2019年6月15日

金子兜太 自筆100句

入院中食欲があったんですね
蛭田有一氏写真提供

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2019年6月6日

1『金子兜太戦後俳句日記』

写真は蛭田有一氏提供

『金子兜太戦後俳句日記』をアップします。
著作権者の、金子真土氏に了解を得ています。


昭和32年1月2日(水)雨 (昭和37年1月から記録されています。)
奥田こうきの遺した俳句を五十句選び、「奥田こうきの手紙」十九枚を書く。

1月5日(土)晴
夜、七兎と女の子。それから六林男、林徹子来る。「現代俳句」を楠本の手で再刊するとか。波郷が顧問。とか。

1月7日(月)曇
休む。岡井隆の歌集「斉唱」の書評を書くが、どうも意に満たない。短いものなのに書けぬとは残念。清潔な、ややアカデミックな歌。観念について! !‥

1月9日(水)睛
「行友」で少年の書評をしてくれる。中島斌雄が「俳句」で小生の句について晝いてくれる。双方共に好意的。

1月12日(土)晴
岡井隆「斉唱」の書評七枚を日本短歌社に送る。午後 後の二枚を追い込みで書く。急に今までつまっていたのが書ける。

1月18日(金)晴
三鬼より電話、造型についての続編を押しっけられる。仕方なく承知。慎重にやりたいのだが。

1月20日(日)晴
京都の寒雷句会へ呼ばれる。西洋軒の二階で、約25名集って句会、それから来々軒で支那料理の馳走にあずかる。気持のよい人達。小島両人さんと一緒に帰る。俳句を何故作るんですかと永井直也からきかれる。当面これしかないから。と答える。アイマイなもんだ。しかし何故小説を書くのかと問われても同じようなものだろう。偶然の結合という要素が強い。

1月27日(日)晴
原稿書きもむなし。山崎房人さん午後集り、造型について語る。夕方、小田保君来り、ウィスキーを飮む。午前中、日野草城一周忌に、六林男から一緒にゆかないかと電話。堀葦男訪問をかねようというわけ。原稿のためことわる。手紙を草城宅あてに出す。

1月29日(火)晴
休む。「俳句」誌に「俳句の造型について(続)を書く。一挙に完成。二十枚。夕方速達で送る。航空便で明日は午前中、東京に着く。


2019年6月5日

句集『共鳴り』小野 功



著者略歴
1939年10月14日(昭和14年)千葉県野田市生まれ
2009年 NHK学園「初めての俳句講座受講、「俳句実作講座受講
2011年 読売文化センター柏俳句教室にて、塩野谷仁氏に師事
     現代俳句協会会員
2012年 「遊牧」同人
2014年 千葉県現代俳句協会幹事
2016年 千葉県俳句作家協会会員

自選12句
懐の刃磨いて雲の峰
十六夜に男階段踏み外す
白さざんか指の先から冷めてくる
潮けむり室戸岬の春慈光
風車まわり過ぎれば嫌われる
しばらくは等身大の春に座す
荷風ならきっと手にしたこぼれ萩
墨染の冬の結界永平寺
共鳴りの滅ぶことなき寒北斗
春愁の阿修羅眉間にある敵意
盟友は今も盟友沈丁花
菜の花のてっぺんを摘み不眠症

意思の人・序に代えて 塩野谷 仁
 
小野功さんの初期の句に、

  懐の刃磨いて雲の峰

があり、私か小野功さんに注目したきっかけになった作品と思われる。「懐の刃」を磨くとは自分の内部世界に踏み入ることでもあり、本格的に俳句の世界と立ち向かう意思の現れと思われたからでもある。たしか、私か講師を務めている柏カルチャーセンターに出された作品で、小野さんとの最初の出会いの頃と思われる。
仄聞によれば、小野さんが俳句を始められたのは停年退職後で、六十六歳。NHKの「俳句実作講座」の後、二年程して前記の「柏カルチャーセンター」にて出会ったことになる。その頃の作品はどちらかというと日常吟に近いものが多い。少しく挙げれば、

