2018年1月15日

海程創刊から25周年まで


一年目・昭和37年(1962)4月・1号――38年(1963)2月・6号

 『海程』は昭和37年(1962)4月1日に創刊された。濃紺一色の表紙の上部に海程と大きく白く横に抜き、右下に創刊号と小さく白く抜いてある。この表紙は3号まで続き、4号からは新進の書家・北谷正炳が海程と大きく縦書きした字が、同じ濃紺の地に白く抜かれるようになり、やがてそれが横書きになって現在まで続く。北谷は金子兜太の戦地トラック島での友人である。

 隔月刊。この当時、俳句誌の隔月刊は珍しかったわけだが、十分に時間をかけて句作りしようというのが表向きの理由だった。しかし、本当の理由は費用を極力節約して長続きさせようというところにあった。発行者は出沢三太、編集者は金子兜太、印刷者は蒲地軍治と奥付にあるが、編集実務は酒井弘司が当たっていて、酒井が初代編集長である。印刷所も酒井の紹介による。ただし、5号から大井雅人と交替した。大井が二代目の編集長。

 海程は同人誌として出発した。4号に「海程の規約」がのっているが(その後しばしば改正されたが)、冒頭に「海程は同人・海王集作者・会友により構成され」と記されている。創刊同人は30名で、創刊号、2号、3号にそれぞれ20代、30代、40代に分けて作品特集を行った。顔ぶれ、左の通り。

〈20代〉谷口視哉、仲上隆夫、山中葛子、前川弘明、芦田きよし、酒井弘司、岑伸六。
(30代)山崎あきら、島田陣子、井倉宏、林田紀音夫、佐藤豹一郎、河本泰、上月章、山口雅風子、大井雅人、米沢和人、八反田宏、柳原天風子。(40代)堀葦男、小田保、津田鉄夫、隈治人、藤原七兎、小山清峯、出沢珊太郎(三太)、境三郎、鷲見流一、金子兜太。

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