金子 兜太(かねこ とうた)1919年9月23日-2018年2月20日死去、 俳人。埼玉県生れ。東大経済学部卒。1974年まで日本銀行勤務。学生時代は加藤楸邨に師事,〈寒雷〉に作品を発表。1955年第1句集〈少年〉刊行。1956年現代俳句協会賞受賞。1960年代には前衛俳句運動の旗手と目された。1962年〈海程〉を創刊・主宰。1996年〈両神〉で詩歌文学館賞を受賞。他の句集に〈蜿蜿〉〈暗緑地誌〉〈遊牧〉〈皆之〉〈日常〉など,評論に〈造型俳句六章〉〈定型の詩法〉〈種田山頭火〉〈小林一茶〉などがある。
2018年3月2日
2018年2月28日
「金子さん死去」誤報記者を出勤停止に
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時事通信社では報じた記者を出勤停止の懲戒処分とし上司もけん責とか・・・・
同社によると、記者は十九日午前、
金子さんと関係の近い人物からの情報を基に死去の速報と記事を配信したと・・・・。
近しい〇〇さんは金子先生の見舞いに行ってつぶさに病状を確認した。
いくら記者魂があっても公と私事は別物、早とちりはまずい。朝から変なニュースを読まされました。
朝日新聞
https://www.asahi.com/articles/ASL2W56HLL2WUTIL02W.html
2018年2月27日
「望郷」金子兜太
特別作品 金子兜太
昼月に黒点被曝の福島何処へ
草鳴りの語ありや草莽の人ありき
夕星に母らしき声の韻くよ
父母ありき老いて且つ生き父母ありき
秩父谷桜並木に猪遊ぶや
夏潮のみちのくの民孤化あるまじ
窓より覗く洒落たホテルの秋去る顔
熊谷や秩父の星影冬深く
奥秩父両神武甲冬の深さよ
片頰に冬日次第にしぼむ老い
2018年2月号 現代俳句協会
https://www.gendaihaiku.gr.jp/journal/
2018年2月25日
「海程句集」金子 兜太
「海程句集3」平成24年 金 子 兜 太
左義長や武器という武器焼いてしまえ
差羽帰り来て伊良湖よ夏満ちたり
夏の猫ごぼろごぼろと鳴き歩く
老母指せば蛇の体の笑うなり
長寿の母うんこのようにわれを産みぬ
定住漂泊冬の陽熱き握り飯
熊飢えたり飢え知らぬ子ら野をゆけり
病いに耐えて妻の眼澄みて蔓うめもどき
合歓の花君と別れてうろつくよ
言霊の脊梁山脈のさくら
今日までジュゴン明日は虎ふぐのわれか
マスクのわれに青年疲れ果てている
わが修羅へ若き歌人が醉うてくる
津波のあとに老女生きてあり死なぬ
今も余震の原曝の国夏がらす
被曝の牛たち水田に立ちて死を待てり
被曝福島米一粒林檎一顆を労わり
泣く赤児に冬の陽しみて困民史
東京暁紅ひたすらに知的に医師たち
樹相確かな林間を得て冬を生く
海程同人10句掲載リンク
海程同人50周年アンソロジー 名前 あ~か
海程同人50周年アンソロジー 名前 さ~た
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金子兜太略年譜 1.誕生から30歳 ■1919 大正8年 9月23日(秋彼岸)、埼玉県小川町の母の実家で生まれる。育ったのは同県秩父盆地 皆野町の父の家。父元春(俳号・伊昔紅)、母はるの第一子。父は東亜同文書院校医として上海に在住。 上海むで父と ■192...
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埼玉県皆野町に金子兜太句碑が町の有志にによって建立されています。町では 句碑巡り が出来ますので観光にお出かけのさいは是非ご覧ください。 お勧めコースです 皆野駅 → 円福寺 → 皆野椋神社 → 円明寺 → 萬福寺 → 皆野駅 よく眠る夢の枯野が青むまで ...
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2017年、海程全国大会が終わりほっとした先生 悲しいお知らせが・・・・・ 夕べ、金子先生が亡くなりました。 二週間前から誤嚥性肺炎で入院中でした。 最後は苦しまず亡くなったそうです。 葬儀、告別式は近親者で行うそうです。 お別れ会については未定です。...
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『金子兜太句集』 湾曲し火傷し爆心地のマラソン 兜太 Twisted and seared the marathon at the center of the atomic explosion (英訳・海程同人 小長井和子)
