2017年12月10日

木曾のなあ木曾の炭馬並び糞(ま)る


北海道の道産馬、九州宮崎の御崎馬、そしてこの木曽馬が、日本古来の三大在来種です。現在開田高原では、木曽馬の里や木曽馬保存会が、貴重な存在になってしまった木曽馬の繁殖と保護活動をしています。


木曾のなあ木曾の炭馬並び糞(ま)     金子兜太      『少年』
             
池田 この「木曾のなあ」はねえ……。やられました。
金子 これが最後の句、兵隊に行く前の。大学は繰り上げ卒業で、一人旅をし牧ひでをというのが名古屋にいて、そこに泊まって、それから木曾ヘー人で入って、帰ってきて、それから兵隊行ったんです。その時の句でしたね。
池田 その意味でも作者は忘れ難いですね。それが、もう見事にこれは兜太節。
金子 うん、そうなんだ。
池田 兜太節の完成がね、早いんですよね。
金子 うん、早い。
池田 ですから体がそうなんですね。きっとね。
金子 秩父音頭のような民謡ばかり聴いてきたというのがあるんでしょうなあ。
池田 ’木曾のなあ‘とこれ持ってこられたのがとても癪です。この詠み方、もう維も出米ないじゃないですか。
金子 できないでしょうなあ。これは自慢なんですねえ。ちょうど冬なのにもかかわらず広場で木曾節やってたんです。私も行ってみたんです。翌朝、駅に向かってたら、だーっと並んでた。これから仕事に行くっていうんでね、ふーっとやってたんです。これは実景です。「炭馬」つていって炭を運ぶ馬。その頃は山で炭を作って、それを馬で運んでた。それを「炭馬」つていうんです。
池田 足の短い丈夫な馬が目に浮かびます。
金子 丈夫な馬です。木曾の馬で。俺の句を、生涯にわたって一句だけ褒めた男がいる。褒めたのはこの一句だけ。
池田 この一句だけと言えば、山本健吉ですね。
金子 そう山本健吉が、唯一この句だけ褒めた。



池田 あとは結局、イデオロギーであって詩になっていない、つていう言い方でしたね。
金子 そんな言い方でした。危険だと、お前の俳句は。俳句をぶち壊しちゃうと、俳句の良さを壊してしまうと、そういう言い方をしていました。

池田 これが最後で、戦争に行かれたわけですね。百句の中にとは思ってはいないのですけど、次の句、ちょっとお聞きします。
「国の喪や身にまつわりて蝿ひとつ」山本五十六元帥の国葬に際しての句、その時の若者がどういう思いを持ったのかなあと。結局さっき先生がお話くだすったことですよね。「身にまつわりて蠅ひとつ」は、矛盾を抱きながらどうにもならない、漠然とした不快と
いうことですか。
金子 そうそう、おっしゃるとおりです。私は戦争に反対してだわけでしょう。だけど割り切れてなかったとさっき言いましたね。そういう状態でいましたのでね、でも山本五十六という大を個人的に尊敬しとる。軍人として非常に立派な大だと。日本の戦争がどうってことじゃないんですよ。その個人的な尊敬の念を句に書いたわけ。その大が死んだ。その時にこれを作った。
池田 「国の喪や」で尊敬のお気持が分かります。
金子 真珠湾攻撃はこの人のアイデア。普通に戦ったら絶対負けるっていう前提で彼は考えた。非常に先見の明かあった大でね。
池田 不快、それがはっきりしない、不快ならやめりゃいいじゃないかってやめるわけにはいかない、その不快がねいこの「蠅」。社会状況というか、そういうものを感じます。
金子 ああ、「蠅」に貴女は意味をつけようとする。
池田 うっとうしさ具象化だと読みます。
金子 何となくうっとうしい。軍人というのはそれほど私は尊敬はしてませんから。ただ五十六を個人として尊敬してる。だからこんな感じですね。蠅が止まってうっとうしいなあ、つていう感じ。俺にとっても悲しみなんだけど、国にとっても悲しいことなんだろうなあぐらいの気持ち。漠然とした悼みの気持ち。
池田 俺は嫌だから戦地には行かない、つていうことはできないわけですからね。
金子 絶対できない。ところがね、これもよく言ってることだけど、いざトラック島に行くとなったらね、若いからねえ、「よし、やってやろう」ということになったということ。なったんです。そのへんがね、分かるでしょう。我ながら非常に軽薄な話です。
池田 哀しい軽薄ですね。実に重い軽薄です。そのことを今も思っていらつしゃる。よく分かります。その時の、「冬山を父母がそびらに置きて征く」という、秩父を去っていくときの、涙なくしては聞けないお話がありますね。出征の壮行会のときに、お父様と二人で裸で踊ったっていう。獣邨が書いてらっしやる。でもそのお父様も見事ですね。お父様が先に裸になられたんですか?
金子 どっちか先だったか。親父が先に仕掛けたことは間違いない。「踊ろやあ」言ったのを覚えてるよね。
池田 「踊ろやあ」ですか。ああ私、泣きそうです。二人が踊って皆が呆然と見ていた。
金子 そうですそうです。
池田 それは都会では考えられないような。なにか秩父の血みたいなものがそうさせたんでしょうか。秩父音頭を踊ったんですよね。
金子 親父が秩父音頭を作り変えた男だから。今の形にした奴だから、その懐かしさがある。言われるとおり、場所が大滝っていう山の中のねえ、強石っていうところにある、ちいちゃな宿屋でやったんですよ。どうせ行くんならこれが見納めだろうぐらいの気持ちで、みんなで行ったわけ。そういう点もありますね。その雰囲気が。
池田 それは本当にじんとくるお話だと思います。戦地に行ってから、その父上から「お前は死んでも、お前の句は残る」と、お便りが届いたんですね。
金子 そうだ、そうだ。手紙が来た。
池田 感無量だったでしょうねえ。
金子 なにかしみじみした気持ちでしたね。

兜太100句を読む 池田澄子


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