2017年3月1日

『熊猫荘俳話』金子兜太

飯塚書店  [1987年12月]2000円
帯より
とにかく現代俳句は難しいと言われる。誰にも分かる俳句目指して
五七五を基本に季語の能動的活用具体性と生活感を大切にする現代
俳句創造の示す対談集。
目次
熊猫荘俳話
1 古きものに現代を生かす
2 五・七・五の韻律こそ俳句の「実」
3 土くささと新しい喩
4 感覚を通して意味へ
5 季語と具体性について
6 具体的なものの強さ
7 日常と非日常
8 成熟ということ――肉体の思想化
入門篇・好作鑑賞


  昭和六十一年(一九八六)の春、柴田和江、堀之内長一を相手に俳句についてのお喋りをした。司会は桜井英一、そのあと、題を「古き良きものに現代を生かす」として、私たちの俳句雑誌『海程』に掲載した。これが、この「熊猫荘俳話」のはじまりである。
 わりあいに好評だったので、第二回も在関東の俳句仲間(連衆といいたい)、塩野谷仁、木田柊三郎とやった・・・・・。
(8回の対談を行った)

  ここ二、三年、私が「古き良きもの」を大事とし、これを十分に活用しながら現在唯今の自己表現をはたしてゆきたい。という「古き良きものに現在を生かす」の考え方をすこし誤解していたらしい。

昭和三、四十年代、私を含めて「俳句前衛」といわれた人たちの作句姿勢は、ひたすら現在唯今に執しての自己表現にありと思い定めて、その姿勢を良しとしていたかれらは、古き良きもの」何するものぞ、と初めから相手にしていなかったのである。強いて、「古き良きもの」というのなら、それは五七調最短定型(五・七・五字音を基本とする形式)で十分ではないか。

前衛といわれた時期でも。その形式だけは守っていた。いまも変わりはない。それでよいではないか。と。

 したがって、私が「古き良きもの」の筆頭に五七調最短定型を置くことには異存はなく、その定型を更にいっそう大事にしてゆこうという私の言い分にも疑念はなかった。疑念は、定型尊重に付け加えて、「俳諧」の名でいわれてきた伝承資産を大切にし、大いに活用しよう。と私がいいはじめたときに湧いたのである。

 その「俳諧」の内容を、私は、挨拶、諧謔(滑稽を含む)、即興、機知、笑い、語呂合わせ、もじり(和歌でいう「本歌取り」)などなどの<伝達工夫の態>ととらえているのだが、この内容を、中世の「俳諧の連歌」、そのあとの貞門、談林の作風から承知したのである。

阪神の連衆は、このなかのあらかたを活用することには異存はなかった。かれは関東の連衆以上に、諧謔や機知を好んでいたからである。かれらがこだわったのは、挨拶のための軸として約束された季題にあった。

これがそれこそ虚子以来、俳句の必須条件のようにいわれていることへの反撥が土台にあるわけだが、何故いまになって、季題を見直そう、活用しよう、といわなければならないのか、ということだった。

 その疑問は、季題を活用しよう、と私が積極的にいうようになってから、仲間たちの俳句作品が緩んできたという受けとりかたに端的にあらわれていた。つまり、季題が持つ既存の美意識への依存、季節感への甘え(これによる現実感の緩み)が目立つようになって、現在唯今の自己表現の鋭さも厳しさも厚みも薄らいでしまった、とかれらはいう。

たしかに難解な句は少なくなったが、その分つまらなくなった。先行するものは難解なはずだ。それをあなたは凡庸化しようとしているとかれらはいう。

 この八回にわたる談話全体が、私が仲間の最近作から選んだ秀句を材料としている。会話は勢いこの句はどうだ、面白いぞ、いやつまらない、という応酬からはじまることが多いのだが、第三回目のときは殊にそれが際立ったように記憶するのは、阪神連衆の懐疑のふかさ故だったと思う。

「土くささ」とか、「喩」の本当の新しさとはどんなことなのか、と私が喋ったことのなかには、あまりにも現在唯今に拘泥するために、言葉が性急になり、伝達を軽く考えて一人よがりとなって、悪しきモダニズムに墜ちる危険を感じたからである。そのために。季語(私は季題すなわち季語と解している)のような成熟した言葉を十分に承知する必要がある、それを言葉の模範として受け入れたい、と私は強調した。勝手未熟な喩の危険、土くささを失ってゆくときの心情と言葉の頽廃――そうしたことまでも私はそのときいいたてたものだった。
私は現在唯今の俳句観のあらかたを語りつくしたつもりでいるので、あとは読者の受けとりかたにおまかせしたい。
                       昭和六十二年(一九八七晩秋

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