2019年7月18日

句集『狐に礼』 三井絹枝




 三井絹枝さんが7月初めに亡くなったと知らせがありました。
 寒沢川にもご一緒に旅をしました。
 いつも、恥ずかしそうにしていた三井さん、
 柔らかい語るような表現に魅了されました。
 お悔やみ申し上げます


      自選10句

   小春日が流れてきます汲んでおこう

   月光と降る羽衣よわたしはだか

   蚊に刺され小さな水黽(あめんぼ)できました

   泪のよう大切にされ糸とんぼ

   すまないなあ冬菜のような涙出る

   あきらめのひゅう葡萄の木の匂う

   この川や夜の牡丹雪釣れます

   蝶老ゆるようすべらかな抱擁

   寒沢川(さぶさわがわ)夏一番星みつけた  

   狐に礼しみじみ顔のゆがみけり

著者略歴  三井絹枝(みつい・きぬえ)

1947年 長野県上諏訪に生まれ、三歳から東京に
1994年勝村茂美主宰「風景」を経て、「海程」入会、金子兜太に師事 
1996年 海程新人賞候補となり、同人に推挙される
2000年 海程例会大賞受賞
2005年 海程会賞受賞
現在 「海程」同人 「遊牧」同人
現代俳句協会会員

ありのまま―序に代えて    金子兜太

 三井絹枝の俳句を読むときに味わう私の新鮮な気分をおもうと、序文などは野暮とまでおもえてしまう。次のような俳句は、日常の栄養補助剤のようにときどき口遊んでいる。いまさら何んの序文ぞや。

  小春日が流れてきます汲んでおこう
  月光と降る羽衣よわたしはだか
  諦めのひゅう葡萄の木の匂う
  川とんぼ私のおなかに耳をあて
  晩冬や母さんという流れ者

 ウイットがあり諧謔がある。諧謔といえば、私好みともいえるとびきり楽しい句もあった。
  ありもしない花袋の蒲団干しにけり
  かけがえのない智恵子と布団にもぐりけり

 第一句は、言うまでもなく、田山花袋の出世作『蒲団』を踏まえた作。二句目は高村光太郎夫人のことで、この句のそばには安達太良山での作とおもえる句もあるので、そう確信する。どっちも蒲団(布団)なのがなんともほほえましい。

 ウイットと諧謔のなかからにじみでてくる淡い哀感とともにある、これも淡 いエロティシズムが、私の体に泌みてくる。左様、沁みてきて、この人はありのままに俳句を書いている人なんだとおもう。自然体と言おうか、だから生理のままに感応がはたらき、言葉が生れているのだ、とも。
 淡い、といま言った。次のような句があり、この句集には淡雪の句もいくつかある

  淡雪は古風ですねえ 先生

 曲りなりにも「先生」と呼ばれている私は、はあーそうですかねェ、と首を傾げている。この人の作品のなかでは、淡雪は決して古風な感触では扱われていないし、この人自身を古風などとはとてもいえない。心情は地味で静かとおもう。しかし俳句はまさに現代。よい意味でのモダニズムといいたい。

 だから、俳句の良きモダニズムに敏感な俳人の評価は、たとえば次のようなぐあいである。「この人はかなり生理的なかたちを持ってい」る。「心情が生み出す体感覚みたいなものがあ」る(森田緑郎)。「言葉の発語感というものが殆ど彼女自身の生理感覚で決め」られている。「彼女得意のオノマトぺっていうものがあるわけ」だが、「それが既存の言葉のコードっていうものをかなり柔軟に広げていくところがある」(安西篤)。

 私流に付け加えれば、乾いた空気のなかで、いつもなんとなく不安な現代生活者にとって、三井絹枝の、淡く哀しく、どこかエロティックな俳句は、生生しく且つ初初しい。この生生しさ初初しさは「体感覚」とか「生理感覚」とか言われるものが、そのまま極く自然に書きとめられるところに生れるわけなのだが、しかも、と私は言い加えたい。それは、この人生得といえるアニミズムにあるということ。だから初初しさ生生しさは、私流の言い方だが、(生きもの感覚〉として働いていると言いたいのである。まさに良質のモダニズムなりとも。

 こうした魅力的な俳句をつくる俳人の日常環境はどうなのか。「海程会賞」という自身の所属する俳誌仲間から贈られた作品賞への受賞感想のなかで、こう書いていた。
 「若い頃、私の仕事はゆうゆうと広がる空のようにおさな子と眠ることでした」「私は主人に恵まれ、子供達に恵まれ、こうして俳句のよき仲間にも恵まれて、本当に不思議な気持です」。そして、その夫君の整形外科医としての仕事への理解もすすんでいる自分を喜ぶ。こうしたありのままの人のありのままの句集がここにある。
           平成十八(二〇〇六)年八月、熊猫荘にて。



  

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