2016年11月5日

「米寿対談」<俳句・短歌・いのち>金子兜太・鶴見和子




「米寿対談」<俳句・短歌・いのち>金子兜太・鶴見和子 
編集協力 黒田杏子
藤原書店 2006年5月刊
第一場  前口上
俳句の触発力
病気になると命が輝いてくる
玲瓏の自由人
南方熊楠の世界へ
倒れてのちはじまる
第二場 
金子兜太俳句塾
切れ字は間なんです
定型ということ
「創る自分」と「主体」
「ふたりごころ」という「生き物感覚」
和子・兜太の養生訓
産土に還る

Wikipedia参考 鶴見 和子


縁(えにし)なる哉  金子兜太

 鶴見和子さんとの対談などということは、まったく想像もできなか
ったことなので、これが実現した喜び――そして言いしれぬ満足感
――のなかで、人の縁の不思議さ有難さを、それこそ今吏のよう
に噛みしめている。

 この縁を結んでくれたのは黒田杏子というすぐれた俳人である。この
大と私との縁は、いっしょに俳句歳時記を作ったこともある。朝日カル
チャーセンターで毎年開催する「兜太・杏子の公開一日集中俳句教室」
などは、すでに十五年続いている。ついこのあいだ証言・昭和の俳句』
(角川書店)に引っ張り出されて彼女から質問攻めに合った。彼女自ら
『金子兜太養生訓』(白水社)という快著を書いてもいる。私は親しみ
のあまり、「黒杏さん」とか「杏やん」などと呼ぶことも多い。

 この大から鶴見和子さんと対談しないか、と勧められたとき、直ちに
その気になったのも、そうした日頃の縁があるからで、それまで鶴見和
子さんに対して持っていた私の敬して遠ざかるの気分が、嘘のように
すっとんでいたのである。しかも黒杏の勘は鋭い。その私の日頃の気分
を見抜いていて、御病気と闘病生活のなかで、和子さんは一と廻りも
廻りも大きくなっていますよ、最近の著書を読んでみて下さい、
ともいう。

 さっそく読む。多田富雄氏との往復書簡『邂逅』に感銘し、佐佐木
幸綱氏との『「われ」発見』にひどく親近感を覚える。「コレクション
鶴見和子曼荼羅」のなかでもとくに『華の巻』に惹かれた。『おどりは
人生』にわが意を得る。南方熊楠への傾倒に共感。歌集回生』『花道』
の熱さよ。この人にはお目にかからなければならない、とまで思っていた。

 そう思うようになって、癌との闘病九年におよぶ妻金子皆子の句集
『花恋』をお送りしところ、大いに感銘しておられると黒杏さんからの話。
私は黒杏さんに連れられて、ケアハウス宇治の「ゆうゆうの里」に足どり
軽く参上した次第である。

 縁といえば、青年期、父君祐輔氏の著書に接して、「自由人」への憬れを
抱いたことを思い出していた。藤原社長が、秩父事件研究の集大成者井上
幸治先生から私のことを聞いていたこと、私を俳句の擒(とりこ)にして
しまった先輩出沢柵太郎の父君星一と後藤新平との関係を承知していた
ことなどもある。ああ縁は異なもの味なもの。妹さんの内山章子さん
お世話さま。編集の刈屋琢さん御苦労さま。
                                                      二〇〇六年四月三十日
 
「快談」のあとに  鶴見和子
  俳句について無知蒙昧であったわたしに、俳句への関心を誘い出して
下さったのは、黒田杏子さんでした。五年前に、はじめてわたしの今住ん
でいる宇治の里においで下さってから、全国を旅されてゆく先々のおい
しいものを贈って下さり、ご著書もつぎつぎにお送り下さり、また
NHKの「俳句大会」の選者としてのおことばをうかがっているうちに、
だんだん俳句に興味をもつようになったのです。そこで、ある時、
「短歌と俳句は短詩定型でありながら、どこが違って、どこが共通
しているのでしょうか、教えていただきたいので、対談をして下さい
さいませんか」と、わたしは長い間気になっていたことをきりだ
してみました。

 黒田さんは「それなら、いい方がいらっしゃる」とおっしゃいました。
そして金子兜太先生を説得して、日程までとりきめて下さいました。
わたしは驚き恐れましたが、もう間に合いません。

 金子先生は『金子兜太集』全四巻を、そして黒田杏子さんは、金子先生
の講演記録そ の他の参考文献をお送り下さいました。わたしはこれらの
ご本や文献を一所懸命に読んで、その日にそなえました。

 天才米寿「少年」金子兜太師を秩父の山奥から宇治の山姥の庵に、
黒田杏子さんが御案内下さったのは、二〇〇五年二月二十二日のまだ
底冷えのする頃でした。

 第一日目は、作者が兜太師の奥さまということを知らないで読みはじめて、
感動した花恋』(この句集にはどこにも兜太夫人とは記されていません
でした。俳人ならどなたもご承知なのに、わたしはそのことを知らず、
よみすすめるうちに感知したのです)の病者としての感想から入りました。

 第二日目の「金子兜太俳句塾」は圧巻でした。俳句の歴史から始まって、
とくに季語についての金子師の解釈はわたしの心をうちました。季語とは
面倒な形式だと思っていたわたしの蒙を啓いて下さいました。人と自然と
を結びつけることばが季語だと知ったとき、そして季語をとおして人と
自然が「ふたりごころ」をもって語りあえるのだと知ったとき、わたしは、
俳句を、そして季語を、これから学んで、歌の中にとりこませていただ
きたいという気持になりました。

 短歌がアニミズムの上に成りたっている以上に、俳句はより強くアニミ
ズムとむすびついていることに気がついたのです。

 立役者金子兜太師は、ほのぼのとした余韻を残こして帰られました。俳句
そのもののような方だなあと思います。この「快談」より半年後に、兜太師は
スウェーデンの「チカダ賞」を受賞されました。この「快談」で言われた俳句の
普遍性が実証されたのです。

 おめでとうございます。心からお祝い申し上げます。
 そして二〇〇六年三月二日、皆子様が永眠されました。心からおくやみ
申し上げます。
皆子さまが『花恋』をこの世に遺して下さったことを感謝申し上げます。
また兜太師が、これからも長く皆子さまと「ふたりごごろ」をおつづけに
なることを念じております。わたしも『花恋』を座右において、この世
ではお目にかかれなかった皆子さまと「ふたりごころ」をかよわせてい
ただきたいと願っております。

  「花恋」の人花を待ち昇天す夫の一声耳に残して

 この「快談」を企画し、立役者をご案内下さり、「黒子」に徹して舞台
まわしをして下さり、タテとワキになりかわって公演記録を整理編集して
下さった、黒田杏子さんに 深い感謝を捧げます。

 この「快談」の舞台に積極的に参加し、これを出版して江湖に送り出して
下さった藤原店の社長藤原良雄さんに深謝いたします。そして、最後に、
秩父の天才米寿少年金子師と宇治の山姥との縁の糸を、星(ほし)薬師如来を
仲立ちとしてたぐりよせて下さった藤原さんの台詞は、この快(怪?)
談にふさわしい花をそえて下さいました。
 この公演のテープ起こしとレイアウトをして下さった刈屋琢さんに、
心からお礼を申し上げます。
 人間は生きているかぎり、新しい出会いがあり、新しい世界がひらか
れると確信して、生きぬく元気が出ました。皆さまありがとうございました。
             
            二〇〇六年三月二十三日


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