2017年3月13日

「他流試合」金子兜太✖いとうせいこう

他流試合――俳句入門真剣勝負! 講談社+α文庫  961円
1週間前位の大竹まことのラジオにいとうせいこうさんがゲストに招かれていました。マルチ才能のいとうさんあっちこっちからお呼びがかかります。その時「他流試合」が増販されると言ってました。
俳句と川柳って明確な分け方があるのでしょうか。巷では川柳のようなものを俳句と言ったりしています。この他流試合の一部を抜粋してアップします。

 

俳句と川柳を分けるものは?
せいこう これはどう見ても俳句になっている、これは川柳だというような、個々の作品の問題ということですね。

兜太 作品の問題です。それ以外で俳句と川柳を分けるものは何かということを最近いろいろ考えるんですけどね。非常に図式的な意見としては、季語が入ってるのが俳句で、入ってないのが川柳だと。これはもうまったくの形式論で、あんまり意味はないということははっきりしている。
それからいまひとつは、さっきあなたが言われたように、句の止め方の問題で、ぴしゃっと終止形で止めたり、韻字止めといって漢字でぴしやっと止める形ね、そういうぴしゃっと止めるやつが発句の止め方で、つまりは俳句だと。俳句は発句から来ているわけですからね。

それから、川柳のようなものは、ややゆるい止め。助詞で止めたり、連用形で止めたり……。これは、川柳止めというか、連句の中の「平句」と言いまして、発句以外の、付け合いの中で出てくる句。この平句の作り方が、ゆるい止めでいいわけです。そういう平句止めのやつが川柳で、発句止めが俳句と、こういう区別を立てる人もいます。ところが、この頃の伊藤園の新俳句なんかを見ていると、ほとんどが平句止めですよ。

でも、だからといってそれは俳句じゃなくて川柳だっていう言い方はできません。そうすると、やっぱり中身が議論になる。中身が議論になると、さっきのようなことになって、判定が難しくなりますね。

せいこう 面白いですね。

兜太 面白いけど、ちょっと困りますね。ちなみに申し上げますと、私が最近体験した国際俳句シンポジウムでの話なんですが、ついこの前、八月の終わりに、ベルリンでやった俳句大会に参加してきたんです。

そこで私とイギリスの俳句協会長さんとふたりで軽いディスカッションをした。そのとき、彼が強く言ったことは、俳句と川柳は同じ領域のものだと。俺は、そうだそうだと賛成したんじゃだめだから(笑)

無理して違うんだって頑張ったんですけどね。違うということになってくると、やっぱり今のように、マインドの、こころの問題しかないんですよ。そうするとその違いは非常に希薄なんじゃないかというふうに突っ込まれるとつらいですね。

せいこう 同じ領域で書いているものが出てるんじゃないかという、海外の人のそういうすぱっとした指摘はとても有益なのかもしれませんね。  

兜太 どうも、欧米の人し皆、そう思いつつあるんじゃないでしょうか。区別するのがおかしいんじゃないかと。

せいこう それから、川柳独特の、例えば「雷をまねて腹掛けやっとさせ」の、この最後の「させ」という連用止めみたいな、独特の書き方がありますよね。それは英語にしたときにはたぶん消えるんだと思う。ですから英語ではよけいに、詩としてほとんど差のないものに見えるのかもしれない。

兜太 そうですね。「や」とか「かな」なんて、訳せませんからね。

せいこう だから日本語の問題としては「や」とか「かな」つて何なんだというところに戻ってきますね。

兜太 切字を使うということは、それにかかわってくるような気がするんですね。

せいこう というよりも、切字があるかないかで、俳句と川柳を分けるんだと言ってもいいのかもしれない。

兜太 そうそう。だから「平句書きは川柳」という言い方が意外に正当性を持つ。それはただレトリックだけの問題として言われてきたけれども、そうじゃなくて、心的態度というか、制作態度というか、そういう意味も入っている。これは今話しながら気づいたことですから思いつきの段階を出ませんけど、どうもそう思いますね。

せいこう 面白いな。切字があるのが俳句なんだ。

兜太 切字を使わない平句書きのものというのは、俺の田舎の言葉で言うと、どこか「そそらっぺえ」なんだよね。

せいこう「そそらっぺえ」つて、どういうことですか(笑)。

兜太 どこかふざけてとぽけてる感じなんだ。だからもっと大きく括れば韻律の問題になるんじやないですか。韻律の重さとか厳しさとか深さとか、そこに来るんじやないでしょうかね。

