2017年1月31日

昭和55年の金子兜太は日銀に居ました


写真のコメント「自分の表現世界を俳句で拡げようとしたけれどいっこうに拡がっていないよ。これはものぐさのせいでね。わっはっはっは」日銀証券局前で (太陽55/3)

「親父・元春は秋桜子と同級だったせいもあって新興俳句運動に合流して人を集めては酒をくらって俳句を作っていた、それを見て俳句はケンカをするものだと思っていたね」と俳句の原体験を明かす。「つまり僕の俳句は花鳥諷詠として始まったものではなく実に人間臭いものとしてとらえているんだ」日銀に入行したが従業員組合を結成、初代事務局長。俳句のほうでも前衛俳句をめぐって大論争を展開。

には現代俳句協会と俳人協会の分裂にまで発展。これはつまり六十年安保後の文化活動の反動的再編だったのだと喝破。氏の囗から以次から次へと俳壇の裏話が出てきてこんな話まで聞いてしまっていいのかと不安になったほど。はた目には呑気そうに見える俳句と俳人の世界も想像以上にせち辛いようだ。

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