2017年12月24日

兜太のエッセー「日記買う」 

更級日記

 歳末は「日記を買う」ときであり、「日記果つ」のときでもある。終わった日記は「古日記」となる。また、新年の季語に「日記初 にっきはじめ」があって、これは買った日記帳に日記を書きはじめることで、このときの新しい日記帳を「初日記」という。

 これらの言葉はすべて季語として俳句歳時記に収録されているわけだが、当節、日記をつける人幾莫なりや、と思う。官庁や会社に勤めている人は 案外個人の日記を記すことが少ないのではないか、とも思う。十年前に私は銀行勤めを辞めているのだが、在職中の感じでも(まったく感じに止まるのだが)、日記をつけている人は少なかったようだ。なかには、日記などは未練がましい、と話していた人もいた。過ぎたことなんかどうでもよいではないか、という徹底した現実主義である。

 しかし、私はかれこれ三十年間日記をつけつづけているのである。ただし「三年連続日記」という怠け者向き日記帳だからあまり自慢にはならない。怠け者向きのせいか、この日記帳はよく売れているようで、三年目ごとに新しい日記帳を買うとき。いつも売り切れていて、しばらく待って取り寄せてもらっている。この種のメモ風のものなら、けっこう大勢の人がつけているのかもしれぬ。

 私かこの日記帳を知ったのは、勤め先の神戸支店にいたときだったが、教えてくれたのは、そのときの直属の上役だった土井靖一氏だった。土井氏はその後、協和銀行にゆかれて、現在は昭和コンピュータシステムの社長をしておられる。私はこの人に外国為替の仕事を教えてもらい、麻雀を伝授してもらった(もっとも両方とも不肖の弟子で終わってしまったが)。

そのとき、麻雀の結果などをこんなふうに毎日書いているんだよ、いい思い出になるぜ、と氏が三年連続日記を開いてみせてくれたのがきっかけだった。

大きな字で卓を囲んだ者の名前と結果が記してあり、その次に用事で会った人の名なども書いてあって、一目瞭然という感じだったから、これはいい、これなら俺にもやれると思い、それまでの現実主義を放棄したのである。

 以来つづいている。禁酒禁煙と同じで、はじめの半年くらいは書いたり書かなかったりだが、習慣化されてくるともう大丈夫。それに、その時期あたりから俳句専念に踏み切っていたので、文章を書くことも増えていた。

そうなると、毎日の印象を記録しておいて文章の材料にする必要もあった。いま開いてみると、しだいに日録が詳細になり、細かい字でいっぱいに書きとめるようになっている。

書ききれないことは別にノートを設けて、それに記すようにもなっている。そしていつか、俺はメモ魔なのではないか、と思うことが多くなっているのである。

 そう思うのは、放浪俳人の種田山頭火や、江戸は化政期中心に活動した俳諧師小林一茶などのメモ魔ぶりに呆れていることとも関係していて、一つには日常印象メモ(一茶の場合など、このメモで旅先の人に江戸や各地の情報を話してきかせることが飯のタネの一半ともなっていた)、二つには自問自答、三つにはそれを読む人をどこかに予定しているささやかな自己顕示欲のあらわれ――この三つのことがメモ魔の奥に見えるのである。

そして、私自身がこの三つのことを承知してやっているように思えてきて、なんとなく気恥ずかしい気持ちにもなるのだが、ここまでくるともう止められない。開きなおって、大いに記録しておいてやろう、と思ったりする。

 そして、意外なときに役立ったりするから呆れる。先日も、昭和四十八(一九七三)年三月十三日の朝、国鉄上尾駅(高崎線)で、動労の順法闘争による連日のノロノロ運転に腹を立てた乗客が大騒ぎした事件について書いてくれといわれて、日記を開くとズバリ記録してあった。私はその当時、高崎線で通勤していたのである。


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