2017年12月9日

兜太のエッセー 「雪」


 辺地雪舞う殊にバキュームカーのまわり

 西海は佐世保の住、阪口胚子の俳句だが、涯子は医師。八十四歳で他界している。若い頃から俳句をつくっていて、昭和前期の新興俳句運動の有力な作り手の一人だった。
「辺地」という言い方に涯子らしい語感があるわけで、一般的には「過疎地(帯)」「過疎」というところだが、胚子はこうした生硬な語感を好まなかった。

 その荒れて人もまばらな地帯に雪が舞うように降っている。降る、といい切れない感じで降っている。ことに、そこに停正しているバキュームカーのまわりに舞うのが目立つ。バキュームカーそのものが目立つからだが、この車がそこにあり、その向こうに人家があることも不思議なくらいの、草枯れの地帯なのだ。だから人間臭いもの、とくに人工のものは奇異な感じを与えるくらいに目立つ。いつまでも記憶に残って、わびしさを誘う。
そのまわりに舞う雪とともに。

 ところで、この景から受けとる季節やいかにと思うとき、冬の季語・雪、したがって冬の景、と簡単にいい切れないところがあることに気付く。春の感じもあり、冬ともとれるということで、まさに二月あたりの季節感なのだ。二月は早春の季といわれているが、寒さは一月より強いくらいで、私など関東平野に暮らすものには、空風(北西風)の風音と寒気がいちばん身にしみるときでもある。私は二月が最も風邪をひきやすいのだが、正
月の疲れとばかりいえない。

 そのくせ、光は澄んでいて、空には雲雀の声を聞き、いかにも春来たるの感がある。「冴え返る」という春の季語があるが、これなどまさに二月の季語なり、と思う。春めいて気温も上がるかと思うとき、にわかに寒波がきて冷え込む。大気の光だけは玲瓏感を加えていて、それが冷え込む。早春の季語たるゆえんなのだ。

 涯子のこの「雪」にも、そうした早春を感受させる内容があるということだが、こういうふうに、雪を冬とも春とも感じていたのは、実はいまに始まったことではなく、『万葉集』以来のことだったのである。『万葉集』で冬の歌としている「巻向の檜原もいまだ雲居ねば子松が末ゆ沫雪流る」(柿本人麻呂)が、『新古今和歌集』では「まきもくの檜原もいまだくもらねば小松が原にあは雪ぞ降る」(大伴家持)となって、春の歌のところに置かれている。感受の自然に従うことであろう。

  是がまあ終の栖か雪五尺  小林一茶

 周知のこの句は、旧暦十一月の末の作で、場所は北信濃の柏原。徳川時代も終わりの頃だった。五十歳の一茶は長い江戸暮らしに終止符を打って、生まれ故郷に定住すべく帰ってきたのである。旧暦十一月末といえば、いまに直せば十二月の終わりから一月初めとなろう。豪雪地帯の黒姫高原はすでに厚い雪で被われていた。

 一茶は帰郷の喜びとともに、この豪雪下での冬ごもりの辛さをかみしめていたのである。いまのようにスキーを楽しむわけでもなく、スキー客を迎えてのにぎわいがあるわけでもない。暗い部屋で、炬燵にささっての日常である。
「是がまあ」の慨嘆には真実味がある。

 一茶は記録のなかで、自分には雪を美しいとは思えないから、たぶん馬と同じなのだろう、と書いていた。古人やいまの文人墨客が美しいと見ているものが、むしろ嫌なものとして映る自分を正直に書いていたわけだが、これは生活の中から雪をみる視点で、既成の美観を打ち破ることでもある。

私には、この美意識が新鮮なものに思えてくる。 当今では雪といえばスキー。スキーの好句を挙げておきたい。
  スキーナイター音なく湧ける一世界    田中正能


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