2018年6月23日

金子兜太お別れの会・各新聞より

【岳主宰宮坂静生氏追悼】

金子兜太さんしのび 約800人が献花

 2月に98歳で死去した俳人、金子兜太さんのお別れの会が22日、東京都千代田区の有楽町朝日ホールで開かれた。長年会長を務めた現代俳句協会や主宰誌「海程(かいてい)」など俳壇関係者をはじめ、親交のあった各界の約800人が献花し、豪放で温かな金子さんの人柄をしのんだ。

 発起人の宮坂静生・現代俳句協会特別顧問はお別れのあいさつのなかで「水脈(みお)の果て炎天の墓碑を置きて去る」「彎曲(わんきょく)し火傷し爆心地のマラソン」などの代表句を読み上げ、「南洋トラック島の戦場で倒れた青年たちから託された、反戦平和のために尽くす信念が、存在者・兜太に貫かれ、多くの人々に鮮明に記憶された。俳人の枠を超えて国民詩人と呼びたい」とたたえた。【井上卓弥】
毎日新聞2018年6月22日



戦後の俳壇をリードし、2月に98歳で亡くなった俳人、金子兜太さんのお別れの会が22日、東京都千代田区の有楽町朝日ホールで行われ、参加者が黙とうをささげた。

 お別れの会では、金子さんの姿を収めたビデオを上映し、〈湾曲し火傷(かしょう)し爆心地のマラソン〉などの代表句を紹介した。

 現代俳句協会の特別顧問で発起人代表の宮坂静生さんは金子さんの戦時中の体験などに触れ「戦争は悪であり、反戦平和の維持に尽くすことが必須の仕事という信念になった」と語り、その人気は「国民詩人とでも呼びたい」とたたえた。親交の深かった俳人の黒田杏子さんは「本当に威張らない、誰に対しても平等な人でした」としのんだ。

 金子さんは故加藤楸邨さんに師事。戦時中は海軍主計中尉として南洋のトラック島に赴任。戦後は俳句に社会性や、思想を取り込む前衛俳句運動を主導。俳誌「海程」を創刊して主宰となり、現代俳句協会の会長を長年務めるなど、俳壇の中心的存在として活躍した。
〔共同〕日経2018.2.23朝刊


 2月に98歳で亡くなった俳人、金子兜太さんのお別れ会が22日、東京都内で開かれた。自身の戦争体験を踏まえ、命と平和への思いを句に詠み続けた現代俳句の第一人者の業績をしのび、約750人が参列。献花台に花を手向けて冥福を祈った。
 少しはにかんだようにほほ笑む遺影が掲げられた会場では、昨秋に現代俳句協会の創立70周年記念大会で故郷ゆかりの秩父音頭を自ら歌った映像を披露。「水脈(みお)の果て炎天の墓碑を置きて去る」など代表作20句も朗読された。

俳人の金子兜太さんの「お別れ会」であいさつする、長男の真土さん=22日午後、東京都千代田区

 発起人代表で同協会前会長の宮坂静生さんは弔辞で、「自然な生存を脅かす戦争は悪」との信念を貫いた金子さんの存在の大きさを「俳人の枠を超えて国民詩人と呼びたいほど」と強調した。 
 喪主で長男の真土さんは「自身が死に向かっているという意識も、辞世の句もなく突然逝った」最期について「気分は決して悪いものではなく、他界へ行って、おそらく従来の暮らしを保っている」と語った。
時事通信 6.22



2月死去の俳人金子兜太さん お別れの会に750人

戦後を代表する俳人の1人で、ことし2月に98歳で亡くなった俳人の金子兜太さんのお別れの会が22日、東京都内で開かれ、親交のあった人たちが別れを惜しみました。

金子兜太さんは、伝統的な形式にとらわれずに戦争など社会的なテーマを扱った自由な俳句の世界を築き、戦後を代表する俳人の1人として活躍しましたが、ことし2月20日、98歳で亡くなりました。

東京・千代田区のホールで22日、お別れの会が開かれ、およそ750人の出席者全員で黙とうをささげたあと、金子さんの公の場での最後の姿となった去年11月に、故郷の秩父音頭を歌った時の映像が流されました。

続いて、代表句が紹介され「水脈の果て炎天の墓碑を置きて去る」や、「彎曲(わんきょく)し火傷し爆心地のマラソン」といった句が詠み上げられました。

このあと、発起人の代表を務めた現代俳句協会特別顧問の宮坂静生さんが「あなたによって俳句史は、生きた人間の心の表現史に書き換えられた」と別れの言葉を述べました。

発起人の1人で、俳人の黒田杏子さんは「金子先生ほど真剣に生きて、俳句になりきり、俳句とともに生きた人はいませんでした。金子先生の自然や人間、生き物全体に対する愛は今後も広がっていくと思います」と話していました。
NHK NEWS WEB 2018年6月22日 

金子兜太さんのお別れの会
花で飾られた祭壇には、自宅の庭で柔和にほほえむ遺影が飾られている。

 現代の俳句界に大きな足跡を残した俳人、金子兜太さんのお別れの会。「夏の山国母いてわれを与太という」などの代表句が紹介され、黙祷(もくとう)のあとには、17年間会長を務めた現代俳句協会の祝賀会で、ふるさと埼玉・秩父の「秩父音頭」を歌う在りし日の姿がビデオ上映された。

 「ハアーエ、鳥も渡るかあの山越えて…」

 発起人を代表してお別れの言葉を述べた同協会特別顧問で俳人の宮坂静生さん(80)は、金子さんの秩父音頭について、「マイクに向かわれる温顔には、まぎれもなく98歳の生涯の滋味があふれていた」。そして、「兜太去りてのち、その追悼文や悼句はおびただしい。兜太の人気は俳人の枠を超えて国民詩人と呼びたいほど」と、その偉業をたたえた。

 家族代表の長男、金子真土(まつち)さんは、戦争体験と江戸時代の俳人、小林一茶の存在が兜太さんの人間観を作ったと指摘。異なる主張に耳を傾けず、勇ましい発言が流布される風潮を「父は非常に危惧していた」と明かし、「人間は性悪なものとみていた父が頼ったのは知性。知性をいかに豊かに持つかで、人間はなんとか皆と生きていけると考えていた」と語った。

 元文部大臣で俳人の有馬朗人さんら約750人が、カーネーションの花を祭壇に献花し、故人との別れを惜しんだ。2月20日、急性呼吸促迫症候群のため死去。98歳。(栫井千春)

産経新聞
 https://www.sankei.com/life/news/180622/lif1806220035-n1.html

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