せいこう ああ、なるほどね。

兜太 川柳の場合はそういうことはあまり意識しないというか。

せいこう そう言えば、この句ですけどね、

節分の鬼も今年はマスクする   石川県 中村真理 小学生の部優秀賞

兜太 いわゆる軽い止め方に、自ずからなりますよね。

せいこう「今年はマスクする」と言って、笑いを誘うような感じですね。どうも僕は、自分でも舞台で笑いをやったりして、笑いについていろいろ考えることが多いんですけど、川柳の笑わせ方というのは、少し前に出すぎた感じがする。面白いでしょうと踏み込んでくるような言葉遣いをされてしまうので、一般的には僕の好きな笑いではないんですね。俳句の場合は、そこをシレッとかわすようなところがあるので、ちょっと深いところでニヤツとできる。

兜太 その言い方はわかります。この句も韻律で直せば、「節分の鬼も今年ぞマスクせり」とかね、文語調にしていけば、あるいは「マスクせる」と終止形で止める。こうすると、ちょっと違うでしょう。

せいこう 違いますね。それは単に文語だから違うというよりも、自分の目の前のたったひとりの節分の鬼がマスクしていることについて描写した感じが強くなっている。「節分の鬼も今年はマスクする」だと、非常に一般化された感じ――あっちの学校でもこっちの学校でもそうでした、
インフルエンザ流行りでしたということになってしまう。口語だとなぜそうなって、文語だと単体を示せるのかということも、テーマとしては面白いですね。

川柳は乾いた「ふたりごころ」の世界

せいこう もうひとつ、俳句の中に軽いおかしみを狙ったりする傾向というか、ユーモア感覚みたいなのがあるでしょう。やっぱりそれも働きかけということから出てくるんですかね。

兜太 そうでしょうね。

せいこう 自分のことを自分で笑う場合には、内向して「ひとりごころ」のように思えるんだけど、ユーモアつて自分がふたりに分裂したようなときに起こったりするじやないですか。ひどいドジをやったときに、まいったなこりやって言ってる自分と、ほんとうに困っている自分がいて、そういうときは自分で自分に呼びかけたりしますよね。

だから「ひとりごころ」の中でも、そういう場合は自分の中に「ふたりごころ」が働いているのかもしれない。そういうものが、自分にだけ書けるおかしみだったりすることもあるのかもしれない。他人を笑わせようとする場合はもちろん「ふたりごころ」なんですけどね。
それが強くなると、川柳に近づいていく場合もあるわけですね。読めばすぐわかるのかな、ああ、これは川柳だって。


兜太 難しいんですよ。私なんか最近、俳句と川柳の違いがわからなくなっちやってね。ただ、川柳は明らかに「ふたりごころ」の世界ですね。どんなに皮肉を言っていてもね。皮肉ということ自体が、相手がいるものでしょう。それから、譬喩、川柳の中心は譬喩だと言われていますが、それだって、やっぱり相手に向かって言うわけでしょう。だからね、川柳は本来「ふたりごころ」の世界ですよ。

せいこう それが非常にはっきりしているのが川柳ということですね。

兜太 相手に向かっているときに、「情」というかたちのこころじゃなくて、相手に対してあてこするみたいなこころの状態というのは、また違いますよね。そういう、もっと乾いた「ふたりごころ」だと……。

せいこう 切れた人間関係として、俳句より広い不特定多数を相手に皮肉を言う。

兜太 そういうものだと思ってきたんですけどね。でも、このところの川柳作家、例えば時実新子さんなんかの川柳を読むと、「情」がずいぶん働いている川柳が多いですね。

せいこう 伊藤園の「新俳句大賞」で選んできた中でも、これは川柳なんじゃないかというのが、実は幾つかあった。

兜太 ありましたね。それには不思議に「情」というかたちの「ふたりごころ」が働いていますね。私はそう思ってるんですよ。

せいこう これは川柳だとは思わなかったけれども、前章でも紹介した今回(第十回)の

  愛されずわたし観葉植物派

 これなどは、どこか川柳味を帯びていますよね。「わたし」と一人称で語らないで、愛されない女性全体について語り始めたら、完全に川柳になっちゃうんじゃないですか。観葉植物みたい に溲されない女たちを自虐するということで「愛されずわたしたち観葉植物派」としたら、川柳になると思うんです。今は「わたし」というものに関する内面があ
るように見えているので、俳句になっているというふうに思えるんですよね。

兜太「愛されずあなた観葉植物派」なんて言ったら、完全に皮肉になりますから、それは川柳だよね。それが「わかし」だから……。

せいこう 俳句の側に入った。

兜太 それは「ふたりごころ」j情の方が働いていて、それほど相手に向かって面当てに言うわけではなく、多少ひっこんで、ゆるめて言ってみせているという、そのへんのところで俳句にかろうじて留まったと、そういう見方をしてきたんですけどね。でも、あんまり自信がなくなってきましたね。俳句と川柳、両方がまぎれてきちゃった。

せいこう それは形式の問題というよりは、作品の問題ですかね。

兜太 そうでござんす。  


0 件のコメント:

コメントを投稿