  まず妣に供える初の衣被
  坪庭の主賓席には曼珠沙華
  幾たびも椅子を移して日向ぼこ
  この先は遠慮されたし冬薔薇
  平凡な一日は暮れ根深汁

句集『水脈のかたち』黒澤雅代(くろさわ・まさよ)


著者略歴・黒澤雅代(くろさわ・まさよ)
1940年(昭和15年)東京生まれ
1998年(平成10年)カルチャースクール俳句講座受講
2002年(平成14年)「遊牧」同人
2015年(平成27年)カルチャースクール退会
遊牧」同人・現代俳句協会会員・千葉俳句作家協会会員
 
自 選 十 句

十月の赤牛閂はいらぬ

やわらかき銃弾であり冬鷆

安房上総麦が熟れるどいう日なり

麦秋の肩の重さを午後という

のうまくさんまんだ晩秋に梵字

墨痕に烈しさ一枚は秋思

日の暮れは木の実に戻る木の実独楽

父性とは梟の鳴く距離であり

水鳥の飛んできそうな日暮の部屋

オリオンの加わっている指定席


序に代えて
「直感」と「喩」のことなど     塩野谷 仁
                           
  十 月 の 赤 牛 閂 は い ら ぬ
 掲句は、初出は平成十二年、「遊牧」十二月号。覚束ない記憶によれば、平成十二年十月の「遊牧佐久吟行」の折りに作られた作品。
掲出句は、「神津牧場」での即吟だった。「神津牧場」と言えば、日本で最初の洋式牧場として知られたところで、広い山の中腹を利用して牛や山羊などを放牧していた。「閂はいらぬ」は従って実感そのもので、その夜の句会で最高点を集めたのも必然のことであった。

 黒澤雅代さんは思うに、「直感の人」である。「直感」が鋭いから吟行会ではいつも参会者の注目を浴びる作品を頻出させる。この句集からざっと主な作品を抽出すると、以下のような作品と出遭う。

  やわらかき銃弾であり冬鶸
  遅ざくら対岸までは火を焚いて
  桜からさくら銀閣寺は夢の奥
  余所事に見し炎天の千枚田
  単純なことから滅ぶ蓖麻(ひま)に種
  安房上総麦が熟れるという日なり
  アルカイックスマイル夏の空気感
  のうまくさんまんだ晩秋に梵字
  墨痕に烈しさ一枚は秋思
  密室のよう秩父晴れやかな濃霧
 

2019年5月28日

2019年3月1日

節分草と句碑と


節分草は、キンポウゲ科セツブンソウ属の多年草です。
白色で径2センチから2.5センチ位の可憐な花です。
小さすぎて撮りづらい。
望遠で背景を入れて撮ってみましたが難しかった。
場所は埼玉県小鹿野町両神小森堂上です。
今が一番、花の状態がよいでしょう。

撮影の帰りに皆野町に出て長瀞方面へ、金子先生の実家の
金子医院の前を通るので、句碑見たさに寄ることにしました。
去年の暮れに甥の桃刀(ももと)氏が建てました。
兜太先生、桃刀(ももと)さん、真土(まつち)さん、みんな名前が
変わっていますね。先生の父上の伊昔紅さんの命名とか。
今で言う"キラキラネーム"の先駆けです。

句碑は庭にあった石に彫ったそうです。
先生のエッセーを読むと、病いを見て貰った患者が御礼に石を
届けたとか、庭に秩父の緑泥片岩と思われる石がいくつも
据えられていました。





2019年2月25日

金子兜太戦後俳句日記

 
白水社 定価9000+税
解説「兜太の戦争体験」 長谷川 櫂

 金子兜太は61年間、ほぼ毎日、日記をつけていた。逝去後、18冊の3年日記と8冊の単年日記、計26冊の日記帳が遺された。
この『金子兜太戦後俳句日記』全三巻は日記原本を俳句関係の記述を中心に約三分の一にまとめたものである。

一人の俳人の壮年時代から老年期をへて殼晩年にまで及ぶ壮大な記録である。兜太の『日記』は日本の日記文学の血脈に連なるものだが、注目すべきは61年という長きにわたっていることである。

