2015年2月15日

『現代俳句を読む』飯塚書店

『現代俳句を読む』飯塚書店 [1985年10月]1500円
現在唯今の私たちの揺れ動く感覚や感応、気分や想念「新にして真なる俳句」を読み解くために海程同人四人の合評です。
北原志満子・竹本健司・佃 悦夫・森下草城子

頭(ず)のごとく流氷は一家の裏へ     山田緑光

 北原志満子 
 厳寒に閉される北海道の一冬。その冬を身を寄せ合うようにして
生きてきた一家に少しずつ春の訪れが感じとられる。大と自然との
微妙な触れ合いを思わせる一句です。
 流氷は写真などで見ると巨大な塊ですが、それが春近くなると
人の頭くらいになり群らがって家の裏までやってくる。頭のご
とく‘の表現は平凡のようですがここでは、黒々とした人の頭、
それが群をなす群集のようにも見えてきます。どこか大懐しい
北海道の寒い季節の想いが重って詠われた流氷の句です。

竹本健司
 <頭のごとく>という直喩表現が、この句のポイントでしょう。
こう表現することによって、こちら向きの流氷が、意志をもつ
生物のようにいきいきと描かれます。また、ただの風景としての
家ではな<一家の裏へ>という表現を得て、流氷の来る季節感や
流氷そのものの壮大な景、そこに永住する大間たちの生計と流氷
との関わりなどが、次第に混然となり、確かな風土感となって
読めてきます。

佃 悦夫 
流氷を実見したものでなければ、その物象感は理解し難いこと
であろう。春近しを告げる北海の使者ではあるが、自然の持つ測
り知れぬ脅威も併せ持つ流氷群と想像する。その群から意澎ある
ごとく離れれ、とある家裏に巨人な頭のごとく流れて来た一塊。

生あるように不気味であるからΛ頭のごと<頭のごとく>
と直感したということであり、一家にとって重石として暗くの
しかかることでもある。これは流氷の比喩としてまことに鋭い。

森下草城子 
流氷が家裏にまで来ているということは唐突な感じがしないで
もないが、寒帯に近い海に面した地域では現実の問題であろう。
流氷をよく知っていないわたしはこれを厄介な物とする思いが
強い。しかし。ここでは。頭のごとく’ご家の裏へと書かれて
いることから、予期されていた者が当然のごとくにやって来
たとも読める。これは迎える側の心にも関わることで、意外
と親近感をもって流氷に接しているように思える。

「自作品解説」
頭のごとく流氷は一家の裏へ   山田緑光
 オホーツク海岸の斜里町は私の故郷で、十八歳まで育った
ところだ。二月中旬から沖の方より夥しい氷塊が流れてくる。
約一米から三米位はあるだろうか。風と浪音を伴い。互にぶ
っかりあって激しく重い音を発してくる。

岸から逐次その氷塊が敷きつめられ、あの広いオホーツク
海一帯を埋めてしまうのである。そして眺める限りの海
は真白に一変してしまう。

 北の沖から白氷を渡ってくる風の寒さは。私達の骨を
突き刺す。約一ヶ月半、三月末になってこの流氷が海岸
から去って行くまでは忍従の生活を強いられる。沖から
流れてくる氷塊は、夜になると黒々と感じ、それは無数の
人の頭のようである。


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