2018年6月9日

『東国抄』金子兜太 2017年~2018年

東国抄〈拾遺2〉 金子兜太  (海程6月号 543号)

夏潮のみちのくの民孤化あるまじ

窓より覗く洒落たホテルの秋去る顔

熊谷や秩父の星影冬深く

奥秩父両神武甲冬の深さよ

片頬に冬日次第にしぼむ老い


東国抄〈拾遺1〉 金子兜太 (海程5月号 542号)

昼月に黒点被曝の福島何処へ

草鳴りの語ありや草莽の人ありき

夕星に母らしき声の韻くよ

父母ありき老いて且つ生き父母ありき

秩父谷桜並木に猪遊ぶや

(「東国抄」拾遺として、現代俳句協会の機関誌『現代俳句』平成三十年二月号に発表された特別作品「望郷」十句を二回に分けて掲載する)





戦争体験が基となり反戦意識を深め復員後、日銀労働組合の専従となるがレッドパージで退かされ、その後俳句に専念。1962年、同人誌「海程」創刊、後主宰となる。戦後、戦争体験を伝えることを念頭に活動してまいりましたが、98歳で2月20日死去しました。



 2月20日に98歳で亡くなった俳人・金子兜太さんの遺作九句が、主宰する俳誌「海程」4月号に掲載された。夜は介護施設で過ごす身の上を、「さすらい」と表現。
施設での様子を
さすらいに雪ふる二日入浴す
などと詠んだ。
 金子さんは本紙「平和の俳句」の選者をしていた2015年秋、認知症の症状が出始めた。昨年8月には選評を書くのが難しくなり選者を退いたが、句作は続けていた。

長男真土さんは「父 は認知症を発症してもコミュニケーションカが際立って残っていて、医者にも驚かれたほど。人の輪の中で過ごしてきたから、施設で孤独を感じていたのでは。句にさみしさがにじんでいる」と話す。

 陽の柔わら歩ききれない遠い家

介護施設は、埼玉県熊谷市内の自宅から車で15分ほど。金子さんの弱った脚では遠い道のりだった。金子さんは今年初め、肺炎になり入院。1月下旬に退院した後は、家族で介護が難しい夜と入浴日を施設で過ごすようになった。原稿は、2月6日に誤飲性肺炎で緊急入院する前に真土さんに手渡された。1月26日から2月3日までの間に書いたとみられる。
 金子さんには死を意識て辞世の句を詠む発想はなかったという。「死ぬことは他界に行くだけの話と捉え、はやりの終活もナンセンスだと割り切っていました」。
遺作は愛用のサインペンで書かれた力のこもったた独特の筆跡。「これだけ整然としている原稿は久しぶりで、復活している感じでした」としのんだ。
俳誌海程は1961年に創刊。金子さんは生前99歳を迎える今年9月にの終刊を明らかにしていたが、7月に終刊することになった。  (東京新聞・矢島智子さん)

東京新聞朝刊2018.4.3掲載 アップさせていただきました。 多謝・管理人


2018年6月8日

金子兜太資料 


金子兜太略年譜リンク 詳しい略歴はリンク先へ

金子兜太追悼特集




大宅壮一文庫・雑誌関係  (資料取り寄せ可)
 http://www.oya-bunko.or.jp/Default.aspx?TabId=611


2018年4 月号俳句あるふぁ』 追悼・金子兜太

「平和の俳句」と金子兜太    加古陽治
「自選12句」鑑賞       武田伸一
「20句鑑賞」         武田伸一
「兜太の宇宙・あきらの宇宙」  宮坂静生
「存在者」への長い道程     黒田杏子
「土のデモン」茂吉と兜太    芳賀 徹
「海程」と金子兜太         武田伸一
「いのち」「大地」「水」の俳句 小川軽舟
「金子兜太アルバム」
「寒雷」時代の金子兜太    石 寒太
「金子兜太に惹かれて」俳句弾圧不忘の碑建立まで マブソン青眼
  これからの「金子兜太」    田中亜美
  人間存在と俳句         石 寒太
  金子兜太句集と後記「少年から日常まで」


2018年4月号『月刊俳句界』  
特集 巨星墜つ! 
哀悼 金子兜太 
追悼文 稲畑汀子 宇多喜代子 高野ムツオ 有馬朗人 他


2018年5月号 『俳句』別冊
■特集 「追悼 金子兜太」
▼兜太アルバム▼秘蔵インタビュー▼絶筆9句+兜太の本音 
▼追悼エッセイ
高野ムツオ・梯 久美子・深見けん二・半藤一利・黒田杏子・宮坂静生・桜井洋子(元NHKアナウンサー)・いとうせいこう・小林恭二・後藤比奈夫・柿本多映・有馬朗人・大串 章・宇佐美貴子(元朝日新聞記者)
▼追悼座談会 これからも兜太と生きていく
安西 篤×宇多喜代子×佐佐木幸綱
▼『日常』以後の100句抄 安西 篤=選・解説
▼全46名による追悼句+おくる言葉

2018年6月号『俳壇』
追悼・澪の果てはるかに 金子兜太

2016年10月号と11月号『俳句四季』100人が読む金子兜太




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