 日記の書かれた時代は戦後の昭和と平成、二つの時代にまたがる。そして昭和を生きた兜太と平成を生きた兜太は明らかに印象が異なる。単に年齢を重ねただけのものではない。

 まず「昭和の兜太」は社会性俳句と前衛俳句の旗手であった。この二つはしばしば重なるが、社会性俳句は俳句の対象の問題、前衛俳句は俳句の方法の問題である。どちらも戦後、解放されたマルキシズム(マルクス主義)に煽られて俳句の世界にたちまち燃え広がった。

 日記のはじまる1957年(昭和32年)といえば第二次世界大戦の終結から十二年、世界中が自由主義陣営と社会・共産主義陣営の東西冷戦の渦中にあった。日本国内ではそれを反映して、自民党と社会党を左右両極とした対決が思想・政治・経済だけでなくあらゆる分野で展開していた。いわゆる60年安保闘争が沸き起こるのはその3年後である。この左右対決の構図はすべての日本人を巻き込んだ。兜太も例外ではなかった。むしろもっとも強烈なあおりを受けた一人とみるべきだろう。

 これに対して「平成の兜太」は長寿時代の長生きのお手本、いわば老人たちのアイドルになった。冷戦の終結によって世界も日本も政治的なイデオロギー対立からグローバルな経済競争の時代に入る。

2019年2月22日

映画「天地悠々 兜太・俳句の一本道」上映と兜太を語る会



2回目:2019年4月17日(水) 14:00〜16:30
文京シビックセンター 小ホール
文京区春日1‒16‒21
ゲスト:下重暁子(作家・評論家)

3回目:2019年5月29日(水) 14:00〜16:30
文京シビックセンター 小ホール
文京区春日1‒16‒21
ゲスト:細谷亮太(聖路加国際病院 小児科医・俳人)

入場料:当日2000円(前売り1800円)
*現代俳句協会会員の皆様への特別チケット(1500円)を用意しております。お名前、希望日、枚数を明記の上、はがきまたはファックスにて現代俳句協会へお申込み下さい。チケットと郵便局の払込取扱票をお送り致します。なお、チケットのご送付は2月の半ば以降になる予定です。
現代俳句協会

2019年2月21日

句集「現在」我妻 民雄(わがつま たみお)


我妻民雄(わがつま たみお)略歴
昭和十七年 東京都台東区根岸生まれ
同 四十年 早稲田大学卒業
 大正製薬㈱に入社。在職二十年、広報・宣伝制作に携わる。JARO・    CL10の広告審査委員
現在小熊座同人、現代俳句協会年鑑部
第七回佐藤鬼房奨励賞 第九回小熊座賞
神田川連句会・連句集『午餐』(岡部桂一郎・松井青堂らと共著)
第一句集『余雪』

高野ムツオ十五句選

遥かとは雪来るまへの嶽の色
白雲に秉るべく蕪土を出る
西は被爆東は被曝赤とんぼ
茅花流し人類だけが嘘をつく
墨堤やいまも昔の都鳥
空爆の空につながり冬茜
その上は犇く星座鳥雲に
海からは上がれぬ形して海月
地上から照らされてゐる鰯雲
風花を待つ出稼の裔として
花片の間(あひ)あひに闇石蕗の花
住まふ屋根住まはぬ屋根や春の月
学校に生まれては死ぬ蝉の声
苦瓜に百の涙状突起あり
終着のつぎは始発や雪催
      

「現在」 我妻竹雄
夏の雪
きな臭しまた惨たらし三月来
眼ぢからのついて蜻蛉生まれたる
空支へたる噴水の脱力す
ただれる前の太陽とかなぶんぶん
 悼 田中哲也
榠樝の実おとがひ細く人は逝く
西山の下で芋殻乾しをらむ
冬夕焼ゆめは数瞬あれば足る

