2017年2月23日

「俳句入門」金子兜太


「俳句入門」実業之日本社 1400E 
俳句とは
俳句作法あれこれ
俳句寸史

「定型というもの」を転載しました
 俳句は「五・七・五字(音)を基準にした定型式の詩」と前に書きました。いいかえれば、五七調の最短定型ということで、そのなかを二つに分けて考えることができます。



 一つは、五七調の音律形式(リズム形式)、いま一つは、最短定型です。いままで五七調のほうを説明してきましたが、今回から最短定型に移ります。

 ところで、こう分けてみたものの、実際は五七調と定型は同じことなのです。それなのに、私たちの中には、五七調とは別にはっきり定型というものがあります。それは一体、どういうことなのでしょう。

 まず、五・七・五字(音)は、三つの区切り(三句体)を持つ点で、すでに形が決まっています。さらに一つの区切りごとの字数も決まっています。つまり二重に形が決まっているわけで、二重がらみの定型式といえましょう。
だから、
古池や蛙飛こむ水のをと  芭蕉

とはっきり五・七・五と踏んで作っているうちに、その五七のリズム感とは別に定型感(定型とての完結感)といえるものが作者のなかに育ってゆき、やがて根を下ろします。五七調の歴史は実に長く、芭蕉の時期から数えてみても、三百年は下りません。この定型感がやがて定型の確信となって、五七調とは別に存在するもののように、承認されたとしても不思議はありますまい。

 そして、そうなると、こんどは五・七・五ときちんとゆかなくても、字余りとか字足らずだったとしても、定型感が持てれば認められることになります。私は九字(三・三・三)から二十七字(九・九・九)までは定型を感じますから、高校生・蔵元秀樹君の、芭蕉の句をもじった「古池に蛙とびこみ複雑骨折」が五・七・七字でも定型と認めます。

 そしてこういう現代の日常語の大胆な使用が、それほど複雑に終わらないのは、定型に収まっているせいだと思うのです。と、はっきり五・七・五を踏んで作っているうちに、その五七調のリズム感とは別に、定型感(定型としての完結感)といえるものが作者の中に育ってゆき、やがて根を下ろします。五七調の歴史は実に長く、芭蕉の時期から数えて

まえがき
 この『俳句入門』は、いまから二十三年前に、日刊工業新聞のコラム欄に書いたものなのだが、当時担当だった鈴木重四郎氏のお勧めがあって、一冊にまとめることになった。時間がたちすぎてはいないか、とわたしが躊躇うと、鮮度がおちていない、と氏はいう。

 たしかに、率直果敢に自分の俳句観を書いたものだった。いま読むと文章は生硬だが、活力がある。その時、つまり、昭和四十九年(一九七四)六月十三日から書きはじめたのだが、その年、戦地から復員して以来勤めていた銀行を定年で退職することになっていた。五十五歳の誕生日である九月二十三日が退職する日になっていて、その日を睨んで、私は俳句専業(江戸時代は「業俳」といった)への心構えを固めつつあった。鈴木氏のタイミングのよい勧めに感謝一杯だったのだ。

 月二回掲載で、二年後の九月九日までっづいた。コラム欄なので、一回で決まりをつけてゆく。そのため、いままとめてみると連続性にやや欠けるところもあるが、一回一回の歯切れのよさもまたある。こんなスタイルの入門書も面白かろうとおもう。

 それにしても、あれから二十年ほどの歳月が過ぎていて、その間に、世は「俳句ブーム」といわれてきた。女性の愛好者が顕著に増加し、少年少女も喜んで作るようになっている。欧米、中国に「はイク」「漢俳」の愛好者も増えいる。

 業俳としての休験に事欠かないから、私の俳句観にも付加されることが多い。どうしても、それを付け加えたい気持ちだったのだが、加筆によって初期の鮮度をおとしたくない意中もあり、若干の加筆に止めることにした。それでも、付け加えておきたいことをまったく不問に付するに忍びないので、最近の文章や講演の三本に同席してもらった。俳句形式(最短定型)の不思議な表現力や、連歌から俳句にいたる歴史のなかで育てられた「俳諧」の世界、そこに胎蔵される「情」(ふたりごころ〉と私はいう)などなどを、舌足らずだが付け加えた次第である。
 終わりになるが、鈴木重四郎氏の御厚情と、本にまとめてくださった実業之日本社の江口和幸氏に、こころから感謝申し上げたい。

   平成9年11月       金子兜太

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