2018年2月17日

句集『蒼穹のカンタービレ』 渡部陽子(わたぺ ようこ)


序文より  渡部陽子と炭大祗      金子兜太

波部陽子の生活姿勢は、率直且つ積極的である。純粋といいかえてもよく、求めて、意に決したことは、こだわりなく実行する。そして実現する。

 日本銀行に勤めていた二十九年のあいだに、同じ職場で出会った中村孝史の影響を受けて、俳句をはじめた。中村が所属する俳誌『海程』に投句して、私の選を受けるようにも
なったのだが、投句しはじめて間もなく、『海程』の大会席上で「かならず新人賞をとります」と宣言した。私は驚き呆れて、逆に注目したわけだが作品は気合が入りすぎて生硬。しかし現象にかまけず自分の内側を見つめてつくっているところが頼もしかった。空ら廻りにならないように助言をしてやってくれよ、と中村に電話をすると、この姦落な男はアハハと笑って、あの人はやりますよ、大丈夫ですよ、と太鼓判を押したのである。
やはり新人賞受賞にまではかなりの時間がかかった。それでも投句を止める気配はさらさらなく、結局受賞した。

 その渡部陽子の積極さに再び感心したのは、日本銀行をさっさと辞めて、宮城学院女子大学の日本文学科に入学したことだった。それもこの中年女性は、自分の娘のような学生といっしょになって入試を受けて合格したのである。同居の母親が高齢だからとか、仕事がきつくなってきたからとか、あれこれ理由はあげるが、根本は次の通りである。大学要覧に自分でこう書いていた。



「働きながら二十年間俳句を作ってきました。十七文字の中に自分の世界を表現できるおもしろさにはまっていくうちに、果てしない言葉の海に漕ぎ出してみたくなりました。そこで、専門的に日本文学を勉強しょうと決心。(後略)」と。

 求めにむかってすすむ純粋さといえる。すでに三年を経て、国語教材研究という授業で俳句の話をする機会まで与えられるようになっている。しかもライフワークとして炭大祗をやる、と書いているのを見て、私はますます嬉しくなった。蕪村とも親交のあった炭大祗。晩年は、大徳寺真珠庵を出て、島原の遊郭内に庵を結んでいた、この漂泊を噛み酒脱に生きた俳譜の痴れ者。この男に、これまたこの男からみれば娘のような女性がとびつくとは恐れ入った。

しかし恐れ入る必要はない。渡部陽子の「諧謔」の心性には端倪すべからざるものがあり、これが独特の感性を醸成しているのである。(真面目は諧謔の本)と、誰かの本から
承知して以来、私は確信しているわけだが、その見本がここにも一人
いた。たとえば、

  鮑かむ鼻が重たき孤独かな
  釣瓶落し瞳が青くこわれてゆく
  衣擦れに短日の思い出し笑い
  眠りぎわ枯草の一グラム燃ゆ
  黙という矩形をすべる祈りかな

「鼻が重たき孤独」などなどと、こんな形容や喩えは譜諺の心性なしには見当がつかない。そしてこれが抒情と溶け合って、次のような爽やかな情感の世界を伝えてもくれるのである。

  母の老い海苔焙るよう青みたり
  敷き藁に雨降るように秋の蝉
  森深く黒髪切られ目覚めたり
  鈴虫の止みて電球の高さかな
  白玉や些事のごとくに母の愛

戯け気味に優しさが港む。「愛」という言葉がこの人にはピッタリとまで感じて、これが自分に向かってもー途に注がれていると肯く。

かきつばた強い筆圧わたしです
逢いし身をきりきり洗えほととぎす
魚群曲り切るを入魂というべし

炭大祗が言うかもしれない。「へえ、なんだか嬉しい女子(おなご)が出てきたぜ。たまにあ面白えこともあるもんだ」


   平成十六 (二〇〇四)年正月  熊猫荘にて

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