2017年2月23日

「流れゆくものの俳諧」金子兜太


「流れゆくものの俳諧」 1979刊 朝日ソノラマ 950円 

序――
「流れゆくもの」と庶民・俳諧の連歌・最短定型詩の本質としての俳諧・情(ふたりごころ)と心(ひとりごころ)・俳諧とは情を伝える工夫・自然の状態・庶民の俳諧と一茶
一章 芭蕉と一茶・親芭蕉と反芭蕉の振幅・深川と葛飾・一茶の深川執心・牡丹餅と饅頭・芭蕉以前の俳諧芭蕉の「誠の俳諧」・時雨のおもい・敬慕と反発・近世庶民のくひとりごころ〉


二章     
風貌・俳諧師一茶への道・浄土真宗信徒への道・勉学の素地・独学・生いち・葛飾派のの縁・蕪村・白雄の俳風と葛飾派・前句付けの流行・鄙ぶりの俳諧・俳号一茶の由来・流動する近世社会・都市庶民文化の誕生・天地大戯場・虚実皮膜の間・無常感99 現実を見直す眼・小説『父の終焉日記』

三章 個化と孤化 
景色の罪人・乞食は我を見くらぶる・孤の純粋感覚・化政期の江戸・都会のひとりごころ諸郷わたらひの日々・老いの意識・定着基盤の確立

四章 一茶調の成立            
直かの眼・イローニッシュに・直かの眼・フモーリッヒに・ 農民のアニミズム・生きているものとの共感・光の風土と感性・一茶と女性・世問丸びたりの詩人・個としての自我一茶の空間性・無季の句・〈生理感応〉から〈心理感応〉へ・庶民のリズム・『おらが春』の世界・自力地獄と他力地獄・煩悩即菩提・〈ふたりごころ〉へのつながり・離れていたもののふるさと・一茶の「かるみ」

五章 一茶のいない月並俳諧        
「月並の集句し制度・俳諧の庶民へのひろがり・「つきあい」俳諧・俗知・平板の俳風・地方への浸透――秩父の場合・代結社制度の原型

六章 子規の空間          
俳句革新の歩み・ 武士的気質と偶像破壊・写生論・子規の空間信仰・従軍のこと・子規のナシーナリズム・土かたの人間・絶筆三句

七章 ひとりごころの俳諧         
碧梧桐・井泉水・虚子ふたたび〈個〉と〈心〉について・子規以降の系譜―虚子と碧梧桐・新傾向派の分化―碧梧桐と井泉水・『層雲』と〈道〉への志向・ 現代の<ふたりごろ>のあらわれかた

八章 くずれゆくひとりごころ       
山頭火と放哉〈流れゆくもの〉と〈放浪漂泊〉・山頭火の存在難292 放哉の環境の促迫・山頭火の放浪の旅・観照者と〈海〉・〈海〉に抱きとられる・〈歩み〉のなかの死と〈甘え〉の死・凡俗の死の美しさ 
別章 〈情〉と俳諧         

「流れゆくもの」と庶民(冒頭から転載)
 本論に入るまえに、私なりのいくつかの前提を述べておきたいとおもいます。「流れゆくもの」という意味を、私は漂泊者という広い意味で考えています。その漂泊ということですが、私は〈原郷〉ということばで、〈自然〉とか〈愛〉〈真〉といったものを生地で体感できる世界を、私たちのこころのなかに見ています。

それを〈原郷〉と呼び、〈原郷体験〉とか、〈原郷のイメージ〉などともいっています。「こころのふるさと」という人がいますが、その人心見ているものも、私と同じものではないかとおもいます。しかし、その原郷はいつも〈現実経験〉によって裏切られています。現代の悲劇も喜劇も、その原郷と現実とのズレにはじまるといってもよい。そのゆえに、私たちは「漂泊」を余儀なくされる。私たちのだれでもが漂泊心にとらわれているといってもよいでしょう。あとは、じっさいにさすらいの日常をおくるか、定住して、じっと漂泊心をこらえて、日常生活をきずいてゆくか、そのいずれかになりましょう。

 したがって、人間すべて「流れゆくもの」といってもよいのです。それは、人間の代名詞といってもよいのですが、ただ、殿上人を指して、その人たちを「流れゆくもの」といういいかたはできにくい。同じ漂泊者ではあっても、語感の上でできにくいとおもいます。したがって、「流れゆくもの」といったときに、私はやはり、庶民という感覚をそこに用意しているつもりなのです。

