2018年2月18日

句集『離氷』 宮川としを


著者略歴 
 昭和8年12月3日 旧樺太(サハリン)生まれ
 北海道砂川出身
 昭和34年、園一勢実兄)の勧めで「氷原地帯」入会。細谷源二に師事。
 36年同人。「氷原帯」賞。
 昭和39年、金子兜太に師事。「海程」同人
 現代俳句協会会員、多摩地区現代俳句協会参与
 「海程」「粒」「銅」同人 「俳句交信」主宰
 読売・日本テレビ文化センター講師 
 大宮・八王子「現代俳句」入門・lリラックス俳句講座講師

 職業
 
 作詞・作曲家
 (社)日本音楽著作権権協会正会員 
 全日本音楽著作家協会常任理事
 日本詩人連盟副会長
 (社)日本作曲家協会会員
 昭和49年 第七回古賀政男賞グランプリ受賞
 

序に代えて <暗い哀しみの情念>  安西 篤  (抜粋)

 宮川の生地は、旧日本領樺太の知取町(現マカロフ)という。場所はちょうど南サハリン中央の東海岸。長靴形の地形のやや細くなったふくらはぎ部分にあたる。一家の引き揚げは昭和二十二年というから、旧ソ連軍占領下の過酷な戦後の二年を体験している。

八月十五日の終戦後もソ連軍は千島占領を完了するまで軍事行動を停止せず、その後の戦後処理においても労働力確保のために在留邦人の引き上げを差止めた。そこから多くの悲劇が生まれている。初期の作品に次ぎのようなものがある。

   霊柩焼く無口な霧をしたがえて
   海追われるとき顔忘れてきた棒鱈
   踏み消されてからは吸殻も木枯しの仲間

 少年の体にまとわり霧の感触と海辺の自然は、今原風景に刷り込まれているに違いない。
しかもそれは二度と帰らぬ故郷であり、そこから追われた悲劇の体験でもあった。宮川俳句を貫く暗い哀しみの情念は、この原風景と原体験によるものかも知れない。


   洗髪の母撒きちらす青いナイフ
   薄氷砕く拳の中の母の眠り
   素足で消す母の背中の遠い火事
   霧はとぎ汁母の小言が流れ着く 
 
 平成七年、富山の海程全国大会で発表したこの句は、兜太特選賞を受賞したものだが二十年余の歳月にさらされかっての原体験は原風景の中に置かれ母への素直な心情へと転じている。

   秋雨呼び母呼ぶうちわ太鼓かな
   老母逝く天の一波地の一波
   重箱の匂いの果ての母の骨
   いまも湖底デ曲がり続ける父のレール
   霧撲てば父の怒りがはねかえる
   父が貼りつく厨の天井烏賊のぬた

 宮川の身辺や親しい人達の訃報が相次いだのか、具体的には明記していないが人の死に関わる作品が多い。

   兄の新盆やんわり効いてきたジャブ
   寒鰤ぶち切る訃報もろともに
   佛壇にずがずかと冬夕焼け
   黄落をどこまで行けば喪の出口
   駅弁を棺のように持つ老人

 これらの句には哀悼というより、死の事実を理不尽なものとして受け入難いとする宮川の怒りのようなものを感じる。このような生活の中の心情を、宮川は次第に率直に表現するようになってきている。

   検察のようにまた誕生日の気配
   夢芝居という巻紙の端に挫す
   秋刀魚のしっぽはわが経歴のそれだな


   ダイヤモンドダストいま誰かの臨終

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