列島は撓んで受ける蒙古風
我妻氏とは、小熊座で出会いました。
最初、海程とは違う詠みぶりに戸惑ったが、実感したことを修飾せず淡々と記す句に惹かれるようになった。言葉に力を掛けず感じたままが実に上手い。この句は中七の「撓んで受ける」が日本の姿そのものを彷彿させ宇宙的な偏西風を感じました。(竹丸の勝手1句鑑賞)

句集『聊楽』董 振華(とう しんか)


帯より  金子兜太

春暁の火車洛陽を響かせり        董 振華

 董振華の作品は土地土地の風物を題材として取り入れ、そこで感応し思惟したことを書き込んでゆく、若い感性は、活気とともに多感旅愁にとらわれることも多く、それに逆らわず表現している。
 
著者略歴
中国北京出身、別名櫻井尚史。北京第二外国語学院アジアアフリカ学部日本語学科卒業後、中国日本友好協会に就職。中国日本友好協会理事、中国漢俳学会副秘書長等を歴任。早稲田大学大学院アジア太平洋研究科国際関係修士、東京農業大学大学院農業経済学博士。平成八年慶應義塾大学留学中、金子兜太先生に師事して俳句を学び始める。平成十年「海程」同人。[海程]終刊後、後継誌「海原」同人。日本中国文化交流協会会員、現代俳句協会会員、中日詩歌比較研究会会員。俳句集『揺籃』『年軽的足跡』『出雲駅站』等
随筆『弦歌月舞』。訳書『中国的地震予報』(合訳)、『金子兜太俳句選訳』『墨魚的蛍光灯』、映画脚本、漫画等多数。

平成28年 金子先生宅にて

序  金子 兜太 私の好きな句のいくつかを記しておく。

春暁の火車洛陽を響かせり
微夢半醒の華北平原火車通過
春耕や郷思の影に月の光(かげ)
葉桜となりなお急ぎ足となり
皆既日蝕から日常へ黙契とは
万里の長城でんでん虫振り向いた
仮設住宅の放送聞こゆカナカナカナ
盆の月峠越えれば寝るとする
明月を独り占めして対飲す
朝日燻り夕日燻らせ秋分日誌
初冬の独り居という一行詩
如月の月影少年の猫背来る
 

2019年2月19日

埼玉県皆野町・壷春堂医院に金子兜太句碑



 おおかみを龍神(りゅうかみ)と呼ぶ山の民  金子兜太
2018年12月16日建立

金子兜太さんの句碑建立を喜ぶ、おいの桃刀さん(左)と長男の眞土さん=皆野町で
 二月に九十八歳で亡くなった俳人金子兜太さんの生家である皆野町の「壺春堂(こしゅんどう)金子医院」の庭に、金子さんの句碑が建立された。十六日に除幕式があり、現院長で碑を建てた金子さんのおい・桃刀(ももと)さんや金子さんの長男・眞土(まつち)さんら関係者約四十人がお披露目を祝った。生家に碑が建てられたのは初めてという。

平成13年刊句集「東国抄」Ⅵ   狼の句が20句あります

暁暗を猪(しし)やおおかみが通る
おおかみが蚕飼いの村を歩いていた
狼に目合(まぐあい)の家人声(ひとごえ)
おおかみに螢が一つ付いていた
おおかみを龍神(りゅうかみ)と呼ぶ山の民
龍神の両神山に白露かな
龍神の走れば露の玉走る
木枯に両神山(りょうかみ)の背の青さ増す
龍神の障(さえ)の神訪う初景色
龍神に福寿草咲く山襞(やまひだ)あり
狼に転がり墜ちた岩の音
狼生く無時間を生きて咆哮
山鳴りに唸りを合わせ狼生く
山鳴りときに狼そのものであつた
月光に赤裸裸な狼と出会う
山陰(やまかげ)に狼の群れ明くある
狼の往き来檀(まゆみ)の木のあたり
狼墜つ落下速度は測り知れぬ
狼や緑泥片岩に亡骸(なきがら)
ニホンオオカミ山頂を行く灰白なり