 したがって、「流れゆくものの俳諧」とは平たくいえば、庶民の俳諧ということになるのですが、ただ庶民の俳諧というと、それはあたりまえのことではないか、俳諧は庶民のものだ、とお考えになる方もあるかとおもいます。実は私のこの講座の主題は、俳諧がほんとうの意味で庶民のものになったかならなかったか。もっとはっきりいえば、庶民のものとなった時期が小林一茶の時期であるということにあるのです。小林一茶という俳人によって、はじめて俳諧というものが庶民のものになったと、そういういいかたがしたいのです。

 それでは一応、「流れゆくものの俳諧」イコール「庶民の俳諧」、それは小林一茶からはじまったという設題の上に、話を進めてゆきたいとおもいます。・・・・つづく

あとがき
 この本は私の〈俳諧史〉の一齣ですが、中身は〈俳諧師史〉です。いや、結果はどうであれ、そういう指向で書きました。私は俳諧そのものへの関心とともに、むしろそれ以上にといってよいくらいに、俳諧をやる人間に興味をもっています。俳諧師の人間史とでもいうべき、その人たちの生きざまの歴史を、それこそ宗祗、守武の昔から現在の俳人にいたるまでの、私か注目する俳諧師を連れてきて書いてみたいと、日ごろおもっているのですが、この本は、いわばその走りのようなものなのです。したがって、対象も、小林一茶から正岡子規を経て種田山頭火、尾崎放哉にいたる、かれこれ二百年ていどの期間に輩出した目ぼしい俳諧師の歴史にとどまっています。宗祗以降現在までの、五百年を優に越える歴史のなかの、私好みの一時期を切りとったにすぎないわけで、しかも、書きたいことをずいぶん残してしまいました。

 しかし、走りには新鮮味があるはず、などと粋がっているのは、一茶からはじめ、しかもこの人に大きなポイントをおいていること、俳諧の現代的意義についての私なりの考察を込めていること、この二つのことがあるからです。

 なぜ一茶なのか。一茶は農民出の俳諧師で、まぎれもないズブの庶民俳諧師のわけですが、〈詩としての俳諧〉はこの人によって、それこそ庶民らしい実現を見た、といえます。いいかえれば、詩としての俳諧は、江戸は化政期のころから庶民のなかにひろがり、庶民のものになってゆくのですが、それを代表する俳諧師が一茶であったということです。私が、詩としての俳諧というときは、まず、前提としてそれまでも、そのころも(いや、それ以後も)盛んにおこなわれていた前句付とか冠句付とかいった、あらかじめ出されている句の一部に、それを補うかたちで句作りするのとは違うもの、つまり、五・七・五字の一句を、独立したかたちで作ることをいいます。

手掛かりはあらかじめ出されている題」だけです。化政期以後、この作りかたが江戸中心に大流行するのですが、正岡子規は、周知のように、これを「月並俳諧」と呼んで非難しています。しかし、一句独立の句作りが庶民のなかにひろまったことを非難する理由はすこしもありません。

 ただ、子規の非難が諒解できるのは、その大流行が、一茶俳諧がもっていたような詩〉を薄めてしまった、いや、無縁といいたいほどの状態でおこなわれていた、ということです。一茶抜きの月並俳諧と私がいうのはそこのところで、庶民らしい人間くささを失って、いたずらに、当たりさわりのない気取りごとを並べるだけの句作りに終わっていた、ということでした。

 現在の俳句界を、私は〈昭和月並時代〉と呼んでいるのですが、あの月並俳諧の時期といろんなところでじつによく似ています。それだけに、一茶を蘇らせたい願い切なるものがあります。
 いまひとつは、これは冒頭でも別章でもくどく書いていることですが、俳諧の本旨をくふたりごころ(情)を伝える工夫〉と考えていることです。ふたりごころを、人々との和諧をもとめて大々のなかにむかってひらいてゆくこころと解しています。これにたいして、〈ひとりごころ(心)〉をおく。現在、人のこころがひとりごころに強く傾き、その摩擦と孤独と、ときとして襲ってくる破綻の嘖みを身にしみてしりつつあるとき、ふたりごころの回復と充謚へのもとめは、たとえば共同体ということばなどとともに、ひろがりつつあります。ふたりごころの伝達工夫を日常のなかにおいた、俳諧と俳諧師の来し方を見なおすことの現時点意義、少なしとはおもわないわけなのです。

 この本は、朝日カルチチャーセンターでの話に加筆してできあがったものですが、栗山理一著『俳諧史』という屈強な羅針盤なしには、私の船はすすむことはできませんでした。また、話体の身軽さをできるかぎり保とうとして(これもまた俳諧なりと心得て)工夫したのですが、その際、朝日ソノラマの桜井英一氏から有効適切な助言を得ました。センターのある新宿住友ビルの高階喫茶店での氏とのお喋りは、なつかしいおもいでとして残ることでしょう。ここにあらためて、栗山、桜井両氏にこころから感謝の意を表したいとおもいます。


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