蛇も一皮むけて涼しいか 小林一茶
(くちなわも ひとかわむけて すずしいか)
なつかしい人々との出会いのなかで、わたしは俳句をつくるようになり、深入りして、現在にいたっている。言いかえれば、そうした人たちが俳句をつくっていなかったら、わたしもつくることはなかっただろう、とまでおもっている。その人たちを、なつかしい日本人と言いかえたい気持なのだ。
昭和十年代の初め、十代の終りごろに俳句をはじめているが、きっかけは旧制高校の一年先輩、出澤珊太郎(でざわさくたろう)(本名三太)との出会いにあった。
三太と兜太の、三と十の語呂合わせを、学生どもが集る飲屋のおかみさんがおもしろかって、まったく未知の二人を引合わせてくれたのだが、丁度そのとき出澤は学生句会をやろうとしていた。
頭数を揃えたい、ぐらいの気持でわたしを誘う。なんだか断れないで渋々出席。苦しまぎれにつくった一句が、なんとなんと好評だったのも奇縁だった。
(くちなわも ひとかわむけて すずしいか)
なつかしい人々との出会いのなかで、わたしは俳句をつくるようになり、深入りして、現在にいたっている。言いかえれば、そうした人たちが俳句をつくっていなかったら、わたしもつくることはなかっただろう、とまでおもっている。その人たちを、なつかしい日本人と言いかえたい気持なのだ。
昭和十年代の初め、十代の終りごろに俳句をはじめているが、きっかけは旧制高校の一年先輩、出澤珊太郎(でざわさくたろう)(本名三太)との出会いにあった。
三太と兜太の、三と十の語呂合わせを、学生どもが集る飲屋のおかみさんがおもしろかって、まったく未知の二人を引合わせてくれたのだが、丁度そのとき出澤は学生句会をやろうとしていた。
頭数を揃えたい、ぐらいの気持でわたしを誘う。なんだか断れないで渋々出席。苦しまぎれにつくった一句が、なんとなんと好評だったのも奇縁だった。