと、利己的な社会に対する自省を促している。

 それは、和辻哲郎が『風土』において分類したヨーロッパ型の、つまり自然支配型の思想が世界へ蔓延するというような、インテリの憂いではない。ただ、熊と我との共感である。兜太のなかでは、すべてが他人事でない最後に、現代は不誠実な時代でもある。

 経済活動を優先させた戦後とは違い、「21世紀は心の時代」と言われていたのも束の間、3・11東日本大震災、その後の人災である原子力発電所の事故、セシウムの飛散を経験してなお、ルールを作りながら、自ら作ったルールに例外を設けるという暗愚。皆まで言わずとも、耐久年数を超えた福井県大飯原発の再稼動問題などについては、連日のマスコミ報道で明らかであろう。(注・1)

  薄氷の教師薄氷の母たち     『日常』

 これは、素直に読めば現代の教育界における教師や親の危うさを、「薄氷」と簡潔に表した句であろう。どちらも、もっと大人としての自覚を持だなければならないのは当然の存在である。

 ところが、この句の様相を実際に目撃するかのような出来事が起こった。2011年セ
シウム飛散事故後、グラウンドに為す術なく立ち尽くしている大人たちの光景である。単純に、教育の危機だけを表しているのではなく、もっと広く、それを取り巻く社会全体に対する警告のようだ。 ことが起こったときに、なんと力のない大人であることか。そして、人類であることか。

  湾曲し火傷し爆心地のマラソン    『金子兜太句集 』
    
 1958年の発表当時、前衛的と言われた金子兜太の作品が、今こそリアルに、眼前に迫ってくる。振り返れば、トラック島で本土と途絶されたなかを生き抜き、敗戦や捕虜を経験し、90歳を超えてなお胆管癌の手術に耐えた彼の生命力、生き様は、この生きにくい時代を生きていく私たちの、ひとつの指針となってくれるのではないだろうか。



 金子兜太は、俳句を通じて命そのものを発信し続け、同時に俳句が自身の生きる力となって湧き出しているが、その命の俳句の根底にあるものは、戦争体験に他ならないだろう。

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