2019年2月18日

こんばんわ

管理人の竹丸です。
海程同人たちの句集を別のサイトに移動しましたが
金子兜太アーカイブに戻しました。
先生が亡くなって、ぼうっとし意欲がわかず
このサイトも投げやりでしたが、先輩たちは
句集を出し俳句に燃えています。
愚図ってばかりの竹丸も頂いた句集をアップし
しっかりと期待に応えたいと思います。
みなさん、よろしくお願いします。
秩父宝登山の臘梅は満開なっていました。



句集「夢祝い」 塩野谷 仁(しおのや じん)



自選20句

人麻呂の乗り込んでくる宝船
遠野へ行きだし竹馬で行きたし
水底にとどく星ある寒の入り
如月という真っ直ぐな夜の木々
後の世に辻もしあらば風船売
花過ぎのみずを掬えば水に闇
鶏小屋のいくつ亡びし麦の秋
竹皮を脱ぐ沼見えるさびしさに
緑蔭という大いなる本籍地
どの木にも生年月日ありて夏至
金輪際海月さびしきとき泛ぶ
また一人影を探しにくる夏野
短夜のどの扉開ければ白孔雀
シースルーエレベーター全速晩夏
蜻蛉より遠いところを日暮とす
帰る道あるさびしさの真葛原
星月夜きっとあふれる沼がある
いつもどこか日暮の地球鳥渡る
たしかなる霧となるまで霧歩く
屯の玉海の色否雌伏の色

また一人影を探しにくる夏野

 塩野谷氏は初心の頃から随分とお世話になり指導して頂きました。この句集に流れるものは心情の濃さであるが柔らかく抑えた書き方がより句を高めていると思いました。夏野の荒々しさはご自分の心情でもあるが中七の「また一人影を探しに」という言葉によって孤独感が表現されていて好きな句でした。
(竹丸の1句鑑賞)

2019年2月15日

句集「月の呟き」 茂里美絵



著者略歴
1936年7月2日(昭和H年)東京都杉並区生まれ
1985年「風涛」(原子公平主宰)参加のち同人
1993年「海程」(金子兜太主宰)参加のち同人
1996年 海程新人賞受賞
1999年「遊牧」(塩野谷仁代表)創刊・2号より参加
2002年「風濤」退会
2010年 海程会賞受賞
2014年「拓」(前川弘明代表)参加
2015年 海程賞受賞
2016年「拓」終刊により退会
句集「海程新鋭集lV」
共著「現代俳句を歩く」「現代俳句を探る」

自選句

夜の新樹葉っぱそれぞれが個室
子馬らの群れて羽音のすこしある
自鳥帰るまひるの傷のように水
夢想とは自木蓮のゆっくり散る
低く来る蝶よひんやりと未來
草いきれ皮膚は牢のようでもあり
耳鳴りのたとえば秋の灯の波紋
一字一字夕ひぐらしの声かな
火口湖に降る銀漢の水こだま
セーター脱ぐ岸辺に鳥放つごと
人恋うる一瞬昏き昼の火事
蓮ひらくまひるの寝室のようなり

序に代えて         金子 兜太

                       
本音とは昏き水なり石蕗の花          茂里美絵

 本音なんていうものは暗い水の流れか水の溜まり、明るくない、そんな感じで、案外おかしなもんかも知れん、嘘なのかも知れんと。こういうふうに、本音ってものを素直に受け取らないところが茂里さんらしい。
だから感覚や気分と合わせて石蕗の花を受け取る必要はないんだね。これは傍に石蕗の花が咲いていたと。そこで彼女がそう思ったというくらいのことでいいんだ。そこに面白昧がありますね。人間っていう生き物の、ある日ある時の気持という、そういうものを俳句は捕らえ易い。理屈は無い。ある日ある時の気持を、感覚を働かしてスカツと書いた、と
いう句ですね。

2019年2月14日

句集「月球儀」山本 掌(やまもと しょう)


