2017年7月26日

兜太句を味わう 「たっぷりと鳴くやつもいる夕ひぐらし」

      


たっぷりと鳴くやつもいる夕ぴぐらし (『皆之』)  
             
北武蔵は熊谷の郊外に常光院があり、私のいま住んでいるところに近い。その名刹の庭に立つと、晩夏の夕暮れなぞ殊にひぐらしが湧き立つように鳴いている。なかにはたっぷりと鳴くものもいて、単調ではない。「やつ」と友だちのような気持ちで呼んで、その鳴き声にひきつけられていた。郷里の山国秩父の晩夏も同じようにたっぷりした、ひぐらしの声に浸っていたものだった。その懐しさ。常光院のお庭にこの句碑をいただく。


林間を人ごうごうと過ぎゆけり  (『~ま』)

昭和四十二年(一九六七)、北武蔵は埼玉県の熊谷市上之に転居した。武蔵野の名残りの雑木林が多く、わが家の庭も雑木か多かった。その林間を歩いている人に、この土地の歴史を思い、背負ってきた運命を思う。そしてここに土地を得て住むようになった私たち夫婦の背負ってき、これからも背負り運命を思っていた。「ごうごう」にモの思いを込めたつもり。

犬一猫二われら三人被爆せず    (『暗緑地誌』)

熊谷に定住して、私と妻(みな子)、それと長男(貝占の生活に、妻が野良犬を一頭かわいそうだと連れてきた。猫の雌雄を貰った。まさに「犬一猫二われら三人」の生活だったが、ある日ふと、広島、長崎の原爆禍を家族で語り合うことかあり、この句ができた。「被爆せず」――この幸せの永久であることを。

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