2017年2月24日

「俳句専念」金子兜太

「俳句専念」1995年1月刊 ちくま新書 660E


わが俳句人生             
<かたち>と自己表現 
一所専念の功/俳句・発句・季題/季題趣味とものに即す季語/虚子の
<かたち>か最短定型か/韻律が作品を決める/感の昂揚/存在の基本
は土/時間を超えた生
現代俳句・滑稽と挨拶 
『海程』という梁山泊/「古き良きもの」への理解/土の匂い/
滑稽と反常識と/態度の問題/「挨拶」という精神/生き死にの問題
わが俳句人生 
ふるさと秩父/快男児/出沢三太/白梅の一句/白木蓮の花――朝暮
先生
茂吉と中也      
茂吉と私 
親しみやすかった短歌/土臭き天才/命を捉える/茂吉との奇縁/
秩父の歌/古代人体質――「巌流島」/俳諧体質――「鴨山考」/
芭蕉への思慕/多作家茂吉ノリリカル・クワイエットノ漂う茂吉
/最上川と同体
詩人は辛い――中也のこと
生地の生々しさ/市井の哀しみ/生命の原質/「詩人は辛い」/
俳句への予兆
私の履歴書  
両親/名前の由米/幼年時代/少年の日々/熊谷中学/父と俳句
/進路/学生俳句/句会の常連/卒業/海軍ノトラック島/島孤立
/自給自足/捕虜/復員/結婚/国庫局/職員組合/組合の仲間/
職場復帰/神戸支店/決意/前衛俳句/現俳協/造型/論争/
定住漂泊/定年退職/賑わう俳句
あとがき 
初出一覧 

 あとがき
 平成八年(一九九六)七月一日から三十一日までの一か月間、日本経済新聞に「私の履歴書」を連載した。ちょうど喜寿の年に当り。
定年まで勤めていた日本銀行から祝いの金一封をいただいたので、そのことから書きはじめて、現在の俳句三昧といえる日常にまで一応は及んだのだが、実際には、生れてから戦後しばらくのところで枚数を使いすぎてしまい、定年退職後の俳句生活についてはまったく粗略になってしまったのである。

書くには書いたのだが、素描に止る始末とは相成った次第で、いつの日か書き加えたいと願っていた(この連載より少し以前に。
『二度生きる』をチクマ秀版社から出してはいるか。これも俳句生活のところがまだまだ言い足りていない)。

 そんなわけで、こんどこの文章が本になるのを機に、あちこちで講演したもののうちのいくつかに手を加えて、それを収載してもらうことにした。

定年退職後しばらくして、世は俳句殷賑の時期を迎え、専門俳人たちは忙しくなった。わたしも人並みに忙しくなり、講演講話の機会が多くなったのである。まとまった文章を書く時間が減った分、お喋りの時間が増えたわけだが、お喋りとはいえ、それなりの勉強もし準備もして、やってきたつもりである。

 したがって、わたしの俳句観が正直に出ているはずだし、俳句観を支える人生観(高・老年の境涯観とでもいうべきか)も正直に述べているつもりである。講演を加えることによって、「履歴書」のなかの俳句専念の後半生について、かなりの補いができるものとおもっている。

 講演のなかの「〈かたち〉と自己表現」と「現代俳句・滑稽と挨拶」の二つは、わたしの主宰俳誌『海程』の全国俳句大会で講演したもので、前者は、平成九年(一九九七)、後者は平成四年(一九九三)、その間に五年の隔りがあるが、最短定型を屈強の基本とし、「俳諧」の世界を有効に活用しようとするわたしの姿勢は一貫している。

 「わが俳句人生」は、北上市の日本現代詩歌文学館での講演だが、わたしが俳句をつくりはじめた頃に出会った人たちについてのエピソードを、いささか漫談風に話したもの。師と先輩だが、かれらは本物の「自由人」たった。じつに懐しい俳人たちだった。

 「茂吉と私」と「詩人は辛い」はともに平成十年(一九九八)で、前者は斎藤茂吉短歌文学賞、後者は中原中也賞、それぞれの贈賞式のあとのもの。茂吉はひどく身近な感じで親しんでいる歌人であり、中也はかなり遠い感じではあるが、しかし親しみを覚えてならない詩人である。

 なお、「履歴書」のなかで名前を書きとめさせてもらって、その後に物故した人たちがいる。あれから一年半たつ。
 国文学者栗山理一氏からは多大の教えをいただいた。名著『俳諧史』あり。強酒の仁(ひと)だった。石原八束氏は、わたしと同年の俳人で、三好達治、飯田蛇笏、川端茅舎につい
ての好評伝も残している。前田正治氏は楸邨『寒雷』の先輩俳人。
法学部教授のかたわら俳誌『楕円律』を主宰して、すぐれた俳人を育てていた。宇佐美誠次郎氏は亡くなるまで酒を愛しマルクス『資本論』の完訳に打ち込んでいた。懐しい風貌が思い出される。松本与一氏は日本銀行従業員組合で行動をともにした先輩で、重厚な論客だった。橋本早苗氏も組合での先輩。清潔な人。
木水育男氏は『トラック島戦記』を残している。富田増三郎はわたしの従兄。

 反面では、先般、日本銀行副総裁に就任した藤原作弥氏のように、一層活動の幅を拡げている人もいる。結びの気持で小文「産土」を左に。
「〈かたち〉と自己表現」で述べたわたしの現在唯今の考えを圧縮して、月刊『俳句研究』(富士見市房)平成十一年二月号の特集「わが土地・わが句」に掲載したもの。

 「産土」の想念に執している。ついこのあいだまで、故郷とか風土とかといった言葉を自分の想念の根拠にしていたが、いまでは産土の語一つに集約している。(以下略)

 産土という言葉を想念の拠点とするようになった経緯のなかで、細君の皆子から、「あなたは土に立っていないと軽薄になる」といわれたことが忘れ難い。この人は二十歳代で母を失い、土を通じて母と結ばれていると惟うことが出来て、ようやく救われた、といろそれだけに土の語が重い。

 わたしは二十代で戦争を体験したのだが、戦地にいていくどか命拾いをした。自分は余逮が強いとおもうようになり、夢に故郷秩父の山河が力に満ちてしばしば出現するように
もなった。山気、山霊を覚えたこともある。

そしてしだいに、これは母親が千人針の腹巻に納めてくれていた、秩父の神仏のお守札のおかげだと確信するようになったのである。
いまおもえば、産土を体感していた。ということだったのだろう。

 母や妻という女性たちによって、わたしは産土に近づき得た、といってもよい。じっと腰を据えて、体(心身)を秩父の山河に溶け込ませていくと、産土といえる土の香の濃い想念の世界にはいっていくことができる。鳥獣草木を新たな眼で見直すことができるのえそのときである。われながら、これからが楽しみ。

 終りに当り、この本をまとめて下さったヽ筑摩晝房の井崎正敏、高山芳樹両氏にこころからお礼を申し上げたい。そして、一か月間にわたる掲載に御尽力をいただいた日本経済新聞の鹿嶋敬、内田洋一両氏にもこの場所を借りてあらためて感謝申し上げたい。
   平成十年十二月十日
                 金子兜太

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