山本 掌(やまもと しょう)
前橋生まれ オペラ、フランス歌曲の演奏活動。
1989年   俳人金子兜太と出会い、俳句を始める。「海程」入会。
1994-2000年金子兜太句、自作によるオリジナル俳句歌曲を花唱風弦〉と題し、世界詩人会議日本大会など各地で公演。
1996年  「海程」同人
2001年一  芭蕉「おくのほそ道」を舞台作品として企画、構成、脚色する。「芭蕉座」と命名し、声楽、作曲、ピアノと語りによるくうたい語る[おくのほそ道])を公演。
2005-2007年「萩原朔太郎生誕120年」前橋文学館委員。
2006年一  個人誌「月球儀」を編集、発行。
2010年   芸術文化奨励賞(企業メセナ群馬)を受賞。

帯・皆川博子
御作、好きです。選びぬかれた表現も、その身にあるのも。

金子兜太
非常に奇妙な現実執着者、奇妙に意地悪い洞察者というか、
どこかひねくれたと思えるほどにその美意識は常識とは違っている。
混沌をみとどけていこうとする作者である。

目次
月球儀・ノスタルヂアー荻原朔太郎撮影写真
さくら異聞・双の掌・禽獣図譜・危うきは・偽家族日乗・非在の蝶・蝶を曳く・海馬より
空蝉忌・寒牡丹・寒牡丹ふたたび・俳句から詩へ

ノスタルヂアー朔太郎撮影写真

麦の秋破れし海図の少年期
影なくす唇(くち)に秋蝶触れてより
翼たためる馬かいまみし葡萄の木
霧といて霧を耕し霧となる
忌日まで草の結界泳ぎゆく
霧を裂きゆく言の葉を一花(いちげ)とし
翼たためる馬かいまみし葡萄の木

勝手に竹丸鑑賞
翼たためる馬かいまみし葡萄の木
 この句は牧場を駆けた馬がしずかに静かに草を食んでいる風景かも知れないが上句によってつややかで天まで駆けそうな美しい姿態が浮かびます。下五の配置によってヨーロッパ的な景が美しく感じられ、好きな句でした。


2019年2月12日

「高木一惠句集」



帯・宇多喜代子
金子兜太から高木一恵に渡されたく日の夕べ天空を去る一狐かな>は、
定住の意志と千里万里を飛ぶ漂泊の自在、加えて「日常で書く」と
いう師弟に通う思想をよく伝えており、この句集を支える強い根太と
なっている。高木一恵の誠実で勤勉な俳句人生への至上の褒美であり
鼓舞であろう。

[自選十二句] 『榧の舟』より

啓蟄や川から畑へ水運ぶ

国生みの矛にもぐらの春の土

みちのくの沈みきれない紙の雛

余震なほ倒木が抱く蝌蚪の水

さよならの無くて薔薇より濃き別れ

夜の噴水菩薩と見しは気の迷ひ

鰹一本ノーネクタイの背広で来

特攻花ゴルフボールを隠しけり

古りしわが五体百態ねむの花

柞紅葉まとひ鬼の子秩父の子

美しい卵が二つ冬の家

定住漂泊おぼろ狐の尾の千切れ

2019年2月11日

「金子兜太写真」蛭田有一氏提供

蛭田有一オフィシャルサイト(蛭田氏から金子兜太写真を提供)
                  http://www.ne.jp/asahi/hiruta/photo/
朝の立禅の兜太先生
鬼籍の人たち120人以上の名前を称え最後は父、母、妻、犬猫で終えました

朝の体操
新幹線で東京まで行ってました

海程句会で選句中の先生
広島原爆ドームにて

2019年2月10日

句集 「星狩」 清水 伶 (しみず れい)


著者略歴
1948年、岡山県生まれ。「朝」「海程」同人を経て、1999年、同人誌「遊牧」(代表・塩野谷仁)に参加、現在に至るっ現代俳句協会会員1千葉県現代俳句協会幹事。千葉県俳句作家協会会員。千葉日報・日報俳壇選者。
   
  「遊牧」同人の清水伶さんが第二句集『星狩』を上木された(平成29年3月31日、本阿弥書店)。序文は塩野谷仁「遊牧」代表で、多くの佳句を挙げながら、清水さんを「硬質の叙情」の俳人だと賞賛している。
 彼女自身の目指すところは「私の興味は書かれている句意が鮮明で、現実的な細部が感覚という、全体の多義性を深めた俳句を書きたいと願っている」とある。

