2017年2月13日

句集 『花恋〈はなこい〉』 金子皆子  

          
 (漢字が表記できない漢字は書き換えてあります)  
 曼陀羅の見えてくるなり曼珠沙華  〈曼陀羅曼珠沙華〉

 温かしさんざしの花の樹主治医  〈白い花白い秋〉

 右腎なく左腎激痛も薔薇なり  
〈白い花白い秋〉

 日常や椿一輪が重たし    〈花幻〉


 木苺の黄金色淡甘(あわあま)きかな

 一つのコール春月に祈りも一つ   〈花の精〉
 
 谷卯木慟哭は誰も知らない

 先生それは白い雛菊カモミール  〈白い雛菊〉

 鴫一羽懐に温めしは光  
       
 送電鉄塔鶺鴒よ消えないで   〈凌霄花に寄せて〉

 直(ひた)に恋う月の国光る薔薇咲く

 散り銀杏揺籃埋めゆくなり    〈銀杏黄葉〉

 愛という遠流の地あり寒紅梅

 「花綵列島」花綵とありますよ主治医  〈ははかの花〉

 梶の木を探さんと思う冬銀河


 蜘蛛の糸光ととんで曼珠沙華    
曼陀羅曼珠沙華〉

 足裏炎え炎えて火を踏む曼珠沙華  〈曼陀羅曼珠沙華〉

 命一途に魚も蝗も人間吾(あ)も 〈白い花白い秋〉

 寒の薔薇人恋うは生きる証なり   〈花幻〉

 静かな鶫花幻に抱かれいることも  〈花幻〉

 寒い雨我儘な我儘な薔薇で     〈白い雛菊〉

 台風の雨粒の音パライゾ黒薔薇  〈Winter Rose〉

 はるこがねばなその光現身となり  〈蝋梅と藪椿〉

 媼〈おうな〉とは双膝をつく笹に花
 
 秋の海老人は馬を考える      〈白い花白い秋〉


 下弦の月檀の花の細細〈ささささ〉 〈ははかの花〉


『花恋』そのいのちへのいとおしみ (抜粋) 安西 篤



『花恋』は、金子皆子の第四句集に当る。対象となった作品は、一九九七年春に、右腎臓悪性腫瘍の全摘出手術を受ける直前の(紫雲英田)四十八句から、最近作〈ははかの花)七十七句に
いたる千百八十六句である。約七年間の句業であるが、二〇〇〇年秋に、左腎への転移による部分摘出手術を受ける頃までの約三年間は、ブランクになっているから、実質四年間の成果である。

しかもこの間、肺への転移もみられた上、痛みや治療薬インターフェロンの副作用と闘い続ける中での句作であるから、驚くべき精神力というほかはない。

このような量産エネルギーは一体、どこから出てきたのだろうか。 皆子は、おのれの生き死にの問題にいやおうなく直面したとき、〈いのちへのいとおしみ〉を身をもって体験した。その体験を日録風に俳句に書きとどめたのが句集『花恋』である。従って、一
句一句精選された作品を書いてゆくというより、その時々の生きざまをありのまま句にしている。つまり、「句を成す」というより、「句を生きる」というかたちで書いている。



明日をもしれぬおのがいのちの経験の襞のひとつひとつを、それこそいとおしむように書き綴っているのだ。連作が多く、量産にいたったのはそのためである。もちろん、そこには作者の豊かな詩的土壌が用意されていなければならない。だが、なによりも皆子にとってこの七年間は、死の淵ではじめて知った新しいいのちの甦りの経験だった。そこからくる創作への気力が、病を超えさせたともいえよう。・・・・・・・






 あとがき (抜粋)        金子皆子


 句集『花恋』は、私の八年になろうとする闘病の生活の或る期間に、書きとめておきました作品を集めたものでございます。

 私は、癌という病を知識では知っておりました。でも、その病が自分の体の中にいつのまにか育ってしまっておりましたことを、多忙な日常にかまけて、気付くのが遅れてしまいました。これは、私の自覚の足りなさ、怠慢という以外ないようでございます。

 悪性腫瘍・癌に意識して向き合えるようになりましたのは、右腎臓の全摘出手術によって、かろうじて命を救って頂いた頃からと思います。

 ここにも一つつの縁が生まれました。

癌に向き合って暮すようになりました歳月の間に、月に一度、埼玉県熊谷市から千葉県旭市に出掛けてゆき、暫く逗留して熊谷に帰るという暮しの形が出来上りましたが、これは、これからの終生にわたることになると思っております。

 旭中央病院勤務の主治医をはじめ、スタッフの方々や大勢の皆様のお力で、私の病状を温かく、また適切な監視下に置いて頂いておりますので、私の日常は安堵感に充たされており、熱い縁をひたすら感じつつ感謝しております。

 投宿先のホテルでは、専用にルーム一つの使用を許可して下さるといった御厚意を頂き、アットホームな生活の中で、自然とこの地にも馴染んで参りました。長々と病んだ思いと何故か一瞬であったような思いとが交錯し、不思議な感動を覚えております。

 久しぶりに晴れたわが家の庭の草叢の虫達が、夕暮れともなれば賑やかで、松虫か轡虫かと、秋の名残り惜しさを感じさせられます。

 私が五十代の比較的元気な頃に出逢った、故郷秩父地方の山暮しのお年寄りが、ぽつりと「病気だって一人じゃあ出来ねえからねえ」と独り言のように言いました。近頃になって、素朴な山の老婆のこの独り言が何故か思い出されてなりません。

 紛れもない自分という個の肉体が病む、それさえも一人では出来ない。ものみな共に生きようとする今生の知恵のなんと重い言葉でしょうか。素朴な山暮しのお年寄りのなかから生まれた独り言を、今、噛みしめております。

 お世話になっております病院の医療の現場にも、そのことが見事に実現されているように実感いたしますが、それは病んでいる身に感謝の気持を育てる余裕をつくり出して下さいました。

 私にとりましては、この余裕こそ、文字による表現行為に気力を集中させるその場所を用意して頂けたものと思っており、この御恩は瞬時も忘れることはございません。

 また病に耐えて生きてゆくための道しるべをも、つねづね御指示頂けました。この上なく幸せと思います。

病んで良かった!
これは現在只今の強烈な思い。
病んで申し訳なかった!
これは家族、特に息子夫婦への思いです。・・・・・・


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