第73回現代俳句協会賞受賞「星狩」50句   清水 


膕(ひかがみ)の昏きところを夏の緤
父の日の大笑面に逢いにゆく
幾万の蝶を翔たせて夏の空
昼銀河歩きはじめに羅生門
冬の鵙そっと点りて人体図
抽斗のなか紅梅の坂がある
初蝶は真夜にはぐれた花骨牌(はなかるた)
椿闇まぶたあるもの横切れる
胎生の無数の濁り白もくれん
深層の水買いにゆく夕さくら

2019年2月3日

金子先生の1周忌です

写真に献杯

今年は亥年なのでこの色紙を頂きました



金子家のみなさん
ご詠歌が歌われました
墓参り
先生を偲び秩父音頭を踊りました。

2019年2月1日

金子兜太戦後俳句日記・予約をどうぞ


(第一巻 一九五七年~一九七六年)
出版年月日 2019/02/20
判型・ページ数 A5・450ページ
定価 本体9,000円+税(全三巻)

61年間書き綴られた戦後俳壇の超一級資料
知的野性と繊細な感性が交差する句作の背景

戦後俳壇の第一人者が、61年にわたり書き
綴った日記をついに刊行。
赤裸々に描かれる句作の舞台裏。知的野性と
繊細な感性が交差する瞬間。

https://www.hakusuisha.co.jp/book/b432180.html

2019年1月17日

竹丸写真日記でお待ちしています.

福島県滝川渓谷で撮りました。オレンジ色に氷が輝きました

感動とは何か??。
表現について金子先生に教えて頂いたことを書いて見ました。
風景写真に於いても他者に学ぶを通りこして人真似の写真が溢れています。
では、どうやって脱却するか。
それは「感の高揚」を大事にして感動力を高めることで表現は自分のものとなります。この教えを肝に命じて大事にしてゆきたいと思います。

竹丸写真日記
https://syadanyakusi.blogspot.com/2019/01/blog-post_10.html







2019年1月10日

「剛き意志」心に刻み 皆野中に金子兜太さん



  皆野町出身の俳人、故金子兜太さんが作詞した校歌を持つ町立皆野中学校で8日、校歌を基につくられた「校訓」の碑の除幕式があった。碑は、同校卒業生の女性会社経営者が寄贈。全校生徒約230人は校歌を歌い、校訓を胸に刻みつつ、未来に羽ばたいていくことを誓った。 (出来田敬司)

 碑は幅一メートル、高さ九十五センチで根府川石製。既に設置されている校歌の石碑の隣に据えられた。校訓は「剛(たけ)き意志 深き愛 自由の胸 純なるこころ」で、金子さんが一九七〇年に作詞した校歌の一節から新井孝彦校長(59)が抜粋して作成した。

 碑は、同校の卒業生で精密板金会社「二ノ宮製作所」社長の二ノ宮紀子さん(53)が、取引先の埼玉りそな銀行の協力を得て贈った。二ノ宮さんは同校の評議員を務めていて「町民みんなの学舎の皆野中にプレゼントをし、町全体に貢献したいと考えた」と話した。

 金子さんが同校の依頼に応じ、校歌の作詞をしたのは五十一歳の時。美の山や両神、武甲など秩父各地の地名を盛り込み、地域や先祖への感謝の気持ちを伝える内容とした。新井校長は、昨年二月に九十八歳で亡くなった郷里の偉人をしのび、同年四月に校訓をつくった。

 校庭であった式典には全校生徒が出席し、新井校長や二ノ宮さんらが除幕した。生徒たちは真新しい碑を前に、校歌を斉唱。生徒会長の有賀みのりさん(14)は「この校訓を意識して中学校生活を送り、生きていく中で忘れないようにしたい。また、本校のシンボルとして、大切にしていきたい」と述べた。

 新井校長は「時代は平成から新しい時代に移り変わるが、金子先生の意志を末永く心に刻みたい。皆さんが大人になっても、共通の理念となることを期待しています」と励ました。

東京新聞から転載 2019.1.10